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女神から始まる物語

『鋼の魔人』〜僕が魔軍の最強四天王になった理由〜

作者: 兎追マヨ
掲載日:2026/08/25

 死ぬのは嫌だった。


 僕はまだ十五歳。冒険者になって、たった三日目だ。孤児院で育ったから、帰る家はない。世界を救いたいなんて、大それた夢も持っていない。

 

 それでも、やりたいことはあった。冒険者として、いろんな場所へ行ってみたい。いろんな依頼をこなして、尊敬されたい。そして、みんなを守れるように強くなりたい。


 それなのに、昨日買ったばかりの剣の代金すら、まだ払い終えていない。こんなところで死にたくなかった。

 

「……う、うわ……わ……」

  

 目の前にいる魔物は、僕の身長の三倍はあった。灰色の皮膚に、丸太みたいな腕。頭には二本の角が生えている。口から垂れた唾液が地面に落ちるたび、ジュッと音を立てて草を溶かしていた。

 

 僕らが受けた依頼は、森の奥で薬草を採ってくるだけの簡単なものだった。こんな魔物がいるなんて聞いてないし、知ってたら絶対に来なかった。

 

「……に、逃げなきゃ⋯⋯」

 

 一緒に来た戦士さん二人は、既にペシャンコになってしまった。魔物が一歩近づく度に、地面が揺れる。無理だ、こんなの。分かっているのに、足が震えて動けない。

 

 魔物が吠えた。耳が痛くなるほどの咆哮。そして、巨大な拳が振り上げられた。

 

「嫌だっ……! 死にたくない!」

 

 僕は、剣を落としてしゃがみこんだ。


 拳が迫る。

 

 もう、間に合わない。

 

「……神様、お願いです——」

 



 轟音が響いた。

 



 ――僕は、無傷だった。

 

「…………え?」


 どこも痛くない。僕は自分の身体を確認した。血は出ていないし、服に穴ひとつ開いていない。ただ、目の前にいた魔物が、数メートル先にひっくり返っていた。

 

 魔物が起き上がった。まだ生きている。僕は慌てて剣を拾った。魔物が怒り狂ったように突っ込んでくる。

 

「待って!」

 

 魔物の拳が僕の顔面に触れる。


 すると、また魔物が吹っ飛んだ。今度はさっきより遠かった。森の木が何本も折れる。僕は、自分の頬を触った。何ともない。

 

「……奇跡だ」

 

 その日、僕は初めて神様に感謝した。

 

     ◇

 

 僕の力は単純だった。

 

 僕に向けられた攻撃は、絶対に僕へ届かない。殴られれば、殴った相手が吹っ飛ぶ。落石が降ってくれば、落石が弾き返される。僕が強くなったわけではなかったけれど、ただ負けなくなった。

 

 冒険者ギルドの訓練場。


 教官の振った木剣が、僕の肩に当たる。すると、腕ごと弾き返された教官がそのまま倒れ、尻もちをついた。

 

「うわあっ!」

 

「す、すみません!」

 

 教官は腰を押さえながら起き上がった。

 

「なるほどな。すごい力だ」

 

「ですよね! これなら、誰かを守れます!」

 

 僕は笑った。

 

 嬉しかった。この力を、みんなの役に立てよう。魔物に襲われた人がいたら、僕が前に立てばいい。僕なら大丈夫だ。怖いものなんてない。


     ◇

 

「僕たちの仲間にならないか?」

 

 勇者様から声をかけられたのは、それから一週間後だった。聖剣を腰に下げ、白いマントを羽織った青年。僕より三つ年上なだけなのに、その姿はとても大きく見えた。

 

「僕が……勇者様の?」

 

「そう」

 

 勇者様はにこやかに笑った。

 

「君の力を見た。あれだけの攻撃を受けて無傷なんて、すごいよ」

 

「でも、僕は剣の腕も全然で……」

 

「それでいい。戦うのは僕たちだ。だから君には、僕たちを守ってほしい」

 

 胸が熱くなった。

 

「……僕でいいんですか?」

 

「君がいいんだ」

 

 その言葉を、僕は一生忘れないと思った。

 

「よろしくお願いします!」

 

 頭を下げた。嬉しかった。ものすごく嬉しくて、涙が溢れた。冒険者になってよかった。あのとき死ななくてよかった。神様に祈ってよかった。


 勇者様が僕に握手を求める。僕もそれに応じようとする。だけど――


 バチィン!


 「いてて⋯⋯」

 

 「あっ、すみません! 大丈夫ですか!」


 そうだ、僕の力には、こういう不便なこともあった。

 

     ◇

 

 勇者様たちとの冒険は、本当に楽しかった。


 魔物が出れば僕が前に出る。ゴブリンが殴れば吹っ飛ぶ。オークが斧を振れば刃が欠ける。トロールが棍棒を振り下ろせば、棍棒ごとひっくり返る。


「すごい!」


 仲間たちは笑った。


「本当に無敵なんだな!」


「君がいてくれると安心するよ」


 僕も笑った。


「僕も、皆さんがいると安心します!」


 夜には焚き火を囲んで食事をした。誰が一番魔物を倒しただとか、次はどこの町へ行こうだとか。僕には仲間ができた。それが嬉しかった。

 

 ダンジョンの攻略でも、僕は大活躍だった。


「先に行ってくれるかい? 罠があるかもしれないから」


 勇者様が言った。


「分かりました!」


 僕は先頭に立った。数歩進んだところで床が沈み、矢が飛んできた。僕の胸に刺さる⋯⋯いや、刺さらない。矢は僕の身体に触れた瞬間、折れて足元へ落ちた。


「大丈夫?」


 後ろから勇者様の声が聞こえる。


「はい!」


「さすがだね」


 僕は笑った。


 その後も僕が先を歩いた。毒の霧。落石。炎。全部、僕が受けた。僕は無傷だった。だから、誰も段々と心配をしなくなっていった。でも、それは当然のことだと思った。僕は、無敵なのだから。


     ◇


「今日は少し休みませんか?」


 ある日の夜、僕は言った。疲れていた。身体は元気だった。でも、頭が重かった。


「どうしたの?」


 仲間の一人が聞いた。


「ちょっと疲れてしまって」


 勇者様が微笑んだ。


「もう少し頑張れるかな。次の町まで行けば休めるから」


「……分かりました」


 僕は立ち上がって、歩いた。


 また僕が先頭だった。魔物に殴られた。魔法に焼かれた。全部、平気だった。だから誰も気にしなかった。


     ◇


「これ味見してくれるかしら? 毒が入ってなければ、食材にできるかも」


「⋯⋯わかりました」


「この宝箱開けてみてよ。たぶん罠の気がするんだよねえ〜」


「……わかりました」


 少しずつ、違和感は大きくなっていった。


「今回の報酬だよ」


 勇者様が袋を差し出した。僕の取り分だけ、明らかに少なかった。


「……あの」


「うん?」


「これ、僕の分……」


「君は怪我をしてないだろう?」


「……」


「僕たちは毎回、命を懸けてるからね。少し差をつけておかないと、他のメンバーに示しがつかないんだ」


 そう言って、勇者様は笑った。


「嫌なら、言ってくれれば考えるけど」


「……いえ」


 僕は袋を受け取った。


「ありがとうございます」


 笑った。笑えていたと思う。


     ◇


 その夜、僕はテントの外で星空を見上げていた。焚き火の向こうから、みんなの声が聞こえてくる。


「明日のダンジョン攻略、どうする?」


「いつも通りだろ。まずはあいつを突っ込ませる」


 笑い声。


「便利だよな」


 僕は、膝の上で手を握った。


 痛くない。どれだけ強く握っても、身体は痛がらない。そういうふうに、この力は僕を守ってくれる。でも、胸の奥だけが、どうしても痛かった。


「……便利」


 僕は呟いた。


 ひどく寂しかった。


     ◇


 翌朝。思い切って勇者様に聞いてみた。


「⋯⋯僕は、仲間ですか?」


「もちろん」


「じゃあ、どうして僕だけがいつも前にいるんですか?」


「君が一番安全だから」


「僕が嫌だと言ったら?」


 勇者様の笑顔が消えた。


「……どうしたんだ?」


「嫌なんです」


 僕は言った。


「もう、前に立ちたくない」


「でも、君ならできるだろう?」


「できるかどうかじゃないんです」


 声が震えた。


「⋯⋯僕が、嫌なんです」


 勇者様は困ったように笑った。


「今まで何も言わなかったじゃないか」


「……」


「それに、君がいるから僕たちは助かってる」


「僕のことが必要なんですか?」


「必要さ」


「僕自身がですか? それとも、この力がですか?」


 答えはなかった。その沈黙だけで、十分だった。


「……そうです、か」


 何かが、壊れる音がした。


「——なら、もういい」

 

「待て」

 

 勇者が手を伸ばした。

 

「話し合おう」

 

 その手が肩に触れようとした。でも、分かってるんだよ。触れる気なんて、ないくせに。だから、わざと体をぐいっとヤツに寄せた。

 



「――俺に、触るな」

 



 次の瞬間、勇者の手は弾き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。パーティの連中が叫んだ。

 

「勇者!」

 

「てめぇ、裏切るつもりか!」

 

 武器を手に取る。だけど、俺のことを知っているからこそ、俺に手を出せない。

 

 簡単だった。ただ、体当たりするだけ。剣士、槍使い、魔導士。今まで冒険してきたパーティが、次々と地面へ転がっていく。

 

 立ち上がった勇者が、聖剣を抜いた。

 

「僕は……勇者だ」

 

「だからどうした」

 

「君を止める」

 

 勇者が斬りかかってきた。目に止まらぬ速さで、聖剣が俺の肩に触れた。勇者が吹っ飛ぶ。


 たぶん、こいつは分かっている。俺をこうしたのが、自分だということくらい。だから、勝てないと分かっていても来る。自分の不始末を、自分でつけるつもりなのだろう。


 俺は、拳を握りながらゆっくり近づくと、勇者の顔面を殴った。勇者は転がったが、また立ち上がる。


 俺に斬りかかる。また飛ぶ。それでも立ち上がる。倒れ込んだヤツに、俺はまた拳を振った。何度も、何度も。


 やがて、勇者は倒れたまま動かなくなった。それでも、死んではいなかった。勇者とは、そういうものなのだろう。

 

 俺は拳を下ろした。何も感じなかった。勝った。でも、何も嬉しくない。何も。

 

「……くだらない」

 

 俺は背を向けた。

 

 それから、俺を止めようとする人間が何人も現れた。騎士。冒険者。暗殺者。だけど、俺は誰にも傷つけられなかった。

 

     ◇


「——小童《こわっぱ》が、何をしに来た——」


 俺は、魔王の前に立っていた。ここまでの道中も、何も難しいことはなかった。途中で三魔将とかいうやつが出てきたが、まるで相手にならなかった。そして、たぶん目の前の男にも、この力は通用する。


「⋯⋯お前を倒しに」

 

「——よかろう——」

 

 魔王は、玉座からゆっくりと立ち上がった。

 

「——身の程を知れ、愚か者が!——」

 

 拳が振り抜かれる。次の瞬間、空気そのものが爆発した。凄まじい衝撃波が俺へ殺到する。


 だが、届かない。俺の身体に触れる寸前で弾かれた暴風が、左右へ散っていく。壁が砕け、石片が床を転がった。

 

「——なるほど、面白い力だ——」

 

 今度は魔法。黒い炎が床から噴き上がり、俺の身体を包み込む。だが、生暖かいだけだった。俺は炎の中を歩いた。魔王との距離が縮まる。


 突然、魔王が視界から消えた。かと思えば、目の前にいた。鋭い爪が横薙ぎに迫る。避ける必要はない。爪が俺の身体に触れた瞬間、魔王の巨体が弾き飛ばされた。


 玉座を巻き込み、壁へ叩きつけられる。俺は追った。剣を振る。刃が黒い鎧に触れた。しかし、傷ひとつ付かない。逆に、刃のほうが耐えきれず欠けた。


 魔王が立ち上がり、掌をこちらへ向けた。青白い電撃が走る。眩しい。それだけだった。俺に触れた瞬間、電撃は弾かれ、魔王へ逆流しバチバチと音を立てた。


 俺は剣を捨てると、拳を握った。踏み込んで、ヤツのみぞおちを殴った。魔王の身体が後方へ吹き飛ぶ。だが、まるで効いていない。




 何度繰り返したか分からない。床が砕けた。壁が崩れた。玉座はいつの間にか瓦礫になっていた。それでも、俺は無傷だったし、魔王も、まだ立っていた。


 やがて、俺たちは同時に止まった。

 

「——不毛、だな——」

 

 魔王はそう言うと、床にどっかりと腰を下ろした。


 俺は立ち尽くしていた。

 

「何なんだよ、この力⋯⋯負けないだけじゃないか」

 

 自分でも、笑いそうになった。

 

「勇者は殺せなかったし、お前も殺せない……何のために、俺はこんな力を持ってるんだ」

 

「――知ったことか⋯⋯神にでも、聞いてみるんだな――」


 魔王はしばらく何も言わなかった。やがて少しだけ眉を動かすと、静かに口を開いた。

 

「——我が軍に来い——」

 

 俺は不信感に目を細め、自嘲気味に笑った。

 

「はっ⋯⋯俺を利用するつもりか?」

 

「——当然だ——」

 

 即答だった。

 

「——お前の力は有用だ。だから使う——」

 

 魔王は淡々と言った。

 

「——その代わり、相応の報酬は払おう——」

 

「……」

 

「——気に入らなければ出ていけ。戦いたければ、いつでも相手になってやる——」

 

 俺は何も言えなかった。もっと優しい言葉を期待していたのかもしれない。魔王は、俺を救おうとはしなかった。俺を変えようともしなかった。ただ、条件を示した。使う。報酬を払う。嫌なら辞める。戦いたければ戦う。それだけだった。


 ……でも。

 

     ◇

 

 それから一年。俺は魔軍四天王の一人になっていた。人類は俺を『鋼の魔人』と呼んで恐れた。俺がいる限り魔王城は攻め入られなかったし、勇者は魔王に近づけなかった。


 二年を過ぎた頃には、勇者は別人に代替わりしていた。だけど、どうでもよかった。誰が来ようが、俺のやることは変わらない。来たヤツを追い返す。それだけだ。


 俺にとってはそれが普通のことだったし、魔王も気にしていなかった。いつも通り仕事をして、報酬を受け取って、たまに酒を飲んだ。


 魔王が命令する。俺が文句を言う。たまにケンカになって城を破壊しては、他の四天王に咎められた。それでも、俺は一度も魔王のもとを離れなかった。

 

     ◇


 ベッドの上で、俺は自分の手を見ていた。剣を受け、槍を受け、魔法を浴び、何ひとつ傷つかなかった自分の手。それが、今では枯れ木のように痩せ細っていた。

 

「……結局、病気には勝てなかったな」

 

 俺の近くで、椅子に腰掛けた魔王が鼻を鳴らした。

 

「—— “鋼の魔人” が聞いて呆れるな——」

 

「病は専門外だ。五年も一緒にいて、まだ分からないのか」


「——五年あれば、忘れることもある——」

 

「ひどいな」

 

 俺が笑うと、魔王もほんの少しだけ口元を緩めた。窓の外では、夕日が山の向こうへ沈みかけている。赤い光が、部屋の床をゆっくりと這っていた。

 

「魔王」

 

「——何だ——」

 

「俺は役に立ったか?」


 自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。ただ、最後に一度だけ聞いておきたかった。魔王は少し黙ってから、いつもの調子で答えた。

  

「——お前ほど役に立った部下はいない——」

 

「……そうか」


 瞼《まぶた》が重い。もう、眠ってしまおうか。


 ふと、手元に影が落ちた気がした。薄く目を開けると、魔王が俺の手を取ろうとしている。

 

 それを見て、ほんの少しだけ笑った。

 

「……俺に、触るな」

  

――――――――――――――――――――

 

 後世の歴史書には、彼についての記載が残っている。

  

 どれほどの軍勢に囲まれても退かず、どれほどの攻撃を受けても倒れない、史上最も恐れられた無敵の魔軍四天王。彼の名を聞いただけで戦うことを諦めた者もいるほどで、そのうち戦争自体がなくなった。

 

 だから、誰も知らない。

 

 その恐ろしい『鋼の魔人』が、かつては十五歳の純粋な少年だったことを。死ぬのが怖くて、誰かに必要とされることが嬉しくて、ただ誰かを守りたいだけの少年だったことを。


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