表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジョングルール ~ハーメルンの笛吹き男~  作者: 凪茶房
第三章 靴屋のネオは東方植民へ志願する
30/39

断片

 呆れたものである。そうでなくとも、ネオや子供たちの証言によって厳戒態勢が敷かれていたのだ。そんなところに、例のわざとらしい付け髭で変装して、二匹のロバを連れてのこのこと入り込もうとしたそうだ。まさか、黙って通してもらえるとでも思っていたのだろうか。あっという間に取り押さえられ、縛り上げられ、市参事会館の地下牢に連れて行かれた。それまでの間、子供たちが、そしてその両親たちが、次々に石を投げた。血まみれになりながらもシュタイナウは呪いの言葉を振りまいたらしい。

 ――必ず、必ず復讐を遂げてやるぞ! 裏切りものを地獄に引きずりこんでやる!――

 その言葉に大人も子供も、老人までも震え上がった。改めて、エーフェルシュタインの怨念の深さを思い知らされたということだった。

 ネオとイルゼ、そしてアマラがシュタイナウに会うことが許されたのは、市参事会にもネオたちに子供を助けらた親がいたためだ。事件の当事者として犯人に直接問いただしたいことがあると訴えたところ、すんなりと通してもらえた。

「本当は、すぐにでも火あぶりにしちまえって声も多いんだけどな」

 見張りの男はネオたちを案内しながらそんなことを言ったが、しかし、どうもそう簡単な話ではないらしい。市参事会としては、死刑にする前にはっきりさせておきたいことが、二点ほどあるという。

 まず、共犯者の存在。とりあえずアマラに関しては、共犯者というよりむしろ子供たちを助けた協力者として扱われた。なんといっても子供たちがハーメルンに戻るのを守ってくれたのだから、少なくとも疑われてはいない。問題はティルだ。ずっとネオを騙して、そればかりか護衛の代金をエーリッヒからまんまとせしめて、事件の後はそのまま姿をくらました。もちろん、今も行方不明のままである。

 市民はシュタイナウよりもむしろ、姿を見せないティルに怯えていた。あるいは、シュタイナウの侵入は陽動で、その騒ぎの隙にハーメルン市に忍び込んでいるかも知れない。あるいは、ハーメルン市に火をつけるような破壊工作を企んでいるかも知れない。いや、もしかしたら、ティルだけでなく、他にも仲間が他にもいるのかも知れない。そんな不安の声が、住民の間で飛び交っていた。

 もうひとつは、二十四年前の事件のことだ。シュタイナウは二十四年前の事件で子供たちをどうしたのか。人買いに売り飛ばしたというのなら、どこで、誰に売ったのか。そこまではっきりさせて、はじめてシュタイナウを二十四年前の事件の犯人として断定できるらしい。

 それらのことをシュタイナウに喋らせる必要があるという。ネオが面会を許されたのも、その会話からポロリと手がかりが零れないかという期待もあったようだ。

「まあ……実際のところ、そんなのは建前でな。みんな怖いんだよ。俺だってそうさ。できることなら、あいつを死刑にすることで、呪いに関する噂のすべてをまとめて葬りたい。そんなふうに考えているのさ」

「でも……ティルの行方や二十四年前の件がはっきりしなくても……結果は変わらないんですよね?」

「そりゃあそうだ。ダンマリを決め込んだところで、土曜日の裁判で正式にそれらの罪をぜんぶおっかぶせられるだけさ。その上で死刑にすりゃ、万事解決だろ? ……そら、ここだぜ。なんか手がかりがわかったら、あとで教えてくんな?」

 言いながら、牢獄の扉をガチャリと開けてネオたちを通した。思ったより広い空間が、三つばかりの鉄格子で仕切られていた。ネオたちの会話が聞こえていたのだろう、真中の鉄格子の中で寝転んでいる男が、姿勢を変えないまま横柄に言い放った。

「なんでぇ。一週間もここで待たされんのかよ」

 シュタイナウは血まみれではあったが、どれも大した傷ではない様子だ。相変わらずニヤニヤと笑いながら出迎えるその相貌は、大きな刀傷と流血が相まって、凄まじいものになっている。なるほど、この凄みのある顔で呪いの言葉を吐かれては、市民が震え上がるのも納得というものだ。

「呑気なこと言ってねえでさっさと始末付けてくれりゃ、話が速いのによう。だろう? イルゼよ」

「……っ!」

 突然の言葉に、イルゼが固まった。確かに、イルゼが父親を殺されたことを市参事会に告発すれば、その時点でシュタイナウの罪は確定する。しかし、イルゼは辛そうにかぶりを振った。

「馬鹿が。まだヌルいこと考えてやがんのか。いいか? ガキだったとは言え、お前もその目で見たろう。……俺がお前の親父に剣を突き立てた様子をよ。それをそのまま証言すりゃ、お前は呪いから解放さるんだ。お前の手には、親父の仇を討つための剣が握られてるんだよ。さっさとそれを振るって、呪いを終わらせやがれ」

 だからと言って、ひどすぎる。イルゼがどんな思いでシュタイナウと一緒に旅をしていたのか。それを思うと、あまりにも残酷すぎる。もちろん、ネオも同じ気持だった。なによりも、わからないことが多すぎた。なにもわからないまま、納得できないことをたくさん抱えたまま、すべてを終わったことにするなんて、我慢ならない。

 たまりかねて、イルゼがつぶやいた。ほとんど泣き声だった。

「どうして、ですか。どうして……わざわざ、捕まりに、戻ってきたんですか」

「……!」

 イルゼのその言葉を聞いた瞬間に、ネオの中でなにかがパチンと音を立ててはまった気がした。そうだ。シュタイナウは、わざわざ捕まりに戻ってきたのだ。捕まればどうなるか。死刑になるに決まってる。つまり、シュタイナウは死ぬために、わざと捕まったのだ。もしも、本当に言葉通りにシュタイナウがハーメルンを呪っているのだとしたら、絶対にありえない。あるいはティルが背後にいるのか。――いや、ティルの言動にも違和感があった。思い出せ。思い出せ。ティルの言葉に、強烈な違和感を覚えたことがあったはずだ。

「決まってんだろうが! お前らが、のこのこと生きて帰ってきた以上、どこまでも追いかけるのが悪魔ってもんだ。俺が死ぬまで、絶対に終わらねえ。だが、イルゼ。お前が市参事会に告発すりゃ、それでぜんぶ終わるんだぜ?」

 それだ。ティルの言葉の違和感は、それだ。あのときの言葉が、鮮明に頭に蘇った。

 ――ネオさん、アンタが子供たちに嫌われたら、みんなバラバラだ。そんなんじゃ、誰ひとりとして生きて帰れないってなもんで――

 そもそもが、両親と永遠に別れての東方植民なのだ。ハーメルンに生きて帰る、そういった旅ではなかったはずだ。なのに、ティルは「生きて帰れない」と言っていた。まるで、この先ネオたちがハーメルンに逃げ帰ることを知っていたかのように。そして、そのティルは、シュタイナウと共謀していた。と、いうことは。

 ――どう考えたって、復讐する相手が間違っちゃいないですかね?――

 ――つまり、子供たちをさらった悪魔は、復讐なんかよりも、もっと別の狙いがあったんじゃないかってわけで――

「…………っ!」

 その言葉の裏に、なにかの意味が秘められていることに、気づいてしまった。心底、ぞっとした。今思えば、あの言葉も、聞き間違いではなかったのだ。

 ――あたしたちは子供たちを狙う悪魔を出し抜くために、ずっと機会を狙ってきたの――

 あたしたち。アマラのほかに、誰がいるというのだ? 思えば、おかしいことばかりだった。あの廃墟でネオを縛る縄を切った短剣。子供が餞別として持たされた、家宝の短剣だ。もしも財宝が目当てだったのなら、まっさきに奪い取るべきものだろう。いや、一〇〇人もいたのだ。短剣などではなく、もっときちんとした剣を持った子供だっていたかも知れない。それらに何ひとつ手を付けることなく、アマラひとりに見張りを任せていた。奪うべき宝物であり、警戒すべき武器でもありえる子供たちの家宝を放り出して、当人たちはいったいどこに行っていたのか?

 ――シュプリンゲ村のほうから、誰か来るかも知れないから、そっちの見張りね――

 いったい、誰が。ハノファーレ市からブラウンシュヴァイクの兵隊が迎えにくるというのであれば、まだわからぬでもない。しかし、シュプリンゲ村は近くを通るというだけで、目的地でもなんでもない。いったい、シュプリンゲ村から、誰が来るというのだ?

 まさか。まさか。よろりと脚がふらついた。慌ててイルゼが支えてくれた。目眩に襲われていた。

「ネオさん?」

 真っ青になっていたのかも知れない。イルゼに肩を支えられたまま、どうにか頭をおこした。今まで、ただの違和感として片付けてきたそのひとつひとつに、とんでもない事実が隠されている気がした。シュタイナウに聞いても、誤魔化すだけだろう。ならば、それを聞くべき相手は。

「……アマラさん。聞いていいですか」

「なにかしら?」

「アマラさんは、ずっと機会を窺ってたといいましたよね」

「そうよ? ずっと……気が遠くなるほどの間、ね。子供たちを狙う悪魔を出し抜く、そのためだけに息を潜めてきたの」

「やっぱり、『エーフェルシュタインの悪魔』とは、言わないんですね」

「っ!」

 アマラの表情の変化を、見逃さなかった。ネオにかまをかけられ、それに乗ってしまったことに気づいた、そんな反応だ。そこに、シュタイナウの横槍が入った。

「どっちにしろ、悪魔はここにいるじゃねえか。イルゼよ、親の仇として告発しないまま俺が死刑になっちまっていいのか? そしたら、仇を討つ機会は永遠になくなっちまうんだぞ? ああ? どうなんだ?」

「いや、です」

「だったら、さっさと告発しやがれ。エーフェルシュタインの呪いを、お前の手で終わらせるんだ」

 明らかに、シュタイナウはイルゼによる断罪を受けようとしていた。イルゼによって過去の罪を告発され、その裁きによる死を受け入れようとしていた。そう考えれば、わざわざ捕まりに戻ってきたことも辻褄があう。イルゼに冷たい態度を取ってきたのも、それが理由か。イルゼを守り、食べものも先に与えてきたというのは、自らを断罪すべき相手が先に死んでしまっては困るからか。

 しかし、シュタイナウには大きな誤算があった。ネオにはそれが見えた。そもそも、シュタイナウのそんな計画など、最初からうまくいくはずがなかったのだ。

 イルゼは、わずかに顎を震わせていた。しかし、キュッと奥歯を噛み締め、顔を上げた。

「嫌です」

 毅然と言い放った。もはや、おずおずと遠慮がちにつぶやくのではなく、はっきりと意思を込めて返事をしていた。

「嫌です。ぜったいに、絶対に嫌ですっ。わたし、ぜったい、シュタイナウさんを、告発なんてしません。わたし、市参事会の皆さんに、言います。今まで、どんなだったかを」

 言葉とともに涙が溢れ出す。頬を流れるそれをを拭おうともせずに、しかし一生懸命に訴えていた。

「わたし、ひっく、たしかに、冷たくされてたけど……。ぜんぜん話してもらえなかったけど……。ひっく、わたしが、いままで、どんなに大切にされてきたのか、言います。……わたしの脚をからかった人を殴って、わたしの代わりに罰を受けたことも……。ひっく、どんなに食べものが少ないときでも、真っ先にわたしに食べさせてくれたことも……ぜんぶ、ぜんぶ言います。シュタイナウさんが、エーフェルシュタインの悪魔だなんて、嘘ですっ。絶対に違うって、皆さんに言いますっ」

 そうなのだ。イルゼは、こう考えてしまう少女なのだ。どんなに冷たくあしらわれたとて、どんなに理不尽な態度を取られ続けたとて、イルゼは決してシュタイナウを恨んだりはしない。他者を恨む前に、なによりも自分自身に非を求めてしまう。イルゼとはそういう少女なのだ。

 加えて、シュタイナウは――本人は自覚していない様子だが――実際のところ、とんでもないお人好しだった。付き合いの浅いネオでさえも、なんの根拠もなく「シュタイナウが悪魔であるはずがない」と確信したほどだ。その人の良さが、滲み出てしまう優しさが、ずっと守られ続けたイルゼに伝わらぬはずがない。

「イルゼ……てめえ、どこまで甘いことを、」

「シュタイナウさん」

 そっとイルゼの肩を抱いた。涙に濡れる顔を、胸に抱き寄せた。そのまま、シュタイナウのほうを向いて、ゆっくりと告げた。

「わからないことが、多すぎます。僕ら、このままじゃ絶対に納得できません。貴方は、確実になにかを隠している。それも、二十四年前の事件に関わる、重大ななにかを。それを、教えてください。二十四年前、いったいなにがあったんですか。教えてください」

「ネオ、この野郎……。俺が、どんな思いで、」

 横柄だったシュタイナウの言葉の端に、ようやく本当の感情らしきものがチラリと覗いた。しかし、それをアマラが制した。

「シュタイナウ、あんたの負けよ」

「アマラ……お前まで……」

「この子たちは、きっと最後まで納得しないわ。だって、ネオくんてば、おとなしい顔しちゃって、見た目よりもずうっと鋭いんだもの。この子ならきっと、いつの日か、自分で気づいちゃう。そのときに後悔するのは、この子たちよ? あんたが頼まれたのは、そんなことじゃないでしょう?」

「頼まれた……?」

 誰に? なにを? やはり、なにかがあるのだ。一連の事件の背後には、なにかネオの想像もまったく及ばないなにかが蠢いているのだ。

「ネオくん?」

「……はい」

「もしかしたら、あたしもシュタイナウも、命乞いのために口からでまかせを言うかも知れないわよ? シュタイナウは悪魔ってことになってるし、かく言うあたしも聞きかじり。ここでどんな話を聞いたところで、なにが本当なのかわからないんじゃない? きっと、例の神父に聞いたら、ぜんぜん違うことを言うでしょうね……。そうは思わないかしら?」

「でも、」

 だからと言って、聞かずに済ませるわけにはいかない。ようやく、真実の片鱗があらわれようとしているのだ。それを逃がすわけにはいかない。

「だから、ネオくん? あたしたちの口なんかじゃなくて、もっときちんとした、信用できる人のところに聞きに行きなさい。真実を求めるのなら、貴方はそうしなくちゃいけないのよ」

「信用できる、人?」

 いったい、誰だろう? 今までのネオだったら迷わずエーリッヒの顔が浮かんだことだろう。しかし、今ネオの脳裏に浮かぶ神父の顔は、利己に歪んだ俗物そのものだった。他にどんな人間がいるのだろうか。まったく見当がつかなかった。

 しかし、それが誰であろうが関係ない。その誰かに話を聞けばすべてがわかるというのなら、どこにでも行こう。誰にでも会おう。そんな決意を込めてアマラの目を見つめる。シュタイナウはもはや口を挟もうとはしなかった。

「でも、いいこと? ……断言するけど、そこに踏み込んだら、貴方の運命は変わっちゃうわ。もしかしたら、とんでもない争いに巻き込まれて、残りの人生のすべてが殺し合いで終わっちゃうかも知れない。脅しでもなんでもなく、貴方が首を突っ込もうとしていることは、そういうことなの。……今ならまだ、引き返せるのよ?」

 それは、アマラからの最後の忠告だった。あるいは、アマラからネオに贈る、最後の優しさなのかも知れなかった。確かに、なにも知らずにこのまま過ごせば、シュタイナウが死んでエーフェルシュタインの悪魔の事件は解決する。もしかしたら、ネオもこれまで通りハーメルンで過ごせるかも知れない。エーリッヒという理解者を失ったとはいえ、ネオを子供たちの恩人とみなす街の住民は多いのだ。靴屋として仕事を回してもらえば、なんとかやっていけるかも知れない。

 このまま、なにも変わることなく、今まで通りに。

「…………僕は」

 顔を上げた。答えなど、とっくに決まっていた。思えば、ずいぶんと前から、その気持ちはあったのだ。はっきりと固まったのは、イルゼが工房に転がり込んできたときだったが、しかし、それが胸に宿ったのは、もっと前だった。

「僕は、行きます。真実を知るために、行きます。誰のためでもありません。僕のためにです。なぜなら、僕は、とっくに取り憑かれてしまっているんですから。……この、胸のどきどきに」

 寝転がっていたシュタイナウが、面倒くさそうに、ボリボリと頭を掻いた。

「馬鹿野郎が……そんなもんに取り憑かれちまったら、付ける薬はねぇぞ」

 投げやりな態度だったが、しかし、その言葉は少しだけ嬉しそうな響きを帯びていた。もう知ったことかと言わんばかりにごろりと向こうを向いてしまう。もしかしたら、その顔はニヤついているかも知れなかった。

 ポツリと、その言葉が告げられた。

「……アェルツェン。市参事会の隠居……ホーエンってジジィだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ