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第六話 かのじょのほほえみ。

 守りたいと願っていた存在が、わたしと対等でいたいと望むなら、わたしもそれに応えよう。

 君が謝るなら、わたしも謝ろう。

 でも、そんな鏡映しなんかで終わらせたくなくから、一言お礼を言わせてください。




 ◇ ◆ ◇ ◆




 美紀の実家は喫茶店を営んでいる。マスターが祖父で、淹れたてのコーヒーはどこの店よりも美味いんだと目を輝かせていた。

 店の外観ならよく知っていた。学校からそう遠くないところにある、年期を漂わせる喫茶店。その認識しかなかったけど、・・・・・・例の彼女を捜すたびに前を通り過ぎた程度だったけど、コーヒー豆の香ばしい香りがオレの脳内を少なからず癒してくれていたと思う。一方カフェインには興奮作用があるらしく、この相反する効能はどういった仕組みなんだろう、という疑問があったせいで、入店まで頭が回らなかっただなんて、言えない。カフェインのせいにしたら世のコーヒー愛好家が悲しむ。そもそもカフェインを研究しているわけではないのだから、何も気にせず、単純に、もしくは平然を装ってコーヒーをたしなむことだってできるだろうに。オレは昔から疑問を抱いては遠巻きに眺めることしかしない。

 この思考も知らず、美紀は祖父について語る。よほど祖父が好きなんだな。

 それはともかく、勧誘の凄まじさに驚嘆した。年齢イコール彼女いない歴、女友達など以ての外であるオレが、調子良く話せるわけがない。

「行く? 行こうよ、絶対美味しいから。じゃあ決まり」

 はい決定。

 ・・・・・・強制かよ! せめて考えさせてくれよ!

 女の世界は恐ろしいと、高倉の無意識が引き起こした事件の数々が物語ってきた。しかしながらだ。今日初めて話した女子に、有無を言わせぬ世界であったことを教えられてしまった。

 清楚なイメージとかけ離れた変わりように、驚きを打ち負かせ、呆れすら通り越して、言われるがままに連れられた。


 これが『ねこのて』に至る経緯だ。何も悪くないはず。思惑は当然ない。

 なのに何故か、喫茶店にいた。

 雪肌に纏うは、見慣れた制服。流れる黒髪。

 緋色の左目も、変わってない。

 敢えていうなら、彼女はどこかしら青ざめていた。

 それはオレも同じだろうけど・・・・・・。

 いや、彼女がここにいることも意外だけど、行動を共にする存在がいるなんて思わなかった。彼女の向かいに座るごく普通の中年男性で、いかにも作った笑みを浮かべている。

 好かない顔だ。オレは直感でそう思う。

 セールスマンが張り付けた仮面のようで、道化師のようで、信用に値しない顔とはこれのことか。もしかすると、危ない宗教とか? 彼女に限ってはあり得そうな話だ。

 とりあえずこの状況を切り抜けて、

 謝らないと。

 この男を何かしらして追い払って、

 オレのせいで、って言って、

 ごめん、と。

 今朝はそれだけを考えていただろ、オレは。

「知り合いかい?」

 男が彼女に尋ねた。すると、彼女は否定の返事をした。

 それに対する高倉は「とんでもない!」と声を張り上げる、のはいい。オレのいないところで、地球外生命体に話して聞かせるという条件であるなら。それほど羞恥をさらけ出す台詞に違いなかった。

 高倉は念願であった例の彼女との再会を、何して良いのやら、まるでわかっていない。顔見知りを否定されたことが心外だったのか、あれやこれやと早口で並べ立て、オレの紹介までしようとした。

「言わなくていい」

 説明するのも無駄だ。

 彼女はオレを知っていて、

 オレは彼女を知らない。

 それだけ。

 知られたままでいられないのは、こちらが不利に思えたからなのか、それとも――、

「なんでここに?」

 オレが彼女を知りたいと願っているから――?

 空漠とした想いを推し量ることもせずに、・・・・・・最低だ。オレの言葉は、当然ながら彼女にとって憎まれ口だ。

「・・・・・・とりあえず、何か飲まない?」と美紀が言う。ありがたい。

 静かに息を吐く。吸い込んだ空気を肺に送る。この循環を張りつめた神経で感じ取る。彼女の方が苦しいだろうに、何をしているんだ・・・・・・。

 少年、と男が声をかけてきた。オレと高倉のどっちを指したのかわからず、反射的に男を見た。間違いなく、こちらを見ているから、オレを呼んだのだろう。

「顔色が悪いね。今日は病気でも蔓延してるのかい?」とこめかみを掻きながら言う。

 病気? まさか、病人に見られているのか? ひどい言われようだ。

 とにかくこの男、何か妙で、腹の奥を探っているように感じる。オレのことを探って何になるのか検討もつかないのがさらに気持ち悪い。普通、初対面の相手に対して病気が蔓延云々より、単純に体調を気遣うだけのはず。それに“今日は”と限定されるとなると、今日のうちにオレに似た人と会った、あるいは会っている(・・・・・)ということで・・・・・・、後者だと彼女が絡んでくることになる。

 これまで黙っていた彼女は痺れを切らしたかのように『本題』を男に要求する。

 これも気になるところだけれど、男の表情が一瞬変わったのを見て、これ以上首を突っ込まない方が現状では得策だと思った。

「コーヒー淹れてもらうから、こっちに座って」

 勧められた席は、テーブル席の向かいにあるカウンターだった。そこに面した厨房にマスターらしき人物、つまり美紀の祖父が既にコーヒーを淹れ始めていた。白髪を雀の尻尾にして束ね、丸眼鏡をかけ、地味なカーディガンが風情を醸しながらも、纏われている身体は健康そうで、背筋をぴんと伸ばしている。湯気が眼鏡を白く染める。淡々と、寡黙に、安閑の時を刻む。

 覚えのある香りの発生源を差し出される。軽く会釈をして口に含んだ。

「・・・・・・美味い」

 まごうことなき絶品だった。

 高倉からも同じ言葉が漏れた。

「美味い! 超美味い! コーヒーなんてあんまり飲んだことないけどさ、これはいける! オレもう一杯飲みたいわ、篠原奢ってくれ」

「なんでオレが!」

 お前の保護者じゃないぞ!

 というか飲み干したのかよ! 味わえよ!

 それよりも火傷しないんだなまったく!

「金欠なんだ」

「知るか」

「明日返すからさ」

「前に同じこと言ってたよな。返ってきたためしがないし。返せよ」

「友人に金をたかるなんて良くないぞ」

「言ってることとしてることが逆だ!」

今回は(・・・)返すって。だから奢って」

「ぼろが出たな!? 前のも返せよ! だから奢れって強引にも程ってもんがあるだろ!」

「やめとけ篠原・・・・・・」オレの肩に手を添えて「お前が、どんどん小さく見えてしまウ。友人として見てられないヨ」

「そっちがやめろ。あと棒読みもやめろ。オレは物理的にも精神的にも小さくない」

「言い訳なんて――」

「聞きたくないってか!?」

 ぱちぱちぱち――

 乾いた音にオレ達は反応した。先程の男がニコニコと、手を打っている。場を静めるでもなく、愉快に拍手している。

 他の客が眉をひそめているのが見える。

「なかなか良い漫才だ。コンビを結成することを勧めておくよ」

「漫才じゃないですから。あとコンビ組む気もありません」

 隣から、ひどいぜ、と聞こえてきたが、無視しておく。

「一期一会」

「は?」

「何が人生の分岐点になるかわからないんだよ、少年」

 なんで知り合って間もないのに説かれなくちゃならないんだ。腹が立つ。

 傍の彼女も怒っている。だがこの男は気付かない。気付こうとしない。

「さて・・・・・・ここも騒がしくなったことだし、場所を移るとしようか」

 男はカウンターに小銭を置き、店を出ていった。閉まりかけた扉の隙間に、白い指が差し込まれた。男は彼女のためにドアを押さえていなかった。

 隣から大声が発せられる。もう帰るのか行かないでくれ頼むからまた会えるかなというかあの男って誰お父さんか誰か――ずらずらと並ぶ言葉は息継ぎを知らないようだ。

「名前は?」

 こぼれた。オレの口から。

「そうそうそれそれオレが言いたかったのはまさしくそれだ!」

 嘘つけ。

「名前・・・・・・」

 彼女は一瞬悩んでいるふりをした。明らかにふりだった。

「そうだ。お前だけオレの名前を知ってるなんて不公平だ」

 そうじゃなくて、

 言いたいのはそういうことじゃなくて、

 オレは何も知らないから、

 それってつまり不公平だから、

 無知だからこそ、

「対等でいたいんだよ」

 知りたいと思う。

「オレ、何もできないけどさ、名前くらい知ったって、いいんじゃねぇの? 少しでも対等に近付けるためにさ」

 それと、

「あの時は、ごめん」

 支離滅裂。恥ずかしい。高倉にどうこう言える立場じゃなかった。

 きっと困ってるだろうな。怒ってるかもな。名前教えろだの対等でいたいだの、彼女の苦しみを理解すらしていないのに。知らないくせにでかい口を叩くな、と。

 悪いけど、と彼女は言う。

「名前、知らない。覚えてないんだよね。・・・・・・ごめん、自分の名前も教えられないなんて」

 それから、

「ありがとう」

 何故か微笑んでいる。


 扉の隙間を広げ、細い体を滑り込ませた。

 コーヒーの香りが立ち込める喫茶店に、彼女の残り香が漂う。

 おまけにオレの耳に鈴の音を残していった。

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