第二話 しんじられるもの。
あぁ、どうしよう!
もし“彼”が言っていたことが本当なら、自分はいつか時間の流れに心を蝕まれ、いつしか独りになって、脳も肌も耳も鼻も、この目でさえも、その役割を忘れてしまう!
早くしないと、自分が自分でなくなって・・・・・・。
こんなはずじゃなかった! こんなこと、望んでなんかいなかったのに!
◇ ◆ ◇ ◆
彼女は一体何者なのか。
上辺だけの友人、高倉平次でさえわからない疑問。
――あの池には、もう近寄らない方がいいのかもしれない。
教室に向かう足取りは岩を背負っている感覚で、ずしり、ずしりと、日頃より重傷だった。振り向いたら子泣き爺ぃが・・・・・・、それならまだいい。もし泣いてるあの子が・・・・・・。
だから後ろから声をかけられても、せめて今日だけは、あえて何も気付かないフリをすることにした。
「ひでーよ。絶対聞こえてるだろ、馬鹿ヤロー!」
そんな悪態をつかれると、申し訳ないどころか仕方ないと思ってしまうけど、
「悪かったって。だからもっと声を小さくしてくれよ」
そこは一応謝っておく。
「どーした? 悩みか? お悩み相談室が必要か? よし、オレが聞いてやるよ! さぁ、どんと来い!」
「ちょっと疲れただけ。大したことじゃないから、気にしなくていい」
あまり心配かけさせるのもどうかと思って、掌を向けて言った。
「ふぅん。・・・・・・あまり疲れ溜めるなよ」
高倉は、静まった声で、そう言った。
そういえば、テストもないから遊びに行きたい放題だった。
休み時間になると、クラスの連中はどこに遊びに行くか意見しあっていて、オレはそんな彼らが羨ましかった。
いい意味ではなく、少しひねくれた感情を持って。
カラオケに行こうと話している女子には、あんな馬鹿らしくなるようなお金を払ってまで行く意味があるのか訊ねてみたくなったし、彼女とデートに行くと浮ついてる男子には、嫉妬を買うぞと助言してやりたい。それでも何もせずに見ているだけなのは、ただ面倒なだけだからなんだけど・・・・・・、頭の隅の方では幸せな彼らに嫉妬している自分がいて、それを認めたくないのかもしれない。
悩みとか、恐怖とか、そんな類のものがないのかなと、群れる社会の中で思ったりしていた。
「オレ達も、遊びに行こー!」
だからオレの席に来るなり、高倉は調子よく言ったものだから、つい呆れてしまう。
「お前も元気だなぁ」
爺臭いこと言うなよと膨れて、高倉は次々とプランを立てていく。でも、相手が思いついたように口からこぼれる言葉に興味はなかった。それ以前に、遊ぶ気さえも更々なく、ましてや外に出る意欲でさえも毛頭なかった。いろいろ提案してもらうのも悪いと思いつつ、何かといちゃもんをつけた。
「そうだ! じゃあさ――」
すると途端に目を輝かせた。
「“あの子”を探しに行こう!」
オレは悪寒が抑えきれなかった。
「あの子、って、あの彼女のこと、か?」
「もちろん!」
「でも」
キュインキュインキュインキュインキュイン――!
駄目だ! 絶対駄目だ!
オレの中で、全身全霊で警報を鳴らしている。
「お前なら、一緒に探してくれるだろ?」
断りきれなかった。
彼女に遭いたくないのに、今回のプランを拒絶できなかった。
きっと、拡声器を通した声にやられてしまったんだ。
あれは洗脳のようなもので。
――彼女あってこその今だと思い知らされて――!
聞きたくもないのに、耳を塞いでもガンガン響く音に対抗できず、呆然となったまま承諾してしまった……。
今週の土曜日、午後一時から。例のあの子を探して町を探検する。
小学生が授業で行う『ぼくたち・わたしたちのまちツアー』なら、気分はもっと違うんだろうなぁ。
“会”いたくない。“遭”いたくもないし、“逢”うなんて以ての外だ。オレはあの子が不気味で仕方がない。けど、高倉の場合は“逢”いたいとなるのは今までの経験でわかりきったことだった。アイツは小学生のつもりで今回の計画を練っている。
オレ達はまるで違った。向こうは胸の高鳴りが止まらないのに、こちらは心臓を握られて息が詰まる。彼女が呪いに来るのではないかと、毎晩布団の中で体を丸め、時々目が覚めては布団から部屋を垣間見る。そんな身を削られる日々が過ぎた。
できれば土曜日を通り越してほしかったんだけれど、世の中は個人的な事情で成り立っていないのが恨めしい。
「おはよう! 遅刻なんて珍しいな? ……よし、まずはあっちを探してみるかっ」
恨んでも恨んでも日常は変わらないから、ただ早く今日が無事に終わるのを祈るばかりで、心の奥底で叫び続けていた。
この町は大都会でもなければド田舎でもない。平たい丘と細い川のある、少し老舗が残る風情溢れる所だ。毎年の夏に花火大会があることで有名、その時期になると様々な人で町全体が溺れそうになる。……と簡単に説明すれば楽だけれど、言わせてもらえば不便極まりない。ゲーセンなんて一つ前のプリクラと誰が喜ぶのか理解に苦しむぬいぐるみが積まれたUFOキャッチャーがある程度で、カラオケはあるものの、遊びに金を使うお年頃の欲を満たすものはごく少数。そんな人間は駅から一駅の、ここよりまともな街へ遊びに出かける。その為に静かで過ごしやすい町になって、住人は多い方だ。だからオレの通う高校は一学年に七クラス、進学校としてやっていけるんだと思う。
静かで暇だけど、遮る物が少なくて落ち着く、そんな所。
そして自転車で、この箱庭を走り回っている。
「前にあの子に逃げられたのが、確かこの先の公園で……、初めて会ったのがそこを右にずーっと行った郵便ポストの前だったよな!」
キリリ、と首を締め付けられる気持ちになった。
ふとあの時の光景が頭をよぎり、彼女の姿がありありと思い出される。
今と変わらぬ容姿端麗、異なるのは精気の感じられない表情。夕日に負けない左目……。
親に頼まれてハガキを出しに来たオレと、その場にたまたま居合わせた高倉は、彼女がポストの中を覗いているのを目撃したのをきっかけに今の関係へ至る。最も思い出したくもなく、ありがたみもない出会いだ。
「あの時の彼女、綺麗だったよなぁ……、夕日を背中に立つ、あの姿……」
「……」
これがはたして純真なる高校生の言動なのか……。今やってることだってストーカー行為に近いんだぞ。
「何だよ、その目」
「いいや。お前が何を言おうと、オレの知ったことじゃないと思っただけ」
「ほんっとに毒舌だよな、篠原は」
それから転々と場所を移し、気付けば太陽は西へ沈みかけていた。
オレの不安は空振りで済みそうだ。
「今日はここまでにしよう」
「うぅ、手詰まりか~」
高倉は残念さを盛大にアピールして頭を掻いた。
「今日は諦めて帰ろう」
これ以上付き合わされるのも御免だ。コイツを説得して、せめてオレだけでも帰らないと、と頭の奥底でそんな風に考えていた。
高倉は、う~んと唸ってから夕日を見た。
「……いや、やっぱオレまだ探すわ。用事があるなら先に帰ってくれてもいいけど」
嵐の前触れだろうか、とにかくオレを無理に引きずる気はないらしい。用事はないけれど帰らせてもらおう。
「それじゃ、先に帰る」
「おぅ、ありがとな」
自転車に跨り、ペダルを足にかけた時。
ふと疑問に思った。
どうしてそこまでして彼女に会いたいのか、と。
日頃から思っていたことかもしれない。けど高倉が『何かを感じる』からと言っていたから追求しなかっただけで、本心では何をしたいのか、オレは考えもしていなかった。
「なぁ」
オレが振り返ると、怪訝な様子でこちらを見てくる。
これくらい訊いたって構わないだろう。
「彼女に会って、何がしたいんだよ?」
すると呆気に取られた顔をした。
「何でだろーな?」
それはこっちの台詞だ。
「理由もなくストーカーしてるのか?」
「ストーカーなんか!」
心外! とでも言いたげに、眉をハの字にしてみせた。
「そりゃ綺麗だし? 話したいってのもあるし、あの子が何者なのか知りたいだけだ、うん!」
「それって」
好き、ってことじゃないのか?
「前も言っただろ? 一目惚れとか恋に落ちたとか、そんなのじゃなくて。もっとこう“繋がり”みたいなのを感じるんだよ」
そう言われると、恋愛の類ではないんだなと思い直した。
「“繋がり”って?」
「それは……わかんねえけど」
「じゃあ結局、何もわからないままストーカー行為してるのか」
「だからストーカーじゃないって!」
コイツは本当に彼女のことを知らなければ自分の本心もわからず、挙げ句の果てに行動の区分範囲さえわかっていないのか!
「そういうことにしとくよ」
もう暗いし、無駄話もこれくらいにしておこうと思い、別れを告げて自転車を走らせた。
いつしか日も暮れていた。電灯に明かりが付き始め、家の窓から光が零れてくる。西はうっすらと赤みを帯びているが藍色と混じるグラデーション、真上を通って対の方は月がぽつりと浮いている。
町が一日を終えようとしていた。
「早く帰るつもりだったのに」
平凡な独り言を呟ける幸せにほくそ笑む。
家はすぐそこだ。角を曲がれば見えてくる所まで来ていた。
スピードを出していないから急にハンドルを切る必要もなく、曲がってすぐのゴミ捨て場を避けなければならないから、軽く右手を引くだけで良かった。
「……っ!」
息が、詰まった。
吸うことも、吐くことも、できなかった。
だって、そこに、家の近くに、何で、知ってる、まさかどうしてそんな――、
「あ、正樹、くん……?」
何で、こんな所に、いるんだっ!
急に顔が火照ってきた。
なのに手足の先が凍っていて、動かない!
冷や汗が額に浮かび、頬を伝っていくのが冷たいっ。
曲がった所にちょうど鉢合わせるなんてっ!
いや!
違う!
彼女は!
待ってたんだっ!
オレの帰りをっ!
「塾、行ってるの? テスト期間中に、出かけるなんて」
塾じゃないけどっ。
あれは嘘だ!
テストなんて、ずっと前に終わってるっ!
オレが、嘘をついたの、バレた!?
苦しい、息が、できない!
「それにしても、奇遇だね。……こんな、所で」
違う!
偶然なんかじゃないだろっ!
お前は!
『どうして嘘をついたの?』って!
言いに!
だからつけてきたのか見ていたのか待っていたのかオレが何をしているのか、
ずっと!
――見られていたのかオレはっ!?
「……どうしたの? 何だか、顔色が……」
「べ、つに」
「嘘。絶対、変。何かあったの……?」
頭の言葉に意識が失せかけた。
「何でもない」
「……帰れない」
「何でっ」
心臓がうるさい! 黙れ! 吐き気がする!
「……話を、き、いて、くれる……っ? 正樹く――」
「悪いけど帰ってくれっ」
「お願い、正樹くんっ」
「帰れっ!」
とにかくここから逃げたかった。
でもコイツにとって箱庭のどこへっ?
家か?
バレてるのに?
そこしかないだろっ!
オレは揺れる地面に立ち、思いっきり突き飛ばした!
ゴミ袋が彼女を包み込むように窪む。
直後、ガシャアン! という音に後ろを振り返ると、自転車が倒れて空走りしているのが見えた。
「う……っ」
彼女の口から呻きが漏れた。
突然、血が抜けていく感じがした。
心臓が刻む鼓動は早いのに、ない血を必死に送り出そうとしている。
立っているのも、やっとだった。
――それなのに。
「まさ、くん……、お願い、っ聞いて、っう、わたし、話……」
立ち上がるでもなく。
声を震わせて。
整っているはずの顔をぐしゃぐしゃにして。
右目から大粒の涙を零して。
お願い、お願い、と繰り返す彼女がそこにいたものだから、膝の力が抜けた。
そして突き飛ばした時の、彼女の肩にある熱がようやく手を伝ってきて、大きく息を吐いた。
最後の汗が流れ落ちる。
「……悪い」
これでは目覚めが悪いから手を差し出した。
罠かもしれない。そう頭をよぎったけど、通り過ぎていった。
彼女は無言でオレの手を取る。勢いをつけて、ゆっくりと引き上げてやった。
彼女がいなくなった窪みには大きな突起物が見えた。よく見るとコンクリートのブロックが数個積まれているのが、暗がりでも異質さが際立っていた。
ここは燃えるゴミしか捨ててはならない所なのに……。
「ごめん」
「……いいよ。わたし、不気味だもんね」
そうじゃない、と言えなかった。オレに言う資格がなかった。
そっと手を放すと、冷たい空気が通った気がした。それほどまでに彼女の手は温かくて、柔らかかったんだ。
彼女の片目だけの涙は堰を切って流れたままで、オレはどうしていいかわからない。
彼女は小さく鼻をすすると、じっとオレの目を見て、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
訴えるように。願うように。
「正樹くん、話が……あるの。私にとって、大切な、話。正樹くんだから、お願いしたいの。わたし、嫌われてるのわかってる。……けど、もう、時間が……っ、お願い、正樹くん。これからするわたしの話を、絶対に嘘だと思わないで。助けて、正樹くん……っ」
オレは彼女の願いを聞いてやることにした。
別に、何度も名前を呼ばれて使命感に駆られたからじゃない。
ただ、彼女の涙を信じてみたくなったんだ。
黒い瞳から流れる、その涙を。
血で染めた緋色はまだ怖いけれど……それでも話くらいは聞いてやりたかった。
家に上げる訳にもいかず、携帯のメール画面に短い文を打ち込んで、母さんに送った。
『帰り遅くなるけど、心配しなくていいから』




