決着
かつて、子供たちを連れ去られた植民請負人。その男が二十四年前の因縁に決着を付けるべく、ネオとエーリッヒの間に割って入っていた。
「……ネオ、すまんが、この決闘は俺がいただくぜ。それが、俺の本来の仕事なんでな」
「でも……それじゃ、」
決闘のあり方。代理剣士。そういったものをよく知らないネオには、まるで自分が決闘から逃げたふうに思えてしまう。しかし、シュタイナウは決闘を別の人間が代行することなど当たり前だとばかりに言った。
「いいか? ネオ。お前はこいつの挑戦から逃げなかった。恫喝に屈しなかった。その時点で、もう充分すぎるほどお前の勝ちなんだよ。たとえお前を殺したところで、こいつはもうハーメルンにはいられまい。腹いせに付き合って怪我するなんて、馬鹿馬鹿しいだけさ。……あとは代理剣士に任せときな」
「貴様……そんなことが認められるとでも、」
「いったいどこの帝国が、この剣を止められるってんだ?」
ついさっきエーリッヒが放った言葉を、そのままシュタイナウが投げ返した。
先に帝国法を無視して、決闘神判という野蛮な手段に訴えたのがエーリッヒなのだ。である以上、「決闘神判はしたいが、代理剣士とは戦いたくない」などというわがままは通らない。
そもそも、エーリッヒが認めようが認めまいが、そんなことは関係ない。なにを喚いたところでシュタイナウは退かないだろう。エーリッヒが強引に決闘神判で決着を付けようとしたのと同じく、誰にもシュタイナウを退かせることなどできない。暴力に頼るものは、更に強い暴力によってねじ伏せられるのも、また世の常なのだ。
「死にぞこないめ……」
シュタイナウとの戦いを避けられぬと悟ったエーリッヒは、肉食動物じみた動きで背を屈めて剣を構えた。ネオの見たことのない構えだが、野蛮な印象を受けた。ティルのように正面から打ち合うと言うよりも、むしろ見た目通りに獣が奇襲の機会をうかがっているのに似ている。
対するシュタイナウは、正面にまっすぐ構え、剣先をやや下に落とす。横から見るネオには、その動きがよくわかった。これは、ティルも得意としている下段からのフェイントだ。顔面がガラ空きと見るや、エーリッヒが動いた。屈めていた上半身をぐんと伸ばして剣を突き出した。上半身の伸びの速度に剣速が加わる。おそらくシュタイナウから見たら、剣が二倍の速度で突き出されたように感じたろう。
自分にはあれを躱すことができるだろうか。冷静に見積もって、かなり厳しいのではないだろうか。
しかしシュタイナウはいとも簡単にそれをいなしていた。半歩下がりながら、下段の剣をそのまま持ち上げて、エーリッヒの刃に当てた。瞬間、くるりと手首をひねる。シュタイナウの剣が鞭となってエーリッヒのそれに絡みついた。ように見えた。ビーンと音がして、エーリッヒの手から剣が弾け飛ぶ。少し離れた場所に、宙を舞った剣がザクリと突き立った。
勝った。シュタイナウが勝った。剣士としての格が、数段違っていたのだ。元より結果に疑いなど微塵も抱いていなかったが、それでもネオの胸に安堵が広がる。これで、終わったのだ。そう思った瞬間、エーリッヒの身体が跳ねていた。シュタイナウでさえも予測していない動きで、跳ねていた。逃げ出すのか。そちらを見て、息を呑んだ。頭で考えるよりも速く、全力で走っていた。
懐から短剣を取り出したエーリッヒが、見物人の比較的少ない、逃げ出すべき方向――イルゼとアマラのほうへと突進していたのだ。アマラもシュタイナウの勝利に安堵していたのだろう、不意を突かれて反応が遅れていた。反射的に腰の湾曲剣に手を伸ばすが、間に合わない。
時間が止まった、とはまさにこのことを言うのだろう。しかし、ティルに鍛え上げられたネオの腕は、修練の動きを忠実になぞっていた。走りながらも、やや短い剣のその間合いに捕らえるが速いか、腕をいっぱいに伸ばして剣先を跳ねあげていた。
ビシッと鈍い感触が伝わり、止まっていた時間が、元の流れに戻った。短剣を握ったままの人間の右手が、ボタリと地面に落ちた。
心臓が、どきんどきんと鳴り響いている。今、自分は生まれてはじめて人を斬ったのだと、馬などではなく、人間に対して攻撃を加えたのだと、まるで自分が恐ろしい怪物になってしまったかのような冷たい感覚に襲われた。そこに、イルゼがしがみついて正気に引き戻してくれた。――はあっ、はあっ、今頃になって呼吸が蘇っていた。
「ぬおおおおおおっ! ぐううううおおおおおおおっ!」
地べたにうずくまって血が吹き出す手首を押さえ、獣の咆哮を上げているのは、もはや決闘神判すら放棄して無防備な少女を殺して逃げ出そうとした、盗賊の首領の成れの果てだった。その首筋に、剣先が突きつけられる。
「ネオ、よくやった。……いや、すまねえ。あんまりにも下衆な剣法なんでな、油断しちまったぜ。……いずれにせよ、覚悟はできてんだろうな。エセ神父」
「おっとっとっとぉ! ちょい待ち! ちょっと待ったぁ!」
強引に割り込んできたのは、ティルである。今度はまるでエーリッヒを庇おうとばかりにシュタイナウの前に立ちふさがった。
「ティル、邪魔するんじゃねえ!」
「いやいやいや、そういうわけにも行かないんでさ。もう決着はついたんだ。誰が潔白なのか、神さまが証明してくださったんだ。街のみんなも全員が証人だし、もう充分だ。これ以上はいけねえや」
「どけ!」
「駄目だ、シュタイナウの旦那。こんなんでもヒルデスハイムで洗礼を受けた司祭なんだ。金で買った地位とはいえ、ヴェルフェン家の正式な司祭なんだ。それをエーフェルシュタイン家の人間が殺しちまったとなったら、今度こそヴェルフェン家も黙ってるわけにゃいかなくなるんでさ」
「ティル、てめえ、どっちの味方なんだ!」
「いやー、こちとらブルヒャルトの旦那にゃガキの時分から世話んなってっからねぇ。うーん……どっちかってーとヴェルフェン……つーか、ブラウンシュヴァイク寄りですかねぇ」
しれっと言い放つティルではあるが、シュタイナウのほうは収まりがつかない。二十四年を経て、ようやく見つけた仇なのだ。
「頼む、ティル。頼むから殺させてくれ! こいつのせいで、こいつのせいで、俺は……あのガキどもは全員……。頼むっ! ガキどもの無念を晴らさせてくれ! 邪魔をするってんなら、たとえお前でも……っ」
「駄目だったら駄目だ! そ、そうだ、ほら、イルゼ嬢! なんか言うことがあるんでしょうが! ほら、速くっ!」
これ以上はシュタイナウを押さえきれないと察したティルが、慌ててイルゼに促した。イルゼは、心得たとばかりに叫んだ。
「シュタイナウさん! まだ、いるんです!」
「……イルゼ?」
突然の叫び声に、シュタイナウも思わずそちらを向いた。イルゼは、そのまま、大きな声で叫び続けた。
「まだ、生き残りがいるんです! ホーエンおじさまから、言付けを頼まれたんです!」
「ま、さか」
生き残りがいる? あれだけ探したのに。一〇年以上も探して、ようやく見つけたのが死にかけたイルゼの父親一人だったというのに。まさか。そんな戸惑いがシュタイナウの顔いっぱいにあらわれていた。
「ホーエンおじさまも、探してたんです。シュタイナウさんの苦労が、無駄にならないようにって。シュタイナウさんの苦しみを、少しでも分かちあおうって。……シュタイナウさん、探した場所を、ぜんぶホーエンおじさまに伝えてましたよね? おじさまは、それならばって、それ以外の場所に人を送っていたんです。ハンザ同盟にもお金を渡して、行く先々を調べてもらっていたんです」
「……まさか」
まだ信じられないという表情を浮かべているシュタイナウ。イルゼは一生懸命にまくしたてていた。
「その……絶対にそうだって確証はないみたいですけど……。でも、ずっと東の、ずっと北の、海の近くの村で、奴隷だった人たちが口を揃えて言ってたそうなんです。『自分たちは、裏切りの代償として、悪魔にさらわれてここにきた』って。その人たちは、今では領主さまの温情で奴隷じゃなくなってて、小さな村を作って暮らしてて、その村の名前が『ハーメレ』っていうんだって。そこは風車ばかりで、水車小屋がひとつもない村なのに、なのに、ハーメレっていうんだって。だから、だから、きっと、」
一生懸命にまくし立てるイルゼの元に、シュタイナウがよろよろと歩み寄った。力が一気に抜けたかのようにがくりと膝を付き、イルゼの両肩を掴んだ。そして、真正面からイルゼを見た。
「それは……本当なのか? 本当に……あのガキどもは……」
「……シュタイナウさんの旅は、無駄じゃなかったんです……。わたしのお父さんを……救ってくれたあとも……。シュタイナウさんの行かなかったところを、ホーエンおじさまが引き継いで調べてくれてたんです。……無駄じゃ、ないんです。だから……だから、こんなところで、つまらない罪を犯しちゃ、駄目なんです」
言い終わらないうちに、シュタイナウはイルゼをきつく抱きしめていた。自らを断罪し、呪いを終わらせるはずだった少女を。そのために一緒に連れてきた少女を、きつく、きつく抱きしめていた。
「イルゼ……イルゼ……お前は……。お前は、俺の、」
「……天の使いなんかじゃ、ありません。……わたし、そんなの、いやです」
「シュタイナウさん」
ネオがゆっくりと声をかけた。
「僕は……正直、まだ自分がエーフェルシュタインだとか、貴族の血筋だとか、そんなのは全然わからないです。……でも、今、ひとつだけ、エーフェルシュタインとして、トラバントの貴方にお願いがあります。……いえ、お願いというより、その……なんていうか、め、命令だと、思ってください」
ぽりぽりと頭を掻きながら、しかし、生まれてはじめて他人になにごとかを強要した。上の立場の人間として、下の立場のものに放つ、その言葉を口にした。
「ネオ・エーフェルシュタインより、ゲルハルト・フォン・エーフェルシュタイン・トラバントに命じます。……イルゼを、貴方の娘と認め、それに相応しく接するように。……お願いです。どうか……彼女の気持ちに、きちんと応えてあげてください」
シュタイナウは、イルゼを抱きしめたまま、その言葉の意味を理解した。そして、自分がこれまでイルゼに向けてきた態度を、その残酷さを、罪深さを、理解していくようだった。
少しの間、躊躇があったが、
「はあ……。エーフェルシュタイン家のお坊ちゃんの命令とくりゃ、仕方ねえか……」
ぼやいてから、再びイルゼに向き直った。膝を折ってしゃがみ込んだシュタイナウと、立ったままのイルゼ。正面から向き合い、おでこをコツンとぶつけた。そのまま、ぽつりと一言。
「……すまなかったよ」
途端に、ポタポタッと二人の間の地面に涙が落ちた。
「う……うえ……、うえええんっ、ふええええんっ!」
わんわんと泣きながら、イルゼの脚もまたくたりと力を失い膝をついてしまう。本来の背丈の差そのままに、シュタイナウの胸板にイルゼの顔が当たった。イルゼが、ようやく捕まえたとばかりに、シュタイナウの胴にしがみついた。しがみついたまま、泣いていた。
「うえ……ひっく……お……お、とう、さん……」
最初はこわごわと確かめるように。
「ああ」
「ぐすっ……おとうさん……おとうさん。おとうさんっ! おとうさんっ!」
それが拒絶されず、きちんと返事が返ってくると見るや、今までの分を取り戻そうとばかりに、何度も何度も繰り返した。ずっと、ずっと言いたかったであろうその言葉を、泣きながら何度も繰り返した。
シュタイナウもまた、少し戸惑いながらイルゼの頭に触れる。ゆっくりと、まるで壊れ物を扱うかのような大切さで、柔らかな金色の髪をそっと撫ぜていた。
「おとうさん、おとうさん。ぐすっ、おとうさん、ひっく、おとうさん」
シュタイナウは困ったような、しかし、まんざらでもない顔でネオのほうを見る。
「まあ、なんだ。その……こう呼ばれるのも……そんなに悪い気は、しねえもんだな?」
「あらー。ちょっとー、シュタイナウ?」
その様子を見ていたアマラが、いかにも面白くないといった顔で、シュタイナウの頭を横から小突いた。
「ネオくーん。なにか忘れてるんじゃないかしらー?」
もちろん、アマラの言わんとしていることもわかる。アマラもアマラで、この二十四年間、ずっとシュタイナウを支え、寄り添って生きてきたのだ。
それは、口で言えるほど簡単なことではないだろう。すべての罪をひとりで背負い込むシュタイナウに、もどかしく思うこともあったろう。歯痒く思うこともあったろう。
それでも、決してそれを投げ出そうとしないシュタイナウに、彼女はずっと付いてきた。苦行の道をともにしてきた。同じ苦労を分かち合ってきた彼女にも、家族を手に入れる権利があっていいではないか。
「あ、アマラさん、わかりました。……それじゃ、シュタイナウさん、すいません。もうひとつ追加していいですか?」
「んだよぅ」
なにか、嫌な予感を察したように、シュタイナウが悪態混じりにネオを見る。しかし、すぐにそれは遮られた。
「んー。ネオくん、やっぱいいや」
「え?」
「命令で無理やりなんてのじゃ、女がすたるってもんでしょ? あたしはあたしで、きちんと振り向かせてやるからさ」
言って、イルゼを胸にしゃがんだままのシュタイナウの頭を両手で鷲掴みにして、ぐりんと無理やりに振り向かせた。
「いてえっ! アマラてめえ、なにしやが、ぐむむっ!?」
文句の言葉が途切れる。アマラも身をかがめて、シュタイナウの口を上から無理矢理にふさいでいた。果たしてこれは、振り向かせたといえるのだろうか。
イルゼがシュタイナウの娘となった今、アマラがその思いを遂げてシュタイナウと結ばれたら、イルゼは二人の娘ということになる。だとしたら……もしも自分が、イルゼと一緒になったら。この四人は、正真正銘の本当の家族ということになるのだろうか。
そんなことを考えながら、ふと見ると、いつの間にかエーリッヒはいなくなっていた。慌ててティルのほうを振り返るが、
「ふふん、心配しなさんなって。ネオさんも知ってるっしょ? 片腕で放り出されて生きていけるほど、外の世界は甘いもんじゃねっすよ。街に戻ったところでお尋ねものだ。……あとは文字通り、神さまのお裁きに任せるのが一番でさぁ」
確かに、今ようやく、すべてが報われようとしているのだ。こんなに素晴らしい瞬間に、つまらないことで頭を悩ませるのは勿体ないというものだ。見ると、アマラはまだシュタイナウの口を自分の唇でふさいでいる。こちらも、ここぞとばかりに今までの時間を取り戻そうとしていた。
裁判と火刑のために集められた見物人だったが、まるで結婚式に急遽変更されたかのように、みんなして口笛と拍手で囃し立てていた。かつてシュタイナウに子供を託した老人たちもまた、まるで我が子の結婚を祝福するかのように、手を叩いて涙ながらに喜んでいた。




