正体
おずおずと、イルゼが声をかけた。
「……シュタイナウさん。わたし、ホーエンおじさまからの言付けを、」
「おおっと、イルゼ嬢。それを伝える前に、もうひと仕事やらせちゃもらえやせんかね?」
イルゼがなにかを言いかけるのを、ティルが遮った。
「……?」
今言わずして、いつ言うのだ? そんな顔でいぶかしむイルゼ。構わずにティルは勝手に話しはじめてしまった。
「いや、なにせ二十四年も前のことっすからねえ。まともに考えりゃ、雲をつかむような話だ。……でもまあ、金の流れってぇのは、なんだかんだで一番誤魔化しにくいもんでさぁ。あっしも散々悪さしたもんだが、捕まるときはだいたい金絡みでしたからねえ」
この青年は、突然なにを言い出したのか? その場にいる誰もが、シュタイナウと老人たちとの二十四年越しの邂逅に水を差した青年に、不満そうな顔を見せていた。
しかし相変わらずティルはまったく悪びれもしない様子で、無責任な笑顔を振りまきながら話を続けている。
「なんつっても、百と三〇からの子供たちの財産だ。そのほとんどが食費に加えて家宝を持たされて……ざっと一人あたり一〇グルデンくらいですかね? 全員合わせると、単純に考えても一三〇〇グルデンになるわけだ。更に、子供たちを奴隷として売り飛ばした金額を含めると、二〇〇〇グルデンにも届こうかってな勢いで。……これを足がつかないように一気に処分するとなると、こりゃなかなか骨ですなぁ」
まさか。この男は、二十四年前の事件のことを言っているのか? 二十四年前にいなくなった子供たち。その子供たちが奪われた財宝と、奴隷として売り飛ばされた、その金額。それが、二〇〇〇グルデン。
「ごらんの通り、あっしも色々とつてを持ってるんでね。ヒルデスハイムの教会にねじ込んで、ここ二十四年間の喜捨と司祭洗礼の記録を見せてもらったわけで……。ま、もったいぶるのはやめときましょ。今から二〇年前、ヴェルフェン家の分家の分家のそのまた分家の……まあようするに、うだつのあがらない、とある貧乏な助祭が、功績を認められて若くして司祭になったってぇ記録が見つかったんでさ」
司祭になるということは、それだけでも大変なことだ。貴族や富裕層として生まれれば、順当にいけばとりあえず助祭にまではなれるものだ。しかし、司祭として司教の洗礼を受けるためには、よほどの上流階級に生まれるか、何十年も実績を積むか、あるいは大きな功績――早い話が多額の献金をすることだ――を認められるしかない。
優れた家柄でもない助祭が、若いまま司祭になるというのは、きわめて異例なことと言えよう。
「では、その功績はどんなもんかってぇと……。そいつはオルデンドルフ周辺の農村や集落で喜捨を募り、相当な金額を掻き集めてヒルデスハイムに献金したって話だ。……いやはや、なんともまあ、都合の良い話っすなぁ。貧乏な農村で喜捨を募ったところで、たかが知れてるでしょうに。……だが、そいつは違った。農村集落で説法して回ったら、農家や貧乏人がこぞって家宝を差し出したそうだ。それも一度や二度じゃねえ」
ティルの眼光が、再び鋭さを帯びる。ギンとそちらの方を向いた。眼光の先には、明らかに狼狽した神父の姿がある。まさか……。この男が……。固唾を飲んで見守っていた群衆の中から、そんな言葉が漏れはじめた。なにしろオルデンドルフと言えば、二十四年前に子供たちが襲われたと目されている場所なのだ。
「ば、馬鹿馬鹿しい。神に使えるものとして、迷えるものどもを説法するのは当然のことであろうが!」
「いやはや、まったくですなぁ。ただ、そいつは司祭になる四年前から、突然オルデンドルフに足繁く通いはじめたそうで。……助祭の若造が突然ふらりとやってきてペラペラと喋ったら、貧乏な農家や集落からお宝がザクザク出てくるってんだから、まったく、神さまのご加護ってやつは大したもんですなあ。……てゆーか、そもそもあっしはその助祭が誰か、なーんて、ひとっことも口にしちゃいないんですがねぇ」
ぐっとエーリッヒが息を詰まらせた。
献金を重ねて司祭になったのが二〇年前。献金をはじめた、つまり農村や集落で喜捨を募りはじめたのがその四年前。今からちょうど二十四年前だ。この神父は、子供たちが連れ去られた直後から、オルデンドルフに通いはじめたということになる。
あるいは、さっきの鋭い眼光は、ティルのかまかけだったのかも知れない。ティルでさえも、エーリッヒがそうだという確信はなかったのかも知れない。しかし、本人が自らそれを認めてしまったのだ。
見物人、そして老人たちの視線に、怒りと恨みのない混ざった色が宿りつつあることで、エーリッヒは自分の失言に気づいたようだった。慌てて取り繕いまくしたてるが、しかし、こうなっては失言に失言を重ねるのみである。
「ざ、戯言だ! もしも私がそうだというのなら、ヴェルフェン家が黙って見ているはずがないだろうが!」
「なにがそうなのか、あっしにゃ皆目見当も付きやせんが……。まあ、ヴェルフェン家にとっても都合が良かったんでしょうなあ」
「なにを馬鹿な……っ」
「二十四年前と言えば、ヴェルフェン家がようやくすべての知行権を手に入れた……つまり、ハーメルンを牛耳ってから間もないころだ。そんな中で、ハーメルンの子供たちを襲った犯人がヴェルフェン家に連なるものだったってのは……いかにも都合が悪いやね。……だが、そいつはご丁寧にも『犯人はエーフェルシュタインの悪魔だ』って吹聴してた。ハーメルン市民もそれを信じちまった。市民にエーフェルシュタイン離れをして欲しいヴェルフェン家としちゃ、渡りに船だったでしょうなあ……」
かつて聞かされたハーメルン市の歴史がネオの脳裏をよぎった。
一二六〇年、ゼデミューンデで子供たち――ホーエン老人の話によれば、ミンデンとの和平の使者だった――を殺され、それを決定打としてエーフェルシュタイン家は敗北した。その直後にヴェルフェン家が介入したことで、ミンデン軍は撤退。
一二七二年、ザクセン地方を飢饉が襲い、それまでエーフェルシュタイン家に与していた市民の大半がヴェルフェン家への鞍替えを余儀なくされた。この「裏切り」とも受け取れる事件が、ハーメルン市民の心に棘として残ったのだ。
一二七七年、ついにエーフェルシュタイン家はすべての知行権をヴェルフェン家に売却してしまった。……ハーメルンを食い荒らす教皇派のネズミどもを一掃したエーフェルシュタイン家。結果から見れば、その恩人をハーメルン市民が自ら追い出してしまったことになる。
しかし、そんな事件を経てもなお、市民の中にはエーフェルシュタイン家への恩義を忘れず、ハーメルンを乗っ取ったヴェルフェン家に反感を抱くものは少なくなかったのだろう。あるいは、ゼデミューンデで子供たちを殺したのが誰なのか、ハーメルン市民も薄々勘づいていたのかも知れない。
……そして、それから七年後の一二八四年にハーメルンの子供たちがさらわれたのだ。その犯人が「エーフェルシュタインの悪魔」となれば、ヴェルフェン家にとってこれほどありがたい話はあるまい。
きっと、あまりにも都合の良い献金を繰り返したその助祭は、ヴェルフェン家の中でも疑われはしただろう。しかし、あえてそれを追求するだけの理由が、ヴェルフェン家にはなかった。むしろ、そのままにしておくほうが、はるかに都合が良かったのだ。
「だが、ヴェルフェン家が見て見ぬふりしても、ヒルデスハイムの記録は誤魔化せねえ。その助祭は、明らかに二十四年前からまるまる四年間かけて一五〇〇グルデンもの献金を支払って、その功績で司祭になっているんだ。まるで、オルデンドルフに隠していた金銀財宝を小出しにするようにね」
ティルが喋れば喋るほど、エーリッヒに向けられた見物人の視線は鋭さを増していく。さっきシュタイナウと晴れて和解した老人たちも、辛辣な目を神父に向けていた。きっと卵や石つぶてがあったら、迷わずにぶつけていたことだろう。
「……エセ神父……。てめえが……」
老人たちを代表して、シュタイナウが幽鬼のごとくゆらりと立っていた。
もちろん、シュタイナウとてその可能性を考えはしただろう。そうでなくとも、この神父はネオを陥れようと、これだけの計画を練っていたのだ。しかも手口が手口だ。エーフェルシュタインの悪魔に罪をなすりつける。二十四年前にも、まったく同じ事が行われていたではないか。
そう考えれば、植民失敗の報が当人たちより先に届いていた矛盾にも、説明がつく。オルデンドルフで子供たちが襲われたとあらば、そのあたりの集落が疑われるのは当前だ。「エーフェルシュタインの悪魔」は、追及の目をそらすための身代わりとして、うってつけだったろう。
しかし、それは、あくまでも想像でしかなかった。想像の域を越えるだけの証拠など、なにひとつなかった。今回エーリッヒが企んだことが二十四年前の事件に酷似しているというだけで、それ以上の確証があるわけではなかった。……だが、それがただの想像などではなく、金の流れによって裏付けられているということを、ティルがあっさりと証明してしまったのだ。
が、ティルは片手でシュタイナウを制して、今度はネオの方に向き直った。
「さて、二十四年前の子供たちの失踪事件。そのすぐあと、偶然にも司祭に成り上がったうだつのあがらない貧乏助祭。そいつに金銀財宝を喜捨しまくったオルデンドルフの盗賊……じゃねえや、農民たち。あっしに調べられるのは、この辺りが限界なわけでやすが……。ネオさん、あんたには他にもできることがある」
「…………」
どんな提案をされようが、なんでもやってみせよう。子供たちをさらった本物の悪魔に、裁きを受けさせてやる。なにも言わずに続きを促した。
「ひとつ。まずは、今回の事件のことでさ。我らがエーリッヒ神父は、ハノファーレ市でブラウンシュヴァイク公国の兵隊と合流できるって吹いてやしたが、実際にはそんな話はなかった。そして偶然にも、ハノファーレの手前のシュプリンゲ村には一〇人からの盗賊が待ち構えていた。……一連の事件のつながりに関して、あんたはエーフェルシュタイン家として、マクデブルク司教に告発することができまさぁ」
「告発します」
即答した。満足気にティルは頷き、そのまま朗々と続けた。
「ふたつ。……こっちは二十四年前の事件のことでさ。ま、なにしろ古い事件だ。直接手を下したかどうかも定かじゃねっす。しかし、明らかに不自然な一五〇〇グルデンの喜捨。そして、その資金源になったっていう、オルデンドルフの農村や集落の住民たち。こいつらの正体を明らかにするよう、あんたはエーフェルシュタイン家として、」
「告発します」
ティルが言い終わらぬうちに、返事をしていた。そして、すべての元凶となった神父に向き直った。いまや、ハーメルン市の住民すべての懐疑と憎悪の眼差しが、たったひとりの神父に向けられている。話はついたとばかりに、ティルもエーリッヒに侮蔑の視線を投げかけた。
「エーリッヒの旦那、あんたはお金だけで満足しときゃよかったんだ。子供たちをさらってせしめた二〇〇〇グルデン。ちょいと贅沢な貴族生活って程度で満足しておけば、誰にも気づかれることはなかったでしょうよ。……だが、司祭さまにまでなっちまったら、もう逃げらんねえや。なにせ、ここいらで司祭の洗礼をすると言えば、司教さまのいるヒルデスハイムかミンデンくらいしかねえ。……んで、ハーメルン市が、恨み重なるミンデンの司祭を受け入れるはずがねえとくりゃ、調べるのは簡単さ。……金の流れはどこまでも追いかけてくるんだ。あんたの運命は、二〇年前に決まってたんでさぁ」
「……ならば」
番兵がひとり、あっと叫んでいた。エーリッヒが、すぐ横にいた番兵の腰から、剣を引き抜いたのだ。取り戻そうとする番兵にその剣を突きつけて制しながら、広場の中央へと進み出た。
「我が潔白を、主の前にて証明してみせようぞ」
「おおっと、決闘神判ですかい? ええっと、帝国法では……」
「いったいどこの帝国が、この剣を止められるというのだ?」
決闘神判。すなわち、どちらが正しいかを神さまの前で決闘することによって示そうということだ。もしも潔白であるのなら、神さまが味方をして勝たせてくれるはず。……と言えば聞こえは良いが、ようするに弱肉強食、暴力による制圧以外のなにものでもない。
もちろん、原始的とさえ言えるこの裁判形式は、帝国によってかなり昔から禁じられている。しかし今、帝国がまともに機能していないのだ。裁判では埒が明かぬ場合に、こういった形で決着が付けられることもまた、珍しいことではなかった。
今や街中の怨念を向けられているエーリッヒは、ほとんどやぶれかぶれとなり、告発者であるネオに対して決闘神判を申し込んだのだ。
「たった今、すべての告発を取り消して、ハーメルンを永遠に去るのだ。でなければ、この剣に物を言わせてくれようぞ」
ビュビュンと剣を振るった。剣はまるでエーリッヒの腕に絡みつく動きで、ひと目で熟練の技と見て取れた。この男はただの司祭ではなかったのか? あるいは、人のよい神父の皮を被りネオを騙し続けていたように、二十四年前には助祭の皮を被り、裏では自ら盗賊たちを率いていたとでも言うのか? いずれにせよ、その剣さばきは侮れるものではなかった。
「さあ、受けるか、逃げるか。……選べ。ネオ・エーフェルシュタイン」
ネオは、ちらりとシュタイナウを見た。幽鬼のごとき形相を浮かべたまま、ネオの返事を聞き漏らすまいとしていた。イルゼを見た。シュタイナウの傍に寄り添い、やはりネオを見つめていた。視線が触れあった途端、脚の震えが止まった。いや、脚が震えていたことに、止まってから気づいた。
やけに穏やかな気持ちで、ゆっくりと進み出た。これは、自分だけの戦いではないのだ。
シュタイナウ、アマラ、そして、イルゼ……生まれてはじめて愛した少女。二十四年前に子供を失ったハーメルンの住人。ネオが愛するものたち。それに関わったものたち。彼らの代表として、今のネオは剣の前に立っている。
それに、エーフェルシュタイン家――いや、正直なところ、エーフェルシュタイン家など、昨日までは他人だった。いまや自分の祖父であることが明らかになったホーエン老人。かの老人にこれまでに受けた恩義以上のものを、今ここで捻り出すことは難しい。しかし、この際、ホーエン老人の分も、この剣に乗せたかった。それが力になってくれる気がした。
ついに、エーリッヒの前にまできた。迷いはない。
「受けます」
静かに言って、腰の剣を抜いた。エーリッヒの顔に残忍な色が走る。もはや、それは神父のものではなかった。先日ネオとイルゼを襲った四人の盗賊たち。それと同じ、狂気を帯びた喜悦の色が、瞳に宿っていた。気圧されるまいと、脚に力を込める。
エーリッヒが動きを見せるか、そう思った瞬間、
「よく言ったぞ、ネオ」
幽鬼のごとく佇んでいた男が、力強く踏み出していた。背後のアマラが投げて渡した剣を、振り返りもせずに受け取る。ビュンと風を斬る。歩きながら、宣言した。
「ゲルハルト・フォン・エーフェルシュタイン・トラバント。……わかりやすく、シュタイナウ、でもいいぜ? 代理剣士として、そしてエーフェルシュタイン家の近衛兵として、ネオ・エーフェルシュタインに代わり、この勝負引き受ける」




