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4 破約

 一九九九年も七月に入ると、数年前からの「世紀末」ブームは、かなり落ち着いてきた。

 誰もが、思っている筈だ。特別な事など、何もないのだと。あと半年もすれば新しい年が明け、新世紀に向けてカウントダウンを始めるのだろう。

 麻依は、笑う。

 本当に、無意味。何が無意味かって、この期に及んでこんな事を考えている自分が一番無意味だ。


 麻依に向かって、「カウントダウンが無意味だ」と、光本希未は言った。

 来年の事を話すと、鬼が笑う的な事を告げたのは、片瀬正行。

 彼らの言葉は正しいのかも知れない。鬼が出るか蛇が出るかも――もしかしたら、何も起こらないかも知れない。

 それでも、心の中で麻依は諦めている。

 やはり、変わらないのだろうと。

 また、光と共にすべてが終わって、繰り返すのだと。

 運命を変える努力なら、してみた。でも、決定打には欠けている。

 変わらなかった。変えられなかった。だからきっと、歴史は繰り返すのだろう。

 思い出して周りを見れば、同級生たちはみんな灰色の受験勉強にどっぷりと浸っていた。それがまた、麻依の心を沈ませた。

(何をやっても、無駄なんだよ)

(だって、あなたたちに来年は来ないんだから……)


「葛城さん?」

 告げられた言葉に、麻依は驚いたように顔を上げた。

 成美。

 言いかけて、小さく首を振る。

「あ、ごめん。何だった? 藤本さん」

 中学生活三年目にして、ようやっとクラスメイトになった藤本成美は、今となっては遠い存在だ。

 サマーキャンプも文化祭も、修学旅行だって同じ写真には写っていない。

 きっと彼女にとっても麻依は、「元生徒会長」にしか思っていないだろう。

「だから、夏休みの補習の後も教室を開放してもらえないか、相談だったんだけど」

 ほうら、思った通りだと麻依は苦笑する。

「そんな事、私に言われても……担任に直接交渉した方が良いと思うけど?」

「だって、私はあまり先生方の覚えがめでたくないっていうか……葛城さんは生徒会長だったんだから、話がしやすいかなって」

 成美は、麻依の前では自分の事は「私」とは呼ばなかった。だからだろう。言葉のひとつひとつが、とても他人行儀に聞こえるのが、少し悲しい。

「だったら、片瀬君に頼めば良いのに」

 「他人」の「元生徒会長」に頼むより、もっと身近な「アニキ」に話を向けるのが筋のように思えた。だが、成美はとんでもないとばかりに首を振る。

「アニ……イトコには、頼めないって」

「どうして? 片瀬くんって、結構面倒見も良いし、気軽に引き受けてくれると思うけど?」

 不思議に思い、更に畳み掛けてみる。

 成美は、困ったように髪を掻き上げながら天井を見上げた。

「その、何というか……」

 「察してよ」と言いたげな、その態度に――麻依は、気づいた。思い出してしまった。

(アニキの奴が、S校ごときに入学したところで、お先見えてるなんて言いやがったのだ)

(おいら、あいつにだけは絶対に負けん)

 かつて、成美が発した言葉たち。

 あの時は、成美の「アニキ」がどんな人だろうと興味を持っていた。

 今なら、解る。

 とても頼りがいがあるのだけれど、何処か意地悪な面も併せ持つ片瀬正行に、成美がどんな思いを抱いていたのか。

 いわゆる、思春期の複雑なオトメゴコロというやつだろう、と。

「解った」

 くすんと、麻依は笑った。

「え?」

 驚いたように麻依に目をやる成美の前で、わざとらしく胸をそびやかせる。

「補習の後に勉強会するんでしょ? 任せなさい。交渉なら慣れたものなんだから」

「おお、頼もしい。さすが元生徒会長」

 つられたようにぱちぱちと手を叩く成美の、口調がほどけてきているのが嬉しく思えた。

 今更なのは解っていても、かつての親友と「他人」のままなのは、どこか歪んでいる気が最初からしていたから。

「そういえば葛城さんって、イトコと付き合っているの?」

 気持ちがほぐれた証拠だろう。いきなり際どいところをついて来た、成美の言葉。

 それは、麻依にとって不意打ちだった。一瞬、思考が止まる。

 言われた言葉を頭の中で三度ほど反芻して――やっと、首を振った。

「ち、違う違う……うん、それは、違う」

 無意味に「違う」を繰り返す麻依を、不思議そうに見つめている成美の目。

「片瀬君は、仲間。ただの、仲間」

 「何の仲間だよ」と自分の心の中から突っ込みが入ったので、「生徒会の」と口に出して付け加える。

「そうなの? え? だって入学式の日に、いきなり家に来たのに?」

 麻依としては「そう来たか」と言いたい。

 二年前、入学式の日に片瀬正行の居候先を訪れたのは、親友になる筈の藤本成美に会う為だったのに。こんな誤解を生んでいたとは思ってもみなかった。

 だが、まさか「あんたに会いに行ったんだ」などと答えるわけにも行かない。

「それは、同級生の従妹の家に下宿してるって聞いたから。普通に男の子の家庭には、遊びになんか行きません」

 出来るだけ自然に聞こえるように脚色してみる。多少の不自然さは残っていたかも知れないが、とりあえず成美は納得したようだ。

「そうなんだ。じゃあさ、やっぱり本命はのぞみ?」

 瞳をきらきらと輝かせて尋ねる姿に、麻依は軽い脱力感を覚える。

 いつも三人一緒の仲良し生徒会。内訳は女子が二人と男子が一人。

 本当なら、もう一人居たのだが……いつの間にか、幽霊生徒会役員になっていた。その彼こそが、藤本成美の多分生涯初の――だと麻依は思っている――「彼氏」なのだが。成美は自分の事などどうでも良いようで。

 女子が二人に男子が一人。なるほど、言われてみれば確かに、思春期の女の子たちの興味を引きそうな関係だ。

 だが、麻依にしてみたら恋愛以前、それどころではない。走り続けていた二年間は、充実していたようで実は寂しい中学生時代だったのかも知れない。

 「やりたいこと、やっちゃえ」。そう告げた光本希未の言葉の方がありありと思い出され、さらに脱力する。

「のぞみって、光本? それも、違う気が……」

 言いかけて、止める。

 違わないのかも知れない。麻依にとって片瀬正行や光本希未は「仲間」だし、もしかしたら「親友」かも知れないと思っていたが――自分を省いた二人の関係まで、考えた事はなかった。 

「そういう事は本人に聞いてみたら?」

「うーん。のぞみとは、ちょっと疎遠になっているからな」

 「それは、あんたと『彼氏』がラブラブだったからでしょう」。口をつきかけた言葉を、何とかこらえる。

「光本は、藤本さんと佐藤くんは仲が良すぎるって嘆いていたけど?」

 元生徒会長らしく変換した麻依の言葉に、成美が「げっ、あいつそんなこと言ってたんだ」などと言いながら頭を抱えた。

 そう。片瀬正行は彼女の「イトコ」。光本希未は「親友」。そして葛城麻依は、やっと「元生徒会長」。

 やっと「元生徒会長」でも、こうやって話をすることが出来たのなら、それはそれで良いかと、麻依はそう思っていた。


 下校時刻間際、教室で待っていた成美に「勉強会の為の教室の使用許可OK」を告げる。

「行きがかり上、私も参加することになってしまったんだけど、良い?」

 麻依の言葉に、成美は「大歓迎」と拍手をくれる。

 そして、ちょっと言いにくそうに告げた。

「ごめんね。実は、うち。葛城さんの事、ちょっとやっかんでいた」

 軽く首をかしげた麻依に、成美は続ける。

「葛城さんには、イトコと中学校に入って初めて出来た友達、二人とも取られちゃったって、ずっと思っていたから」

 とんでもない誤解に苦笑しながらも、どこか腑に落ちないものが心に残った。

 仕組まれているのではないか。麻依の心の中で、久しぶりに警笛が鳴り響いていた。




「夏休みの自主勉強会に参加するんだって?」

 翌日の放課後、光本希未に理科実験室に呼び出された。

 校舎の三階にある理科実験室は、古巣である「生徒会室」を後にした麻依達にとって、話し合いの場になっていた。

 放課後ともなれば、「科学部の部室」にしか使われない。そして、「科学部」が部活動を行うのが週に二度。それ以外では、人が訪れる事はめったにない。

「あまり、賛成できないな。レベルが低い相手と一緒に勉強会って、百害あって一利なしなんじゃないかな」

「でも、私は一応学年トップだし。N校合格枠内だし」

 それ以前に、どうせ無駄なんだから、やりたいことやらせたら良い。そんな捨て鉢な思いもあった。

 どうせ、夏休みなんか来ないんだから。どうせ、受験日など来ないのだから。

「受験、したことがない人間がそれを言うし」

 呆れたように、希未が肩を竦める。

 その仕草が、気に障った。むっとして睨み返す麻依に、

「良い? 葛城。ゆっくり言うからよく聞いてね。あんたは、運命を変えたいと願っている。だから、私もそれに賛同した」

 言葉通りゆっくりと、子供に言い聞かせるように、希未が告げる。

 だから、自然に麻依は姿勢を正した。

「はい」

「だったら、あんたがやるべきことは――明日に向かって、一歩でも二歩でも踏み出すことじゃないかな?」

 それは、聞き捨てならない。

 前に、希未は「諦めろ」と言った。それと同じ口から今度は「踏み出せ」と言うのかと、矛盾しているだろうと、麻依は思う。

 いや、それよりも。

「私、踏み出してませんかね?」

「踏み出しているようには、見えない。葛城、前に言ったよね。私に、現実を見てないって」

 そうだ。そして、返って来た言葉は「どっちが!」というものだった事だって麻依は覚えている。

「どっちが、見ていないの。どうして、今年の『夏休み』が来ないって諦めているの?」

 やはり、同じ返事が返って来た。ふざけるな、と、言いたい。

「私は、諦めてなんか、ない。諦めろって言ったのは光本じゃない」

 麻依の前で、光本希未はとての悲しそうな顔をした。

「私は、未来を諦めろって言ったわけじゃない。でもあんたには、そんな事を言われても解らない、か」

 開け放たれた窓枠に腰掛けながら、光本希未がため息をついた。

「ね、葛城。なんで私のこと『光本』って呼ぶの?」

 ころころと変わる希未の態度に、麻依は困惑を隠せない。

 最初から、「図り難い人間」だと思っていた。それはいつか「変な奴」になり、「それでも憎めない奴」になっていた。

「それは、光本が私の事を『葛城』って呼ぶから」

 そう。希未も正道も、麻依のことを『麻依』とは呼ばない。いつも、苗字で呼ぶのだ。

 友達ではない。一線を置いた「仲間」のあかしだと、麻依は思っていた。

「だったら、私があんたの事を『麻依』って呼んでいたら、もしかしたら私たち、親友になれたのかな?」

「光本? らしくないよ」

 それどころか、麻依の方は勝手に「親友」だと思っていた。だから、希未の「諦めろ」宣言に裏切られたと思った。

 それでも、大切な仲間だから、一緒に居た。

「うん。確かに、『私らしく』ないね。やっぱり、らしくない事はやるべきじゃない、か」

 にっと、希未が笑う。

 その笑みが、とても不吉に思えた。

「ごめんね、葛城。私、嘘ついていた」

 足をぶらぶらとさせながら、希未が笑う。

「私が、存在したのって前回の途中からなんだ」

 意味が、解らない。

「片瀬に聞いた。麻依は、六回も繰り返したんだって。私は一回とちょっと」

「どういう事?」

「これが多分、最後だから。私に出来る事があるなら、何かしたかった」

「日本語で話せよ、光本! こうもと、のぞみ!」

 ありったけの声で、叫ぶ。

「久しぶりに、聞いたな。麻依の真剣な声」

 からからと笑いながら、光本希未は背後に向けて大きく背をのけぞらせた。

「ちょ、危ないって!」

 希未が腰をかけているのは、三階の窓枠だ。

 ここは、三階。下は、コンクリートの駐車場。

「私はね、あんたが望んだ未来を壊す為に、ここに来た」

「わけが、わからない! てゆか、本当に危ないって!」

 麻依が伸ばした手を、希未は取るかに見えた。

 だが、次にはその手がひらひらと振られる。希未の眼は、麻依のさらに後ろを見ていた。

 反射的に振り返ると、片瀬正行が理科実験室に駆け込んで来る姿を捉える。

「光本さん!」

 真剣な表情で、駆け寄る正行の姿に意識を奪われたのは、一瞬。

「もう、覚えていないよね? 遠い未来、あたしと麻依は色んな意味で競い合っていて――違うな。あたしが、いつもちょっとの事で負けていた」

 おかしそうに告げられた声に、再び振り返る。

 麻依の、目の前で。

 光本希未の身体が、ふわりと舞った。

「勝ち逃げなんて、許さない」

 窓に半ば乗り出すようにして伸ばした、正行の手は間に合わなかった。

 麻依は、動くことも出来ずに彼女が落ちて行く様を見ていた。

「待っているから」

 彼女は最後にそう呟いた――ような、気がした。



 誰もが、固まるその中で、光本希未と呼ばれた少女は、哄笑だけを残して、地面に叩き付けられた。

 覗き込んだ麻依の目に映ったのは、何度かバウンドする白い肉体、その度に飛散する体液と、はみ出した内臓。

 悲鳴が、凍りつく。

「救急車を!」

「生徒が……」

 他所の教室の喧騒を耳にしながら、麻依は白いカッターシャツを着た体から染み出して行く血の広がりを見ていた。

 動かない、肢体。散らばった血と臓物。多分、即死。

 どうして? そんな言葉しか出て来ない。

 真っ白になった脳内に、ただ取り留めもない事が浮かび続ける。

 彼女は言った。「勝ち逃げは許さない」と。勝ったことなど一度もないのに。その前にも、何か言っていた。

(あんたが望んだ未来を壊すために、ここに来た)

 どういう意味だろうと、麻依は思う。

 救急車は、まだ来ない。せめて、何かを被せてあげなければ可哀そうだ。

 本当に、取り留めもない事ばかりだ。非常時に、役に立たない奴だと、情けなくなって来る。

 そして、目を見張った。

「どういう、こと?」

 数秒後には、喧騒はすっかり収まっていた。まるで「三階の窓から落ちた生徒」など存在しなかったかのように。

 同時に、ほころびを修正するように、光本希未の遺骸は飛散した体液ひとつ残さずに飲み込まれて行く。

 現実に残っているのは――悲鳴を上げた名残の、喉が焼け付く痛みのみ。

 もう、誰も階下を顧みない。

 今、光本希未が、この世界から消えたのに。

「どういう事?」

 窓枠に手をかけ、後ろを向いたままの正行の白いシャツの背中を掴み、揺する。

 何故か、彼が答えを知るわけがないとは思わなかった。

「……だから」

 そして彼は麻依に背を向けたまま、掠れた声で告げた。

「え? 何?」

「『歪み』だから。僕も彼女も」

 大きく息をつき、晴れ渡った夏の空を見上げる、正行。そこに何かがあるように。

「『歪み』って、何?」

 それは、正行の持論だった。自分たちは『歪み』。他とは違う特別な存在だと。

「元々、この世界には存在しない、そうでありながら、『異物』と認識されない者」

「待って、だったらあなたは何? 何の為に、ここに居るの?」

 中学校一年生で、巡り合った時の警戒心が再び、首をもたげる。

 正行の言葉が言葉通りの意味なら、彼はこの世界に「在るべき者」ではないという事になる。

「何の為、か」

 振り返った正行の眼が、麻依を捉える。

「光本さんと、少しだけ違う。僕はね、『ナギ』に会いに来たんだ」

「ナギ?」

 まるで、何かに挑もうとしているような、眼。頼りがいがあって、でもどこか意地悪。いつもの正行がそこに居る。 

「『ナギ』だけが、答えを出すことが出来るから」

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