ハーメルンの笛吹き男
昔々の出来事です。
小さな街ハーメルンの人々は、楽しく、幸せに暮らしていました。
ですが、たったひとつ、悩みの種を抱えていました。
それは、ネズミです。
ネズミなんて怖くない? そんなことはありません。なにしろネズミときたら、みんなが冬を越すために取っておいた食べものを、次から次へと食べてしまうのです。
そればかりか、食べものが少なくなったら、今度は家の壁や柱までも噛りはじめる始末です。
あっという間にハーメルンの街は穴だらけ。食べものもなくなってしまいました。
みんなはネズミをやっつけようと追い回しますが、なにしろ小さくてすばしこいので、捕まえることができません。なんといっても、数えきれないほどたくさんいるのです。
「このままでは、ハーメルンはおしまいだ」
みんなが頭を抱え込んでしまったそのときです。一人の男がふらりとハーメルンにやって来ました。
まだら模様の、まるで道化師のような服を着たその男は、大きな笛を持っていました。
「やあやあこんにちは、ハーメルンのみなさん。わたしの魔法の笛で、ネズミを退治してあげましょう。うまくいったら、ご褒美をくださいな」
「あげよう、あげよう。あのネズミどもをどうにかしてくれるなら、なんだってあげようじゃないか」
みんなが口々に言うと、笛吹き男は街の真ん中で笛を吹きはじめました。
するとどうでしょう。あれだけ逃げ回っていたネズミが、笛吹き男のまわりに集まってきたではありませんか。屋根裏部屋から、家具の裏から、次から次へと駈け出してきます。
あたり一面ネズミで埋め尽くされ、もう他には一匹も残っていないくらいに集まったころ、男は笛を吹きながら歩きはじめました。もちろんネズミも一緒です。
笛吹き男は、そのままざぶざぶと川へ入っていきました。ネズミたちもそれに習い川へと入ります。
男は腰まで水に浸かりましたが、しかし当然ながらネズミには深すぎました。しばらくは懸命に泳ごうとしていたものの、そのうち疲れきってしまい、一匹残らず溺れて、川に流されてしまったのです。
こうして、ハーメルンの街からネズミはいなくなりました。
みんなが喜んでいると、川から上がってきた笛吹き男はいいました。
「どうですみなさん、うまくいったでしょう。それではご褒美をくださいな」
しかし、喉元を過ぎればなんとやら、ハーメルンのみんなはネズミがいなくなって安心した途端に、笛吹き男にあげるご褒美をもったいないと思ってしまったのです。そして、あろうことか、
「ネズミなんて知らないね。さっさと出ていけ!」
「そうだそうだ。みすぼらしいまだら男め。ハーメルンから出ていけ!」
口々に叫び、ネズミなんて最初からいなかったふりをして、笛吹き男を追い払おうとしたのです。
笛吹き男は怒り出すかと思いきや、落ち着きはらって言いました。
「それではしかたがない。ご褒美はまたいつか受け取りにくるとしましょう」
あっさりと引き下がる笛吹き男を、街のみんなは少しだけ気味悪く思いましたが、それでもご褒美をあげずに追い払うことができたので、大喜びでした。
それからしばらくのち、ハーメルンの街で夏至のお祭りがはじまりました。
三日三晩お祭りが続いた、その最後の日。忘れもしません、盛り上がりも最高潮に達した聖者の祝日のことです。
突然聞こえてきた笛の音に、街のみんなはぎょっとしました。笛吹き男です。あの笛吹き男が、よりによってこのおめでたい日にやってきたのです。
広場の真ん中に進みでた笛吹き男は、先日とは違い道化師のようなまだら模様ではなく、世にも恐ろしげな狩人のいでたちでした。
「ハーメルンの皆さん、ごきげんよう。いつぞやのご褒美をいただきにまいりましたよ」
街のみんなはお祭りを台無しにされたことを怒って、以前と同じように「ネズミなんか知らないね。さっさと出て行け」と知らぬふりをしたのです。
しかし笛吹き男は涼しい顔。いつかネズミを集めた魔法の笛を口にして、吹き鳴らしはじめました。
笛吹き男を中心に、不気味な笛の音がハーメルンに響き渡ります。
そのときです。なにかが集まってきました。ネズミでしょうか? まだ残っていたのでしょうか?
いいえ、違います。子供たちです。ハーメルンの子供たちが、次から次へと駆け寄ってきて、いつかのネズミと同じように笛吹き男を取り囲んだのです。
その数、百と三〇人。街中の子供たちが集まったころ、笛吹き男はゆっくりと歩きはじめました。
街の中を練り歩き、ぐるりと一周。そのあとは東の門を出て、まっすぐまっすぐ歩いていきます。もちろん子供たちも一緒です。お父さんやお母さんが呼びかけても、子供たちはまるで魔法にでもかかったように振り返りません。
笛の音色を先頭に、子供たちの行列は進みます。小麦畑を横切って、野原を超えて、森を抜けて、ついにコッペンと呼ばれる丘にたどり着きました。
コッペンの丘には、ほら穴が口を開けています。
笛吹き男を先頭に、子供たちの行列は一直線にほら穴へと入って行きました。そして、そのまま二度と、誰ひとりとして出てきませんでした。
あわてふためいた街のみんなは必死に子供たちを探します。しかし、ほら穴の中にも、小麦畑にも野原にも森にも、子供たちはどこにもいません。
いや、たった二人だけ、目の見えない女の子と、言葉を喋れない男の子が、ふらふらと街に帰ってきました。神さまが、身体の不自由なこの子たちを哀れに思い、見逃してくださったのかも知れません。
街のみんなは子供たちの行方を二人に尋ねますが、なにしろ女の子はなにがあったのかを見ることができず、男の子はなにがあったのかを喋ることができないのです。
「こんなことになるなら、約束を破るんじゃなかった」
「笛吹き男に、ちゃんとご褒美をあげればよかった」
お父さんもお母さんも嘆き悲しみますが、あとの祭りです。きっと、嘘つきの街のみんなに神さまが罰をくだしたのでしょう。
こうして、ハーメルンの人々は深く深く反省して、もう二度と嘘をつかないと固く誓いあったのです。
それでも、子供たちは、決して戻って来ませんでした。
一二八四年、六月二六日、ヨハネとパウロの日。
神聖ローマ帝国、ザクセン地方の南西のはずれ、ハーメルン市。
――本当にあった出来事です。