ベッドの下に海
ベッドの下に海、生活に文学の香、月~日曜の夜にアメトーク、緊急事態に苑尾、全人類にピュアハート。
以上がぼくの「あってほしい」ベストファイブである。
この順位はぼくが高校1年生になった今年の4月に改訂された、最新バージョンのものだ。それまでは5番目に「明日に希望」なんていうおふざけがランクインしていたのだが、「アメトーク」が3番手の座にはいりこんだことで残念ながらランク外となってしまった。もちろん、今でも明日に希望があるにこしたことはない、と思っている。だけどぼくはそれ以上に人間の純粋さを信じたいし、やっぱり緊急事態になったら苑尾の名を叫ぶだろうと確信しているのだ。
アナタも緊急事態―――たとえば終電を逃したとか、エレベーターに閉じ込められたとか、レジで小銭が足りないとか、そういうことがあったら「苑尾おおおお!」と呼んでみるといい。声の届く範囲にいたらピュアで優しい彼はきっと助けに来てくれるだろう。
もしかすると苑尾って誰だよ、ボケ! といらついている人もいるかもしれない。しかし、そういう人は苑尾のことをなんら気にする必要はない。知らないということは、苑尾はアナタのそばにはいないということを意味する。したがって叫んだって無駄なのであり、アナタの問題はアナタだけで解決するしかない。
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将来の夢、つまりは願望。きのう見た夢、つまりは妄想。これらはおおよそ話す必要のない事だ。
きいている他人はちいっともおもしろくはないことが多い。
それなのに話してしまうのは、どうしてなんだろうか。人類が誕生してから、人は必要なものとそうでないものを選り分けてきたはずだ。尻尾を捨て、火を得て、二足歩行を練習した。それでもまだ合理的とは言えない精神構造をもつ不可解なぼくら。
ぼくは物語が好きな子どもだった。4歳で絵本を卒業し、8つ年上の姉が所有する本をこっそり借りて読み始めるほどの早熟さをもちあわせていた。穏やかで、静かで、人の繊細な心に寄り添うような作品を特に好んだ。
いつかこの心を揺さぶるような切ない恋をしてみたい、人のあたたかさにふいに絶望を感じてみたい……そんな風によく思っていた。団地生活という、お世辞にも文化レベルが高いとは言えない暮らしをしていたぼくは、文学作品の香をなんとか日常に溶かし込みたくなった。
「実はぼく捨て子で……日系アメリカ人とフランス人のハーフなんだ……」
子どもの、他愛無い嘘である。騙そう、という目的ではなく、自分でない誰かになって知らない世界への扉を見つけたい……ただそれだけのことだった。
偽者の告白に、ぼくの唯一の幼なじみである健吾君はベイブレードを落として驚いてくれた。
「そ、そうなの! 知らなかった……なにか深い事情があるんだね」
ぼくは彼を公園の滑り台の上までつれていき、「誰にも言わない」と指切りをさせてこれまでのぼくの(仮の)悲劇的半生を語った。
話し終えた頃はとっぷりと日も暮れ、夕焼けがしゃがんだぼくの背中を、Tシャツから出た首を、腕をこがした。照り返された健吾君の頬はぬれていた。
彼は何も言わず、ぼくの手にベイブレードを握らせると、滑り台を華麗に舞い降りた。その勢いのまま、泣き声をあげて団地へと走っていった。その後姿を見て、ぼくは直感した。
「まずい」
アナタの予想するように、健吾君はぼくとの秘密を守れなかった。だが彼は絶滅危惧種ともいうべきピュアな子どもで、そのピュアさゆえに秘密を守れなかったのだと言う事を、彼の名誉のためにここに記しておくとしよう。しかしながら、健吾君とぼくの友情にかすかなヒビがはいってしまったのも紛れもない事実である。ほぼ全面的に悪いのはぼくなのだが、あの日以来、ぼくは彼を下の名で親しく呼ぶのをやめてしまい、仲直りを経た現在に至ってもなお、「健吾君」という呼称には戻せないでいる。
ママ友ネットワークから情報を得たうちの母からの制裁と、団地の友人達からのからかいさえなければ、ぼくは健吾君を責めることはしなかっただろうし、何年も「ひーん!」と悶え死に一歩手前の発作に悩まされることもなかっただろう。
この一連のぼくのピュアな好奇心と想像力と、それによる痛みとを、自分の中でどのように消化していいのかわからず、いまだにベットを転げまわる夜がふいに訪れる。
言葉にならない音を枕でおしころし、己の軽率な言動を後悔する時。
まったくもって無意味な汚点の、そのぬぐいがたさに絶望する時。
あぁ……このままざぶんと海にもぐりたいな、と考える。
こんなアホな自分は塩水でごほごほむせかえってしまいやがれとなじり、沈んで沈んで、からかいの届かない海底で、みんながこの一連の出来事を忘れるまで貝のようにじっとしていたいと望む。
この世界のみんながピュアで柔らかな心をもっていればなんの問題もない。
だが残念なことに全人類の体内成分は水分と合理的要素へと集約しつつある訳で、ピュアな我々がうっかり口にする様々な「夢」や「物語」は命取りとなりうるのが現状だ。口が滑ったらその先は生還者いまだゼロの崖であると思っていい。しかし、ころげ落ちてごつごつとした岩にぶつかるのと、海水で腹打ちする痛みとを選べるのだとしたら?
おのずとアナタの選択肢は定まってくるのではないだろうか。
苑尾と幼なじみでないアナタの場合、ベッドの下に海がない現状は非常にまずいのだ。「あってほしい、あったらいいな」という甘いレベルではなく、ベッドの下を海にするか海の上にベッドを浮かべるか、真剣に、どちらかを選ぶ必要があるだろう。
悶え死にしそうな思い出のひとつやふたつ、ありますよね……(゜言゜)