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ジョングルール ~ハーメルンの笛吹き男~  作者: 凪茶房
第二章 靴屋のネオはミンデンへ向かう
14/39

資質

「ネオ、おまえよぅ」

 夜の迫る森の近く、焚き木を集めるネオにシュタイナウがポツリと声をかけた。

「わりと本気で、旅をするのに向いてるんじゃねえか?」

「まさか」

 即答で否定しつつも、しかし、そろそろ言われるんじゃないかと思ってはいた。

 確かに、この数日で自分自身の心と身体が信じられないほど頑強に変化しているのを感じていた。生まれてはじめてハーメルンから出たあの日、野外で夜を過ごすのを怖がり、森を見るだけで震え上がっていたのが懐かしく思えるほどだ。

 もちろん、今でも夜の森は脅威である。森の中で感じる夜の気配というのは、まさにぞわぞわと這い寄ってくる触手のようで、意識を森の奥に絡め取られると、そのまま吸い寄せられる気がする。間違いなく、夜の森は人外(トイフェル)の領域である。

 森に近づくにあたり、シュタイナウに言われたことは三つ。森の奥の暗闇を決して見つめないこと。街道が見えなくなるところへは踏み込まないこと。完全に日が暮れたら、森には一歩たりとも近づかないこと。これだけを守れば、森の方から直接襲ってくることはまずないという。

 夜の世界を畏れるのは当たり前だ。しかし、必要以上に恐れる必要はない。パンを好むニクセしかり、水を嫌って川の中まで追いかけてこない人狼しかり、きちんと向き合い方と付き合い方を心得ておけば、即座に命を失うようなことにはならない。そのことを、身を持って学んでいた。

 ネオ自身、確かに、自分を少しだけ頼もしいと感じることができるようになっていた。暗い方へと向かう一方だったネオの心は、ハンザの倉庫であの靴を発見した瞬間から、エーリッヒが「大した肝だ」と評したしなやかさを取り戻していた。それは、単に図太いというだけではない。人の力の及ばぬ世界をすなおに畏れ、しかし、その神秘の空気に触れることを恐れない。それは、水車小屋を見つめるときの気持ちとおなじものだった。

 しかし、だからといって放浪者に向いているというのは言い過ぎというものだ。とても肯定しがたいといった顔のネオだが、

「まあ、実際、飲み込みの速さは大したもんだが……旅をすんのに必要なのは、そんなんじゃねえ。もっと、ずっと大切なもんがある」

 それも、予想がついていた。正しい知識と、恐れない心、そして、畏れる心。これ以外に旅をする者にとって、もっとも必要とされるもの。即ち、

「運……ですか」

 おずおずと応えるネオに、シュタイナウがまるで罵るかのように顔を近づけ、まくしたてた。

「運、なんてもんじゃねえよ! テメエこの野郎、結局、なにひとつ起きないまま一週間経ちやがって! 人狼どころか、盗賊の気配すらねえ。雨のひとつさえ降りゃしねえ! そんで、明日には懐かしのハーメルンだぜ? 普段ビクビクオドオドしながら旅してる俺たちがアホみてえだぜ! まったく、馬鹿にしてやがる!」

 理不尽な罵りだが、実際、その通りだった。ミンデンを出立してから三日。シュタイナウの言葉通りなら、そろそろなにかしらのトラブルのひとつにも見舞われるころだ。出てくるのは人狼か。それとも、川へ引きずり込もうとするニクセの歌声か。などと考えているうちに、結局ここまできてしまった。このままのペースならば、明日の午前中にはハーメルンに着くだろう。しかし、ネオとシュタイナウの歩く先には、トラブルどころか、その気配の欠片すらなかった。盗賊の殺気はおろか、猛獣が爪を研いだ形跡もなければ、雨が降って身体を冷たく打ちのめすことさえなかった。人狼どころか、野犬の遠吠えさえも聞かなかった。文字通り、順風満帆の旅だった。こうなると、さすがにネオも自分が幸運に恵まれているということを認めざるを得なくなってくる。

 しかし、シュタイナウは不意に思い出したように、罵声の勢いを収めた。頭をぼりぼりと掻き、ぼそりと口走った。それは、更に驚くべきことだった。

「だが……まぁ、ティルの奴に比べりゃ、驚くほどのもんじゃないか」

「ティルさんが?」

 あの、からからと笑う遍歴職人の青年が、それほどの幸運を背負っているのだろうか。そもそも幸運ならば、遍歴職人などをする必要はないのではとも思えるが、

「ふん。あいつは、なんていうか……別格だ。俺たちとは根本的にもってるもんが違う。もしも神さまとやらが悪ふざけで人間をこさえるとしたら、まさにティルがそうなんだろうな」

「たとえば、どんな?」

「驚くなよ? あいつな、四つの街で死刑宣告食らってるんだぜ?」

「へえ……。えっ!?」

 最初は言われた意味がわからず、ひと呼吸おいてから驚愕した。とても冗談としか思えない。いくらなんでも大袈裟に吹聴してるのではないか。そうでなければ、どうしてのうのうと生きて歩いているというのだ。いや、そもそも死刑宣告を受けるとは、とんでもない犯罪者ではないのか? まさか、数知れず人を殺してきたとでもいうのか?

「いや、それがまた呆れた話でな。罪状のどれもこれもが『悪ふざけ』さ。あいつはなにやらせても、そこそこイイ仕事するんだが……。気に食わねえ親方に当たると、洒落にならねえイタズラをやらかして逃げやがる。なんていうか……本当に洒落にならなくてな、それでつぶれた店も十や二十じゃねえ。からかいついでに領主や王侯貴族から大金をせしめて御用になったこともあるそうだ」

「それが、どうやって?」

「さあて、なんでかねえ? 口八丁手八丁とでもいうか……首吊り台にぶら下がって、あとは梯子を外されるだけって段になっても、あいつがペラペラくっだらねえこと喋ると、刑吏も街の連中も毒気を抜かれてついつい許しちまうんだと」

「まさか」

「だろ? 馬鹿馬鹿しいよな? ありえねえよなぁ。……だが、どうやら本当らしい。ハーメルンではあまり知られてないようだが……あいつ、あれでけっこう有名人なんだぜ? ハンザ同盟では知らねえ者はいねえとか。……もっとも、悪い意味で、だがな」

 まったく、得体の知れねえ奴だよ。などと言いながら、しかしその評判や素性を気にかけるでもなく同行を許しているシュタイナウも、ネオから見れば似たようなものだ。

 そういえば、今更ながら思い出した。レ・ジョングルール一座のあの踊り。ティルのバグパイプも確かなものだったが、もちろんそれだけではなかった。シュタイナウもまた、凄まじい剣技を見せていた。一歩間違えたら命を奪うか奪われるか、そのどちらかになってしまいかねない、怖くなるほどの凄絶な剣舞だった。シュタイナウの腰に下がったジョングルールにしてはきらびやかな直剣は、伊達ではないのだ。そして、意外といえば、その姿からは想像もできない凄まじい剣舞の使い手がもう一人いる。

「アマラさんは、どこであんな剣舞を?」

「うん? アマラか? あいつは、ずうっと昔からの付き合いだからな、俺が一から叩き込んでやったんだ。なにしろあの器量だ。剣のひとつも使えなけりゃ、そこらの売春斡旋人(ツーヘルター)にとっつかまって、みんなの家(ゲマイン・ハオス)〔娼館の意〕に押し込められてるだろうよ」

 どんな街でも、はずれに行けばそういった館はある。それは言ってみれば、身体を売って金を稼ぐという女性の権利を保証する施設であり、決して陰惨なものではない。だがその一方で、女性の供給が需要を満たせない場合、放浪者や立場の弱い女性がなかば強制的に収容され、無理やりそういったことをさせられることも、決して珍しくはなかった。もっとも、性病を防ぐためには栄養と清潔が不可欠なため、彼女たちは貴族や富裕層もかくやという厚待遇を受けることとなる。明日の食料にもこと欠き、物陰で身体を売るのが当然という大多数の女放浪者にとって、それは夢のような幸運だということは間違いなかった。

 だが、少なくともアマラはそれを望んでいない。今でこそ放浪楽師をしているが、あるいは、元々高貴な出自なのかも知れない。誰に頼ることもなく、自分の運命は自分で切り開く。その気概を持って、毅然と生きている。あの剣舞には、そういった意志がみなぎっていた。なんとなく、彼らの見世物の凄さの秘密、その一端を垣間見た気がした。

 身体を売る女放浪楽師。圧倒的多数派でもある彼女たちの見世物は、辛辣な言い方をするのであれば、自分という商品の価値を高めて男に売り込むための、媚びた見世物である。

 対して、レ・ジョングルール一座は、あくまでも楽師として、あくまでも大道芸人として、観衆と向き合っていた。妥協も媚びもない、精緻を極めた芸術のような見世物。それがネオの心を打たぬはずがなかった。

 彼女もそうなのだろうか。不意にそんな考えが浮かんだ。それを聞くのに、すこし躊躇する。しかし、シュタイナウがネオの心中を察したようにニヤニヤと笑っているのを見て、やはり聞くことにした。

「イルゼ……さん、も?」

「あいつにゃ剣は無理だ。だが、アマラが弓を教えてたみたいだからな、うさぎくらいは捕れるんじゃねえか?」

 ずいぶんと他人事というか、イルゼのことなどろくに知らないと言わんばかりである。親子ではないとはいうが、事実上の親代わりだろうに。他ならぬネオも、生まれてはじめて創った靴のことを、自分が新しく知った世界のことを両親が閉口するほどに語ったものだ。覚えたての弓でうさぎの一匹でも捕れたのなら、そしてそれが生まれてはじめての体験ならば、嬉々として報告するのではないだろうか?

 怪訝な顔を見せるネオに、シュタイナウは大きく息を吐いた。

「ふん……。お前は知っておいていいかもな。……アマラはともかくとして、イルゼと俺は、そう簡単な関係じゃねえんだ。ぶっちゃけた話、俺はイルゼとはほとんど話をしねえ。あいつは性懲りもなく話しかけてくるがな」

「……?」

 いったい、シュタイナウはなにを言い出したのか? 橋の上ではじめて会ったとき、イルゼはシュタイナウに番兵が見ていると注意していた。シュタイナウは「ふん」とだけ返していた。ああいった会話は、すべてイルゼの一方通行で、シュタイナウは返事すらろくにしないと言うのだろうか。

「いったい、」

「どうしてって? そんな無茶苦茶があって良いはずがねえからさ。あいつが俺と仲良くお喋りするなんて、そんな罰当たりなことが許されるはずがねえんだ」

 そういえば、ジョングルールのメンバーはすべて他人だと言っていた。シュタイナウとアマラならば、夫婦と言われても、そうでないと言われても、不思議はない。しかし、イルゼが彼らの子供ではないのだとすると、確かにそこには奇妙な謎が垣間見える。

「いったい、」

 おずおずと同じ言葉を繰り返す。シュタイナウの瞳が、焚き火の向こうでギラリと光った。刀傷も相まって、凶暴ささえ感じさせる視線に突き刺される。微動だにできないネオに、にわかには信じられない言葉が飛び込んできた。

「俺が、あいつの親父を殺した仇だからさ。そんで、俺はあいつをかっさらって連れ回してる人さらいってことだ」

「……まさか」

「そんな連中が、楽しく家族ごっこなんてできると思うか? まさか! 生きるために、仕方なくやってるだけだ。あいつだって、心の底では俺を恨んでるさ。いつの日か、親父の仇討ちをするだろうよ。……それが、俺たちが一緒にいる理由さ」

 思わず、まじまじとシュタイナウのほうを見る。焚き火越しの暗がりに浮かぶ顔はうつむきがちで、表情を読み取ることはできなかった。しかし、焚き火を見つめる瞳がギラギラと銀色に光り、凄惨な色をたたえている気がした。


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