さよならの月見
「パチンコでフィーバーしちゃったからちょっと遅れるね、先にお店に行っててね」
スマホに届いたその一行を見たとき、僕は「元気だな」と微笑ましく思っていた。
女手一つで僕を育ててくれた母に彼女を会わせた時、母は「明るくていい子じゃない」と言ってくれた。その言葉に僕は彼女との未来が明るいと確信していた。
学生時代の仲間の健とその彼女の恵美さんと合流し、学生時代からの馴染みのお好み焼き屋の暖簾をくぐる。
今日はお互いの彼女を紹介し合う約束だった。
「ここの目玉焼きトッピング、まじで神なんですよ。白身の縁はカリッとしてて、黄身は絶妙な半熟。それを崩してソースと絡めるのが最高なんです」
熱く語る僕の前に、主役が届いた。湯気と共に踊る鰹節。その頂点に君臨する、完璧なフォルムの目玉焼き。
そこへ、彼女が息を切らしてやってきた。健に彼女を紹介しようとした時、
「わー、美味しそう!」
彼女の手に握られたコテが、迷いなく鉄板に突き立てられた。
タン!タン!タン!
軽快なリズム。しかし、その軌道は無慈悲だった。彼女は目玉焼きが乗った「核」の部分だけを、円の中心から乱暴にくり抜いた。
「パチンコ勝ったからお腹空いちゃった!」
彼女の小皿に収まったのは、僕が一番楽しみにしていた、黄金色の黄身が溢れ出す中心部。鉄板に残されたのは、中心を失い、境界線がガタガタになったまるで開発に失敗した造成地の航空写真ような無残なお好み焼きの残骸だった。
僕は絶句した。健と恵美さんも、持ち上げたジョッキを止めたまま固まっている。
「……美味しい?」
「うん、最高!」
屈託のない笑顔。
悪気は、一ミリもない。
それが一番きつかった。
僕は自分を納得させるために、もう一枚注文した。
「おばちゃーん、同じのもう一枚ね!トッピングもね!」
二枚目が届く。今度こそ、その完璧な一口を味わおうと構えた瞬間。
「わー、たまごたまご!玉子もーらいっ!」
まただった。
彼女のコテが、再び黄金の城を強奪していった。
胃の中には、具材の詰まった生地だけが溜まっていく。パサつく口の中をビールで流し込むが、心までは潤わない。
「……これ、一切れもらうね」
健が、僕の前に残った「端っこ」をそっと自分の皿に移した。
「私も、ちょっと味見しようかな」
恵美さんも、少し困った顔でコテを伸ばす。
二人の優しさが、ソースの味よりもずっと、僕の胸に染みた。
帰り道、夜風に吹かれながら彼女の横顔を見た。
「今日楽しかったね! またみんなで来ようよ」
彼女にとっては、ただの「ちょっとした食いしん坊な振る舞い」なのだろう。パチンコで勝った高揚感のせいかもしれない。
けれど、僕にはわかってしまった。
彼女の世界には、「僕の楽しみ」や「仲間との調和」が存在する余白がないのだ。
「……そうだね、またいつか」
僕は、繋ごうとしてきた彼女の手をポケットに手を入れるふりをして避けた。
「結婚」という二文字が、鉄板の上でバラバラにされたあのお好み焼きのように、形を失って崩れていく。
「目玉焼きを盗られたから別れる」なんて、誰かに言えば笑われるだろう。母さんにだって説明できない。
でも、あの無残な造成地のようなお好み焼きを、一生食べ続ける自信は僕にはなかった。
「ねぇ、見て。お月様まん丸であの目玉焼きみたいだよ。」
翌朝、おはようのLINEに既読をつけないまま、僕は少しだけ遠い駅まで歩いた。
愛が冷める音は、コテが鉄板を叩く「タン!タン!」という、乾いた音に似ていた。




