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ジョングルール ~ハーメルンの笛吹き男~  作者: 凪茶房
第四章 靴屋のネオは旅に出る
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追手

 南の門をくぐると、道はすぐに森の奥へと吸い込まれた。夕闇が迫る森の中に踏み込む。それを思うだけで背筋がぞっとしたが、しかし、川沿いの道は連中に出くわす危険が大きいのだ。恐怖をぐっと飲み込んで、脚を踏み出した。

 森の中の道は細かったが、思ったよりも泥は踏み固められている。このぶんならオットーのお城には今日のうちにたどり着けるかもしれない。例の盗賊も、おそらくネオたちはヘーレン集落で夜を明かして、明日になったら川沿いを歩くと思っているだろう。

 落ち着きを取り戻すに従って、今の自分の状況が信じられなく思えてきた。誰かに命を狙われて追いかけられる。そんなことが自分の身に起きるなんて、考えたこともなかった。

「ね、イルゼ。さっきの……『あんなふうに近づいてくるのは悪人だ』ってどういうこと?」

「……道には、道のルールがありますから。きちんとした騎士様なら、人とすれ違うときには速度を落として、敵意のないことを示すものです。……さっきみたいに、剣を構えて突進してくるなんて、『これから殺してやるから覚悟しろ』って大声で叫んでるのと変わりません」

「ふうん……」

 確かに、迫り来る馬の蹄の音は、ただそれだけで相手を恐怖に陥れ、心を硬直させてしまう。事実、ネオはあのとき恐怖に凍りついて動けなくなっていた。実のところ、あの連中が剣を構えていることにすら気づく余裕がなかった。そうした不安を相手に与えないこともまた、道行く者たちのルールなのだろう。それをせずに、一直線に相手に突っ込んでいくなど、相手を恫喝し、喉元に剣を突きつけているのとなにも変わらないのだ。

「でも、この道なら、馬で駆けるのは難しいです。街道よりも、ずっと安全だと思います」

 イルゼの言うとおり、道は次第に狭くなって行く。しかし、さすがに辺りが暗くなってきたら呑気なことも言ってられなくなってきた。そろそろオットーのお城とやらが見えても良い頃合いじゃないのか? そんな焦りに駆り立てられる。

 火打石を擦って、松明に火をつけ、黙々と進んだ。ぽつぽつと話をしていたイルゼの口数が少なくなり、その表情も重苦しくなってくる。イルゼもそろそろオットーのお城が見えるはずだと思っているのだろう。真っ暗な森だ。もしも人の気配があるのなら、木々の隙間からちろちろと松明やら明かりやらが覗くはずだ。なのに、一向にその様子はない。

 まさか。まさか……。嫌な考えが脳裏をよぎる。夜の森の中で道に迷うことがなにを意味するか、わからないわけがない。恐怖を押さえこむように、一歩一歩を懸命に踏みしめた。

 突然、イルゼがネオの袖を掴み、ロバを引いて道から逸れた。松明を柔らかい地面に頭から突き刺して、火を消す。途端に、痛いほどの暗闇が目に突き刺さった。文字通り、目を開けても閉じても松明の残像ばかりがこびり付いてなにも見えない。そこにイルゼがいるかどうかさえもわからず、手で探った。柔らかな体に触れたと思った途端、向こうからしがみついてきた。

「イルゼ……?」

 その名を呼ぼうとするが、口をふさがれる。理由はすぐにわかった。馬の足音が迫ってきたのだ。柔らかな土を踏みしだく音が、ドスドスと響く。どうやら馬は一頭らしい。松明の匂いでも嗅ぎつけたのか、ふんふんと鼻を鳴らす音が聞こえる。……すぐ近くだ。しかし、この騎手は松明もなしでどうやって道を進んでいるのか? ――いや、そもそも、これは人間なのか?

 夜の森を狩猟場とする狩魔王がいるという。それに捕まったら、魂を抜かれて人狼にされてしまうという。今、目の前にいるのがそれなのか? 息を殺す。ドッドッドッドッ、と心臓の音が鳴り響く。この音で見つけられてしまうのではと、互いに押さえ合うようにイルゼを抱きしめた。腕の中で、イルゼの身体がガタガタと震えていた。

 少しの間、ふんふんと臭いを探る様子の鼻息が続いたが、しばらくすると興味をなくしたらしい。ドスドスと音を立てて去っていった。どの方角に去っていったのかすら、まったくわからなかった。文字通り、闇から現れて、闇へと去っていった。

 馬の気配がなくなったあとも、イルゼは離れなかった。震えは止まらず、すすり泣くようにポツポツと漏らした。

「ネオさん……ごめんなさい……。わたし、道、間違えちゃったみたいです……ごめんなさい。ごめんなさい」

 ――いったい。自分は、なにをやっているのか。

 アェルツェンからこっち、イルゼの強靭さに驚いてばかりだった。いや、東方植民のときから、疲れひとつ見せずに歩き続ける様子には驚いていた。イルゼにまかせておけば、外の世界では怖いものはないように思っていた。しかし、そうではないことを思い知った。

 盗賊に襲われて、こんな小さな女の子が怖くないはずがないじゃないか。夜の森の中で道に迷って、怖くないはずがないじゃないか。自分は、そんなイルゼに頼りきって、寄りかかっていたのだ。イルゼに命がけで弓を射たせて、自分は恐怖に固まるばかりだったのだ。

 馬鹿。イルゼを守るんじゃないのか。命をかけて、この女の子を支えるんじゃないのか。自らを罰する思いで、奥歯をギュッと噛んだ。腕の中で震える少女を、しっかりと抱きしめた。

「大丈夫……。イルゼ、大丈夫。必ず、なんとかなるから。……謝ったりしないで。それに……こんなときだけど……ありがとう。僕は、君に、何度も命を助けられてる。……イルゼ、ありがとう。傍にいてくれて、本当にありがとう」

「ネオ……さん」

 イルゼのほうもしっかりと腕を回して、ぴたりとひとつになった。暗闇のなかで、それだけが唯一確かなものだった。


「あんれまぁ。こんなところに旅人さんがいるよぉ。いったいぜんたい、どうしたってんだぃ」

 耳慣れない声に飛び起きた。イルゼも、昨日とまったく同じ姿勢でネオにしがみついたまま眠っていた。先に起きたアレクサンデルとアルブレヒトが、そこいらの草をもぐもぐと食んでいた。

 声の主は、どこかの村から山の果物か木の実でも取りに来たといった風体の女性だ。腰が抜けそうなほどの安堵が襲ってくる。が、どうにか心を奮い立たせた。

「あ、お、おはようございます……。僕たち、道に迷っちゃって……昨日、狩魔王が出て……」

「ああ、このへんには出るらしいねえ。そうかい。無事で良かったねえ」

 昨日のあれはやはり狩魔王だったのか。改めてぞっとした。しかし、こうして村の女性がここまで来るということは、僥倖だった。なぜならそれは、イルゼが道に迷ったわけではなかったということだからだ。

「でんもぉ、道はこれであってるよぉ? このまま向こうさ行けば、ブライテフルト村に出るさぁ」

 どういうわけか、オットーのお城を見つけることはできなかったが、しかし、どうにか森を抜けて、ヴェーゼル川に沿って大きく遠回りをせずに済んだということだ。

 女性の言った通り、しばらく歩いたら突然森が開けて、やにわに人の気配が広がった。ちょうど六時課(正午)の鐘が鳴っていた。

 再びホルティスミンネまでの道を聞くと、やはりここはヴェーゼル川の蛇行部を抜けた先で、川に沿ってポレ市を、そしてハイエンヒューゼンという集落を超えたらもうすぐだという。

 ようやく、ホルティスミンネが近づいてきた。頑張れば、あと一日でたどり着けるだろうか。イルゼと顔を見合わせる。お互いに頷き、歩き出した。

 あと少し。あと少しだ。少しだけ余裕が戻って、歩きながら食事をした。旅の間の食事は、アェルツェンで買い込んだ巻きパンにチーズにベーコン、干した根菜にいんげん豆などだ。しかし、巻きパンを水で柔らかく戻すのももどかしく、ましてベーコンや根菜、いんげん豆を煮こむ時間は欠片もなく、二人揃ってパンとチーズを千切っては齧りつつ歩いた。

 ポレ市。ハーメルンとほぼ同程度の規模を持つ、久しぶりの大きな街。それを足早に通りすぎて、そろそろハイエンヒューゼンが見えてくるのではないかと思っていたころ、再びイルゼが緊張した。また馬の蹄の音が響いてきたのだ。しかし、ここはまずい。森や茂みもなく、見通しの良い丘の道だ。どこかに隠れる場所を、などと思う間もなく、三頭の馬が迫ってくるのが見えた。

 イルゼが弓に矢をつがえる。しかし、向こうも一度は甘く見て痛い目にあっているのだ。同じようにのこのこと近づいてきたりはしない。射手が一人しかいないとわかっていれば、いくらでも対処法はあるということなのだろう。二〇クラフタ程度を挟んでじりじりと距離を詰めてくる。イルゼが焦れて……というよりも、その細腕では弓を引き絞ったまま構え続けるのが難しいらしい、見る間に疲労で腕がぶるぶると震えはじめ、射つのを断念して矢を引き戻してしまった。それを見計らって、再びじりりと距離を詰めてくる。慌てて弓を引き絞るイルゼだが、すぐにまた微妙に距離を離してしまう。イルゼの額に焦りが汗となって浮かんだ。それを、三回か四回繰り返したとき、ついに弦を引いていたイルゼの指が滑った。ほとんど狙いも定まらぬままに矢を放ってしまった。次の矢をつがえる前に突進しようというのか、馬が一気に動く。蹄の音を響かせて距離を詰めてくる。

 イルゼは諦めずに次の矢をつがえようとしているが、その細腕は疲労に震え、しばらくはまともに弓を引けるとは思えない。このままでは、イルゼが馬に蹴散らされてしまう。とっさに、イルゼの前に出た。剣を抜いていた。

「ネオさん! 右へ!」

 厳しく声が飛んで、わけもわからないまま、しかし言われた通りに街道の右側に陣取った。イルゼもその背後に回る。すぐにその理由はわかった。馬上の盗賊は右手に剣を構えているのだ。当然、相対するこちらから見ると、左側面から剣が襲ってくることとなる。ゆえに、手綱を握っている騎手の左手側、すなわちこちらから見て右側に陣取るのが有利になるのだ。三頭はその様子を見て、舌打ちして一旦通り過ぎた。そして、改めて馬をこちらに向けて、迫ってきた。

 街道から外れたらふかふかの草むらとなり、馬の足も鈍る。剣を正面に構えつつ、イルゼとともにじりじりと川の方へと下がる。イルゼもまだ弓を引き絞るだけの力が戻っていない様子だ。ついに、川にまで追い詰められてしまった。

 飛び込めば逃げきれるだろうか。しかし、相手は水を嫌う人狼ではなく盗賊だ。川に沿ってどこまでもどこまでも追いかけてくるかも知れない。それに、荷物を積んだままでは、ロバ二頭はどうやっても水には入れない。

 川沿いににじり下がるのを、三頭の馬がゆっくりと追う。うちの一人が憎々しげに言い放った。

「散々手こずらせやがって。昨日やられた分は、きっちりお返ししてやるからな……。恨むなら、エーリッヒの旦那を恨むんだな」

「…………っ!」

 やはり、という気持ちと、なぜ、という気持ちがない混ざった。エーリッヒの「このままでは済まさんぞ」という言葉には、単に「ハーメルン市で生活できなくしてやる」という以上の、深い憎悪が感じられたからだ。しかし、やはりわからない。なぜ、どうして、そこまでして? 確かにエーリッヒは東方植民に失敗したことで、ヴェルフェン家の中では面目が丸つぶれになったろう。しかし、それは、こうして盗賊のような輩まで雇って、こんなところまでネオを追いかけ回すほどのことなのか? 私怨だけでこんなことをして、いったいエーリッヒになんの得があるというのだ?

 だが、現実にエーリッヒの放った追手が、目の前にまで迫っている。馬の蹄で蹴り上げるだけで、ネオもイルゼも大怪我をするだろう。ならばその前に、馬に斬りつけるか?

 考えながらも、騎手の剣の届かない馬の右手を維持した。相手も焦らずにじりじりと詰めてくる。かくなる上は、馬に一撃切りつけて川に飛び込もう。ロバのことはあとで考えるしかない。そう思い至り、イルゼに目配せした。イルゼもどうにか一回くらいは弓を引けるだろうか。機を見計らい、剣を構えて、じりっとにじり下がった。

 そのとき、遠くから更に一頭の馬がやってくるのが見えた。昨日の仲間が加わってしまったのだ。これで、相手は四頭。ますます不利な状況だ。遠目だが、新手の騎手の顔には見覚えがあった。ああ、この青年だったのか。この青年が、エーリッヒの手先として動いていたのか。それでは、勝ち目があるはずがない。逃げきれるはずがない。そう思ったが、しかし、三人の盗賊はその一頭の接近を予測していなかったらしい。反射的にそちらを向いていた。

 ネオの脳裏にあのときの言葉が蘇った。

 ――そんなんじゃ、誰ひとりとして生きて帰れないってなもんだ――

 ティルは、ネオが次にどんな状況に陥るのかを明らかに知っていた。ハーメルンの街に逃げ帰ることになるのも。そしておそらく、シュタイナウがわざと捕まることも。その上で、ここに来たということは、ティルはエーリッヒの手先ではなく――。

 瞬間、身体が動いていた。馬の前脚に向かって、剣を突き出していた。すぐ横で、ドンと鈍い音がした。直後、馬上のひとりが呻き声を上げて落馬する。ネオに刺された馬は大きくいなないてネオを蹴り上げようと前足を持ち上げる。無我夢中で転がって蹄を避ける。突然の馬の動きに、乗っていた盗賊はもんどり打って地面に叩きつけられた。

 凄まじい速度で駆け寄ってきた馬、その騎手の青年が騎乗にありながら剣を抜く。状況を察するやいなや、最後の一頭はきびすを返して逃げ出した。ネオに刺されて怪我をした馬も、イルゼの矢によって騎手を失った馬も、一緒に走って逃げていった。

「いやー。ギリギリ間に合ったってとこっすかねぇ。遅れてすまねっす。……こちとら、あのあとハノファーレからヒルデスハイムくんだりまで出かけて、ハーメルンにトンボ返り、それからアェルツェンからこっちまで振り回されやしたからねぇ」

「ティルさん……どうして」

 元より謎の多い青年である。その謎もここへ来て最大限に膨らんだ。どうしてティルがネオの後を追ってきたのか? いや、そもそも、ネオを守るためにここまで来たのだということは、つまりティルはネオの危機を知っていたということでもある。

 しかし、疑問に満ちた眼差しを受けてもなお、ティルはカラカラと笑っていた。

「ふふん。これも仕事のうちでさぁ。料金分は働かないとねぇ。……そいじゃ、行きましょか。いざ、ホルティスミンネ! 真実の砦は目と鼻の先でさぁ」


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