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ジョングルール ~ハーメルンの笛吹き男~  作者: 凪茶房
第三章 靴屋のネオは東方植民へ志願する
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六月二五日

 聖ボニファティウス律院の鐘が六時課(正午)を告げるころには、祭りの盛り上がりは昨夜とは違う色あいを見せていた。

 もちろん、祭りはただ乱痴気騒ぎをするだけで終わるものではない。祭りは(まつ)りとしても、きちんとした意味がある。祭りの日には、文字通りに街の市参事会やニコライ教会、あるいは聖ボニファティウス律院が(まつりごと)をするのだ。ようするに、住民や職人の管理台帳を一新するのである。たとえば、余所から移り住んできた流入者が正式に街の住民として認められるためには、一定の期間を街から一歩も出ずに生活し、そして一定の金額を市参事会に納めることが条件とされている。それを認定するのがこの日である。また、街の若者がツンフトに加入することや、警備隊に所属することを許されるのも、この日である。そして、多くの市民にとって、おそらく最も重要なことと思われるが――、この日は住民の家族構成が新しくなる際にそれを届け出て、神さまの前で認可を受ける日、すなわち結婚式の日でもあるのだ。

 本来は教会に正式に申請して、所定の――いわば結婚税とでも言うべき――お金を納めなければ夫婦として認められないはずだ。しかし、祭りのどさくさに紛れて、家を持たぬものや放浪者なども街のあちこちで好き勝手に結婚式を上げてしまう――呆れたことに、神父までもが小遣い稼ぎにそういった結婚式に顔を出して、夫婦の誓いに立ち会ったりもする――のは、祭りではおなじみの光景だ。つまるところ、季節の祭りとは、街中合同での結婚式祭りと言い換えることもできる。

 そんなわけで、昨夜の仄暗い危うささえ孕んだ乱痴気騒ぎとはうってかわって、祭りは華やかな一面を見せていた。

 ニコライ教会の前はいうに及ばず、街のあちらこちらで綺麗に着飾った新郎新婦の姿が見受けられる。旅籠という旅籠はすべての席が満員となり、入りきれない参加者は窓から身を乗り出して覗きこみ、押し合いへし合いの騒ぎになっている。もちろん、旅籠だけですべての結婚式を催すことができるはずがない。自然、裕福な家では、それぞれの門の前にテーブルを引っ張りだして、どこぞの放浪楽師を招いている。旅籠といい、門の前といい、パーティを彩るのは、すでに聞き慣れたバグパイプの音色だ。ハーディ・ガーディやフィドルを演奏しているものもいた。

 毎年見慣れた光景ではあるが、ネオは今年に限って、どうにも居場所が見つかりにくく、奇妙な落ち着きのなさを感じていた。もちろん、叔父ともどもツンフトの一員でなくなり、街の中での明確な位置づけが失われたというのはその原因の一つだろう。しかし、それ以上に、今回に限ってはどこにいっても身の置き所がない、そわそわした感覚にとらわれてしまうのだ。

 理由は――もちろんわかっている。今までとは違い、今年は傍らにイルゼがいるからだ。そうでなくとも、今年の結婚式の新郎新婦は、とても若いものたちが目立つ。いや、若いなんてものではない。単純に結婚年齢というだけで言うのなら、ネオも十四歳、すでに一人前の大人として扱われる年齢ではある。結婚する年齢としては若すぎることは否めないが、金持ちの間ではこの年齢での結婚など、むしろ普通のことだ。しかし、それ以上に、目の前で結婚式を挙げている新郎新婦は若かった。

「あ、あの、ネオさん」

 イルゼが見つめる先、バグパイプに合わせて踊る人の輪の中心で囃されているカップルは、七歳か八歳くらいにしか見えない。

「うん……。まだ子供だよね」

「……はい」

 若い、なんてものではない。幼いとしか言いようのない子供たちのカップルが、そこかしこで親に引かれて結婚式を挙げている。あの子供たちは、結婚の意味を理解しているのだろうか。出されたご馳走と、自分たちがパーティの主役として扱われているという事実に、わけもわからず無邪気にはしゃいでいるだけにしか見えない。

 もっとも、他ならぬネオもまた、イルゼに会うまでは女性に強く惹かれるなどという経験をしたことがなかった。イルゼと会ってから、まだ二ヶ月弱。そのあまりにも密度の濃い日々の中で感覚が麻痺していたが、しかし自分もついこの間までは、なにも考えずにただ鬱々と靴を作っているだけの徒弟に過ぎなかったのだ。

 今年の、特に今回の祭りで子供たちの結婚式が目立つのには、もちろん理由がある。他でもない、彼らは東方植民の参加者だ。裕福な家の次男や三男、あるいは次女や三女として生まれた子供たちは、やはり村の創始者となるべく東方植民へと送り出される。つまり、彼らにとって、明日のヨハネとパウロの日が今生の別れと言っても過言ではないのだ。その前に、子供たちの晴れ姿を見ておきたいというのは、親としては当然の心情だろう。

 そして、ここまで幼い子供たちがあちこちで結婚式を挙げているとなると、自然、ネオたちがそれに倣わないことのほうが不自然に思えてきてしまう。居心地の悪さは、それだった。

 ダンスに参加している全員が手をつないで輪を作り、バグパイプに合わせて手を叩いてタップを踏み、輪を狭めたり広げたりしている。その中心では、幼い新郎新婦が拙い足取りで懸命にステップを踏んでいた。広がりきった輪がほぐれると、二人一組になり、それぞれが両手をつないで同じ調子でぐるぐると回る。こうなると、まるで誰も彼もが新郎新婦に見えてしまい、気恥ずかしさが募るばかりである。

「あの、えっと……ネオ、さん」

「うん」

 イルゼも同じ気持ちなのか、やはり、顔を真赤にしていた。もう少しパーティから離れたところで落ち着いたほうが良いだろうか。そんなことを考えた矢先に、

「んで……お二方は、どこぞの神父さんに立会いを頼まないんで? エーリッヒの旦那も、よもや駄目とは言いますまい。なんだったら、あっしもバグパイプでにぎやかしのひとつでもやりますぜ?」

 相変わらずの神出鬼没さで背後にあらわれた青年に気恥ずかしさを見透かされ、だけでなくペラペラとまくし立てられた。

「ティルさんっ、そんな、いきなり、ぼくは……、」

 こうなると、泡を食ってたじろぐほかない。横ではイルゼも真っ赤になった顔を見られまいとうつむいていた。

 もちろん、ネオにその願望がないはずがない。両親が死んでから四年。身悶えるような歯がゆさのなかでもぐもぐと、そして冷たい風に耐えながら黙々と生きてきたネオにとって、イルゼとの出会いは奇跡としか言いようがなかった。たとえ最初は勘違いやひとりよがりだったとしても、間違いなくイルゼの存在がネオを変え、そして成長させた。彼女の誠実な優しさが、身を投げださんばかりのネオへの深い信頼が、その暖かさが、もはや絶対に手放すことのできない宝物になっていた。身寄りのないイルゼに帰るべき故郷を作ってあげて、そこで二人で暮らすという願いは、文字通りに人生を賭けるに足る動機になっていた。その過程に、結婚という儀式が存在しないほうが、むしろ不自然なのだ。

「とはいえ……傍から見てりゃ、もう夫婦となにも変わりゃしないですがね」

 からかう調子の言葉に、ただでさえ赤く染まっていたイルゼの顔が、更に真っ赤に燃え上がる。が、それは確かにそうだ。明るいうちはネオと一緒に東の丘で過ごし、夜もネオの靴作りをかいがいしく手伝っている。寝るときも、工房にはたったひとつしかベッドがないのだ。

 初夏とはいえ、夜はまだ凍りつく寒さとなれば、ひとつのベッド、ひとつの毛布に二人くるまって眠るほかない。連日、稽古と靴作りでへとへとになってベッドに潜っていたので、少なくともこれまでは、その事実をことさらに意識する余裕はなかった。しかし、その様子は、傍から見れば夫婦でないと言うほうがおかしいだろう。

 ならば、その誓いをさっさと済ませてしまうのが筋というものだ。とはいえ、ハーメルンの祭りは、当然ハーメルン市民のための(まつ)りである。これからハーメルン市を去るネオにとって、それがどれほどの意味を持つのかは知れない。しかし、そんなことはあちこちで祝福を受けている幼い夫婦の群れ――当然、彼らもネオとともにハーメルン市を去る子供たちなのだ。つまり、彼らは市民としてというよりも、むしろ心情的な意味あいで結婚式を挙げている――を前には、些細な問題なのだろう。

 それでも、ネオは急がなかった。以前のネオだったら浮かれた気持ちのまま、さっさと話を進めてしまったろう。しかし、ここまでの経験が軽率を戒めていた。なすべきことをしなければ、話を先に進めるべきではないと、どっしりと腰を据えて簡単には動かない自分がいた。

「今はまだ……できませんよ。その前にやらないといけないことが、ありますから」

「ふうむ……なんていうか、律儀なこってすなあ。おおかた、旦那のことでしょうけどね」

 さすがにティルには隠しようもない。図星である。

「ええ。……もう一度、シュタイナウさんに会います」

 それが、ネオの思う「なすべきこと」だった。

「あの人がどう考えているにせよ……イルゼをどんなふうに思っているにせよ、イルゼにとってシュタイナウさんはお父さんです。血が繋がっていなかろうが、過去になにがあろうが、関係ありません。シュタイナウさんは、イルゼのことにケジメを付けなきゃいけないんです。イルゼを僕に託してもらうために、男として、きちんと話をつけないといけないんです」

「ネオ、さん……」

 イルゼが、ネオの手を握った。ただ手を取るだけではなく、腕を絡め、深く手をつないでいた。きゅっと握りしめてくる温もりから、イルゼの気持ちも流れこんでくるのを感じた。それで、今、自分が告げた言葉が意味するところにはじめて気がついた。

 イルゼを自分に託してもらうために、男として話をつける。それは、つまりシュタイナウに会って、シュタイナウをイルゼの父親とみなして、その上で、「イルゼを僕に下さい」と申し出て、許しを得るということである。思えば、イルゼに対する気持ちを本人の前でこうもはっきりと言ったのは、はじめてだった。

 もちろん、言うまでもなくとっくに伝わってはいたろう。しかし、イルゼは家族同然のシュタイナウに置き去りにされた身である。シュタイナウと同じく、ネオもまたあるときふらりと消えてしまうかも知れない。そんな不安の影が、胸の中から拭いきれなかったのだろう。あるいは、イルゼの無防備といってよいほどの、身を投げださんばかりの信頼は、自分の前からネオが消えてしまわないように、必死に繋ぎとめんとする気持ちのあらわれだったのだろうか。今のネオの言葉で、イルゼは今はじめて心からの安堵を得たのかも知れない。自分の抱いているその心が、ネオと同じものであることを、今はじめて確認できたのだ。やはり真っ赤な顔でうつむいているが、その目に涙が光っていた。

 それが間違いではないと、絶対に離したりはしないと伝えようと、小さな手をしっかりと握り返す。まだ誓いの言葉を口にすることはできずとも、手の温もりを通して思いのすべてを通わせんとばかりに、しっかりと手をつないだ。

 そんな様子に、さすがのティルも居心地が悪そうに頭をボリボリと掻きながら、しかし現実的なことを口にしていた。

「うーん……。確かに、筋は通りやすが……。もしも会えなかったら、どうするんで?」

 もちろん、それも考えていた。すなわち、ついにシュタイナウに会うことがなかった場合。そのまま植民が終わってしまうことも、充分に考えられるのだ。

「そのときはそのときですよ。僕が宿なしでも放浪の身でもなく、きちんとした家を持っている男となれば、誰に恥じることも、気兼ねすることもありません。僕は、僕の筋を通すまでです」

 植民が無事に終わるということは、順当に行けば、ネオとイルゼは新しい村に新しい家を持っていることになる。そして一家の長とあらば、妻を娶るのは当然のことだ。ことがそこまで進んだのなら、それまでにシュタイナウがあらわれないのなら、シュタイナウなどに構わず、イルゼを勝手に自分のものにするだけの話だ。後になってから文句をつけられても、知ったことではない。いずれにせよ、この先イルゼを手放すつもりなど、毛頭なかった。全力でぶつかってくるようにネオを信頼するこの小さな手に、ネオもまた全力で応えたいと願っていた。

 ふと、大切なことを確認するのを忘れていたことに気づいた。このままでは、またひとりよがりになってしまうではないか。慌てて取り繕い、たどたどしく言った。

「も、もちろん……イルゼが……嫌じゃ、なければ、だけど」

 イルゼはそれには答えずに、しっかりと握っている手に、更にぎゅっと力を込めてくる。まるで、今更そんなことを疑うなと言わんばかりの強さだった。

 言葉にしたいけれど、まだ早すぎる。誓いを交わすには、足りないものがある。もどかしい気持ちが、絡めた腕を伝って、繋いだ手を伝って行き交っていた。そのもどかしさを振り切ろうとでもいうのか、イルゼは意を決した様子でネオの顔を見上げ、おずおずと言った。

「ね、ネオさん……、あの、えっと……。お、おねがいが、あるんですけど……」

「うん?」

「よかったら、お、お、踊って、わたしと、踊って、もらえませんか?」

「え」

 突然の申し出に戸惑うが、しかし背後では誰ぞの結婚式の宴もたけなわ、呼ばれた放浪楽師がバグパイプを吹き鳴らし、そこらに居るものたちが好き勝手に踊りはじめているところだ。

 いや、もしかしたら、イルゼはさっきからそのことを訴えようとしていたのかも知れない。ネオが勝手に気恥ずかしくなって、勝手にパーティから目を背けて、そんなところにティルが茶々を入れたので、切り出すタイミングをことごとく挫かれてしまったのかも知れない。

「僕、あんまり踊ったことないけど……イルゼは、大丈夫?」

 もちろん脚の心配だが、イルゼは必死ささえ込めて訴えた。

「ずっと、夢、でした。……私、ずっと、アマラさんの踊りを見てました。お祭りのたびに、他の人が踊るのを、見てました。私には無理だから、仕方なく、頭のなかで、踊ってました。……でも、ネオさんが作ってくれた、この足なら、もしかしたらって。だから、だから、わたし、」

 思えば、イルゼが直接ネオになにかを求めるのは、これがはじめてかも知れない。その願いはネオが作った脚によって生まれたものでもあった。そしてそれは、年頃の女の子とあらば、ごく当たり前の願いだった。

 今までイルゼはその願いを胸のうちに抱えつつも、棒きれみたいな自分の脚を見て、ため息をついていたのだろう。いつか、ジョングルールの見世物を見たとき、イルゼはハーディ・ガーディを演奏しつつも、重く沈んだ表情を見せていた。あのときも、ネオは勝手にイルゼの胸中を推察していたが、なんのことはない。やはりイルゼは踊りたかったのだ。街の娘たちと同じように、踊りたかっただけなのだ。そして、そんなささやかな願いさえも、棒きれみたいな脚に打ち砕かれていたのだ。

 だが今は、これまでとは違う。今のイルゼは、まさしく物語に登場する、人形のお姫さまなのだ。そんな自分の脚に気づき、周囲で踊りが盛り上がるに連れ、イルゼは居ても立ってもいられなくなったのだ。この脚で、ネオが作ってくれたこの脚で踊りたい。そう願っていた。

 ならば、踊りが上手いかどうかなど関係ない。全力でそれに応えざるをえない。イルゼが願ってくれるのなら、なんだってこなしてみせる。ネオの胸にそんな豪胆な心が湧き上がった。

「僕で、よければ」

 言って、他の人の見よう見まねで胸に手を添えて、まるで騎士でも気取るように一礼し、手を差し出した。イルゼも恥じらいながら、しかしスカートの裾を両手で軽くつまみ、まさしくお姫さまのようなカーテシー(お辞儀)で応え、ネオの手を取った。


 ばらばらに踊っていた男女が再びひとつの輪に戻るところに、手を取り合ってするりと入り込む。一旦輪に入り込んでしまえば、簡単なものだった。脚でタップするタイミングも、手を叩くタイミングも、バグパイプのぐるぐると回る音に身を任せていれば、自然に身体が動いてくれた。そもそもが単純な動きである。別段、街の皆がこの日のために練習を重ねるわけでもない。決まった相手がいないならば、その場で相手を見繕うことも珍しくはないのだ。

 リズムに乗って、周りの人に合わせて左に右にふわりふわりとステップ。手拍子とともにくるりと一回転。軽く膝を上げてタップを二回。これだけできれば充分だ。つまり、誰にでも簡単に踊れる。中には、他の人とはまったく違う動きをしているものもいるくらいだ。

 イルゼもはじめて加わったとは思えない様子で、どころか、片足が義足であることなど欠片も感じさせない動きで軽やかにリズムを取っていた。輪が狭まるのに合わせてタップを踏むと、ころん、ころん、と可愛らしい音を立てて木靴が響く。再び輪が広がり、ばらりとほぐれる。イルゼと向い合って、両手をつないだ。互いに横にステップすると、そのまま二人で円を描く動きになる。手拍子を入れて、タップを踏む。再び手をつないでふわりとステップ。

 と、輪に入りそこねた。いや、そうではない。ネオとイルゼを囲んで輪がつながっていた。ここは、新郎新婦の場所だ。慌てて退こうにも、当の新郎新婦が輪に加わってネオとイルゼを囲んでいた。彼らの笑顔を見る限り、どうやら間違いではなく、わざとそうしたらしい。

 ネオとイルゼの込み入った事情を知ってか知らずか、ともかく、東方植民を率いるリーダーたる青年と、その伴侶となるであろう少女を祝福していることは間違いなかった。その意味にたじろぐが、今更ステップをやめて踊りをぶち壊すわけにも行かない。大きく腕を上げると、その腕の下でくるりとイルゼの体が回転した。スカートがふわりと舞う。回転の勢いのまま、イルゼの小さな身体はネオの腕にするりと収まった。

 互いの背中に片手を回し、身体をぴたりと寄せ合う。そのままもう片方の手をつなぐ。寄り添ったまま、ステップを交わす。胸にこすりつけ、押し付けられたイルゼの顔。ぽつりとつぶやいた。バグパイプの音が一瞬だけ高まり、途切れたその瞬間だった。

「わたし、幸せです」

 胸に押し付けられた柔らかな笑顔が、ネオを痺れさせる。嬉しそうだった。まるで、ネオの胸の中で幸せな夢を見ているかのようだった。イルゼは――この女の子は、こんなに幸せそうに微笑むのか。あらためて見るイルゼの笑顔に、胸が早鐘を打つ。それを成したのが、自分のプレゼントした木靴によるものだという事実が、誇らしくて、嬉しかった。

 かつてエーリッヒ神父にもらった駱駝革。それによる失敗と、ミンデンへの旅。そして木靴との出会いと、イルゼとの触れ合い。それらのすべてが、ここで形を得て稔りをもたらしていた。

 この笑顔のために、今までのすべてがあったのだと、素直に信じることができた。

 この愛らしい幸せの笑顔を、自分のすべてをかけて守りぬこう。そう、自分自身に誓うことができた。この笑顔の前には、見通せぬ未来にも、はるか東方への旅にも、微塵の恐れもなかった。


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