『鋼の魔人』〜僕が魔軍の最強四天王になった理由〜
死ぬのは嫌だった。
僕はまだ十五歳。冒険者になって、たった三日目だ。孤児院で育ったから、帰る家はない。世界を救いたいなんて、大それた夢も持っていない。
それでも、やりたいことはあった。冒険者として、いろんな場所へ行ってみたい。いろんな依頼をこなして、尊敬されたい。そして、みんなを守れるように強くなりたい。
それなのに、昨日買ったばかりの剣の代金すら、まだ払い終えていない。こんなところで死にたくなかった。
「……う、うわ……わ……」
目の前にいる魔物は、僕の身長の三倍はあった。灰色の皮膚に、丸太みたいな腕。頭には二本の角が生えている。口から垂れた唾液が地面に落ちるたび、ジュッと音を立てて草を溶かしていた。
僕らが受けた依頼は、森の奥で薬草を採ってくるだけの簡単なものだった。こんな魔物がいるなんて聞いてないし、知ってたら絶対に来なかった。
「……に、逃げなきゃ⋯⋯」
一緒に来た戦士さん二人は、既にペシャンコになってしまった。魔物が一歩近づく度に、地面が揺れる。無理だ、こんなの。分かっているのに、足が震えて動けない。
魔物が吠えた。耳が痛くなるほどの咆哮。そして、巨大な拳が振り上げられた。
「嫌だっ……! 死にたくない!」
僕は、剣を落としてしゃがみこんだ。
拳が迫る。
もう、間に合わない。
「……神様、お願いです——」
轟音が響いた。
――僕は、無傷だった。
「…………え?」
どこも痛くない。僕は自分の身体を確認した。血は出ていないし、服に穴ひとつ開いていない。ただ、目の前にいた魔物が、数メートル先にひっくり返っていた。
魔物が起き上がった。まだ生きている。僕は慌てて剣を拾った。魔物が怒り狂ったように突っ込んでくる。
「待って!」
魔物の拳が僕の顔面に触れる。
すると、また魔物が吹っ飛んだ。今度はさっきより遠かった。森の木が何本も折れる。僕は、自分の頬を触った。何ともない。
「……奇跡だ」
その日、僕は初めて神様に感謝した。
◇
僕の力は単純だった。
僕に向けられた攻撃は、絶対に僕へ届かない。殴られれば、殴った相手が吹っ飛ぶ。落石が降ってくれば、落石が弾き返される。僕が強くなったわけではなかったけれど、ただ負けなくなった。
冒険者ギルドの訓練場。
教官の振った木剣が、僕の肩に当たる。すると、腕ごと弾き返された教官がそのまま倒れ、尻もちをついた。
「うわあっ!」
「す、すみません!」
教官は腰を押さえながら起き上がった。
「なるほどな。すごい力だ」
「ですよね! これなら、誰かを守れます!」
僕は笑った。
嬉しかった。この力を、みんなの役に立てよう。魔物に襲われた人がいたら、僕が前に立てばいい。僕なら大丈夫だ。怖いものなんてない。
◇
「僕たちの仲間にならないか?」
勇者様から声をかけられたのは、それから一週間後だった。聖剣を腰に下げ、白いマントを羽織った青年。僕より三つ年上なだけなのに、その姿はとても大きく見えた。
「僕が……勇者様の?」
「そう」
勇者様はにこやかに笑った。
「君の力を見た。あれだけの攻撃を受けて無傷なんて、すごいよ」
「でも、僕は剣の腕も全然で……」
「それでいい。戦うのは僕たちだ。だから君には、僕たちを守ってほしい」
胸が熱くなった。
「……僕でいいんですか?」
「君がいいんだ」
その言葉を、僕は一生忘れないと思った。
「よろしくお願いします!」
頭を下げた。嬉しかった。ものすごく嬉しくて、涙が溢れた。冒険者になってよかった。あのとき死ななくてよかった。神様に祈ってよかった。
勇者様が僕に握手を求める。僕もそれに応じようとする。だけど――
バチィン!
「いてて⋯⋯」
「あっ、すみません! 大丈夫ですか!」
そうだ、僕の力には、こういう不便なこともあった。
◇
勇者様たちとの冒険は、本当に楽しかった。
魔物が出れば僕が前に出る。ゴブリンが殴れば吹っ飛ぶ。オークが斧を振れば刃が欠ける。トロールが棍棒を振り下ろせば、棍棒ごとひっくり返る。
「すごい!」
仲間たちは笑った。
「本当に無敵なんだな!」
「君がいてくれると安心するよ」
僕も笑った。
「僕も、皆さんがいると安心します!」
夜には焚き火を囲んで食事をした。誰が一番魔物を倒しただとか、次はどこの町へ行こうだとか。僕には仲間ができた。それが嬉しかった。
ダンジョンの攻略でも、僕は大活躍だった。
「先に行ってくれるかい? 罠があるかもしれないから」
勇者様が言った。
「分かりました!」
僕は先頭に立った。数歩進んだところで床が沈み、矢が飛んできた。僕の胸に刺さる⋯⋯いや、刺さらない。矢は僕の身体に触れた瞬間、折れて足元へ落ちた。
「大丈夫?」
後ろから勇者様の声が聞こえる。
「はい!」
「さすがだね」
僕は笑った。
その後も僕が先を歩いた。毒の霧。落石。炎。全部、僕が受けた。僕は無傷だった。だから、誰も段々と心配をしなくなっていった。でも、それは当然のことだと思った。僕は、無敵なのだから。
◇
「今日は少し休みませんか?」
ある日の夜、僕は言った。疲れていた。身体は元気だった。でも、頭が重かった。
「どうしたの?」
仲間の一人が聞いた。
「ちょっと疲れてしまって」
勇者様が微笑んだ。
「もう少し頑張れるかな。次の町まで行けば休めるから」
「……分かりました」
僕は立ち上がって、歩いた。
また僕が先頭だった。魔物に殴られた。魔法に焼かれた。全部、平気だった。だから誰も気にしなかった。
◇
「これ味見してくれるかしら? 毒が入ってなければ、食材にできるかも」
「⋯⋯わかりました」
「この宝箱開けてみてよ。たぶん罠の気がするんだよねえ〜」
「……わかりました」
少しずつ、違和感は大きくなっていった。
「今回の報酬だよ」
勇者様が袋を差し出した。僕の取り分だけ、明らかに少なかった。
「……あの」
「うん?」
「これ、僕の分……」
「君は怪我をしてないだろう?」
「……」
「僕たちは毎回、命を懸けてるからね。少し差をつけておかないと、他のメンバーに示しがつかないんだ」
そう言って、勇者様は笑った。
「嫌なら、言ってくれれば考えるけど」
「……いえ」
僕は袋を受け取った。
「ありがとうございます」
笑った。笑えていたと思う。
◇
その夜、僕はテントの外で星空を見上げていた。焚き火の向こうから、みんなの声が聞こえてくる。
「明日のダンジョン攻略、どうする?」
「いつも通りだろ。まずはあいつを突っ込ませる」
笑い声。
「便利だよな」
僕は、膝の上で手を握った。
痛くない。どれだけ強く握っても、身体は痛がらない。そういうふうに、この力は僕を守ってくれる。でも、胸の奥だけが、どうしても痛かった。
「……便利」
僕は呟いた。
ひどく寂しかった。
◇
翌朝。思い切って勇者様に聞いてみた。
「⋯⋯僕は、仲間ですか?」
「もちろん」
「じゃあ、どうして僕だけがいつも前にいるんですか?」
「君が一番安全だから」
「僕が嫌だと言ったら?」
勇者様の笑顔が消えた。
「……どうしたんだ?」
「嫌なんです」
僕は言った。
「もう、前に立ちたくない」
「でも、君ならできるだろう?」
「できるかどうかじゃないんです」
声が震えた。
「⋯⋯僕が、嫌なんです」
勇者様は困ったように笑った。
「今まで何も言わなかったじゃないか」
「……」
「それに、君がいるから僕たちは助かってる」
「僕のことが必要なんですか?」
「必要さ」
「僕自身がですか? それとも、この力がですか?」
答えはなかった。その沈黙だけで、十分だった。
「……そうです、か」
何かが、壊れる音がした。
「——なら、もういい」
「待て」
勇者が手を伸ばした。
「話し合おう」
その手が肩に触れようとした。でも、分かってるんだよ。触れる気なんて、ないくせに。だから、わざと体をぐいっとヤツに寄せた。
「――俺に、触るな」
次の瞬間、勇者の手は弾き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。パーティの連中が叫んだ。
「勇者!」
「てめぇ、裏切るつもりか!」
武器を手に取る。だけど、俺のことを知っているからこそ、俺に手を出せない。
簡単だった。ただ、体当たりするだけ。剣士、槍使い、魔導士。今まで冒険してきたパーティが、次々と地面へ転がっていく。
立ち上がった勇者が、聖剣を抜いた。
「僕は……勇者だ」
「だからどうした」
「君を止める」
勇者が斬りかかってきた。目に止まらぬ速さで、聖剣が俺の肩に触れた。勇者が吹っ飛ぶ。
たぶん、こいつは分かっている。俺をこうしたのが、自分だということくらい。だから、勝てないと分かっていても来る。自分の不始末を、自分でつけるつもりなのだろう。
俺は、拳を握りながらゆっくり近づくと、勇者の顔面を殴った。勇者は転がったが、また立ち上がる。
俺に斬りかかる。また飛ぶ。それでも立ち上がる。倒れ込んだヤツに、俺はまた拳を振った。何度も、何度も。
やがて、勇者は倒れたまま動かなくなった。それでも、死んではいなかった。勇者とは、そういうものなのだろう。
俺は拳を下ろした。何も感じなかった。勝った。でも、何も嬉しくない。何も。
「……くだらない」
俺は背を向けた。
それから、俺を止めようとする人間が何人も現れた。騎士。冒険者。暗殺者。だけど、俺は誰にも傷つけられなかった。
◇
「——小童が、何をしに来た——」
俺は、魔王の前に立っていた。ここまでの道中も、何も難しいことはなかった。途中で三魔将とかいうやつが出てきたが、まるで相手にならなかった。そして、たぶん目の前の男にも、この力は通用する。
「⋯⋯お前を倒しに」
「——よかろう——」
魔王は、玉座からゆっくりと立ち上がった。
「——身の程を知れ、愚か者が!——」
拳が振り抜かれる。次の瞬間、空気そのものが爆発した。凄まじい衝撃波が俺へ殺到する。
だが、届かない。俺の身体に触れる寸前で弾かれた暴風が、左右へ散っていく。壁が砕け、石片が床を転がった。
「——なるほど、面白い力だ——」
今度は魔法。黒い炎が床から噴き上がり、俺の身体を包み込む。だが、生暖かいだけだった。俺は炎の中を歩いた。魔王との距離が縮まる。
突然、魔王が視界から消えた。かと思えば、目の前にいた。鋭い爪が横薙ぎに迫る。避ける必要はない。爪が俺の身体に触れた瞬間、魔王の巨体が弾き飛ばされた。
玉座を巻き込み、壁へ叩きつけられる。俺は追った。剣を振る。刃が黒い鎧に触れた。しかし、傷ひとつ付かない。逆に、刃のほうが耐えきれず欠けた。
魔王が立ち上がり、掌をこちらへ向けた。青白い電撃が走る。眩しい。それだけだった。俺に触れた瞬間、電撃は弾かれ、魔王へ逆流しバチバチと音を立てた。
俺は剣を捨てると、拳を握った。踏み込んで、ヤツのみぞおちを殴った。魔王の身体が後方へ吹き飛ぶ。だが、まるで効いていない。
何度繰り返したか分からない。床が砕けた。壁が崩れた。玉座はいつの間にか瓦礫になっていた。それでも、俺は無傷だったし、魔王も、まだ立っていた。
やがて、俺たちは同時に止まった。
「——不毛、だな——」
魔王はそう言うと、床にどっかりと腰を下ろした。
俺は立ち尽くしていた。
「何なんだよ、この力⋯⋯負けないだけじゃないか」
自分でも、笑いそうになった。
「勇者は殺せなかったし、お前も殺せない……何のために、俺はこんな力を持ってるんだ」
「――知ったことか⋯⋯神にでも、聞いてみるんだな――」
魔王はしばらく何も言わなかった。やがて少しだけ眉を動かすと、静かに口を開いた。
「——我が軍に来い——」
俺は不信感に目を細め、自嘲気味に笑った。
「はっ⋯⋯俺を利用するつもりか?」
「——当然だ——」
即答だった。
「——お前の力は有用だ。だから使う——」
魔王は淡々と言った。
「——その代わり、相応の報酬は払おう——」
「……」
「——気に入らなければ出ていけ。戦いたければ、いつでも相手になってやる——」
俺は何も言えなかった。もっと優しい言葉を期待していたのかもしれない。魔王は、俺を救おうとはしなかった。俺を変えようともしなかった。ただ、条件を示した。使う。報酬を払う。嫌なら辞める。戦いたければ戦う。それだけだった。
……でも。
◇
それから一年。俺は魔軍四天王の一人になっていた。人類は俺を『鋼の魔人』と呼んで恐れた。俺がいる限り魔王城は攻め入られなかったし、勇者は魔王に近づけなかった。
二年を過ぎた頃には、勇者は別人に代替わりしていた。だけど、どうでもよかった。誰が来ようが、俺のやることは変わらない。来たヤツを追い返す。それだけだ。
俺にとってはそれが普通のことだったし、魔王も気にしていなかった。いつも通り仕事をして、報酬を受け取って、たまに酒を飲んだ。
魔王が命令する。俺が文句を言う。たまにケンカになって城を破壊しては、他の四天王に咎められた。それでも、俺は一度も魔王のもとを離れなかった。
◇
ベッドの上で、俺は自分の手を見ていた。剣を受け、槍を受け、魔法を浴び、何ひとつ傷つかなかった自分の手。それが、今では枯れ木のように痩せ細っていた。
「……結局、病気には勝てなかったな」
俺の近くで、椅子に腰掛けた魔王が鼻を鳴らした。
「—— “鋼の魔人” が聞いて呆れるな——」
「病は専門外だ。五年も一緒にいて、まだ分からないのか」
「——五年あれば、忘れることもある——」
「ひどいな」
俺が笑うと、魔王もほんの少しだけ口元を緩めた。窓の外では、夕日が山の向こうへ沈みかけている。赤い光が、部屋の床をゆっくりと這っていた。
「魔王」
「——何だ——」
「俺は役に立ったか?」
自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。ただ、最後に一度だけ聞いておきたかった。魔王は少し黙ってから、いつもの調子で答えた。
「——お前ほど役に立った部下はいない——」
「……そうか」
瞼が重い。もう、眠ってしまおうか。
ふと、手元に影が落ちた気がした。薄く目を開けると、魔王が俺の手を取ろうとしている。
それを見て、ほんの少しだけ笑った。
「……俺に、触るな」
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後世の歴史書には、彼についての記載が残っている。
どれほどの軍勢に囲まれても退かず、どれほどの攻撃を受けても倒れない、史上最も恐れられた無敵の魔軍四天王。彼の名を聞いただけで戦うことを諦めた者もいるほどで、そのうち戦争自体がなくなった。
だから、誰も知らない。
その恐ろしい『鋼の魔人』が、かつては十五歳の純粋な少年だったことを。死ぬのが怖くて、誰かに必要とされることが嬉しくて、ただ誰かを守りたいだけの少年だったことを。




