持続可能な終末
役所の廊下は、いつもより長かった。
いや、正確には長く「された」のだ。
男は掲示板を見上げた。そこには新しい標語が貼られている。
「持続可能な社会を、期限内に達成しましょう」
「期限内に?」男は首をかしげた。
そのとき、白衣の係官が通りかかった。胸には〈持続推進局・期限課〉とある。
「失礼ですが」と男は声をかけた。「持続可能って、期限がない状態のことじゃないんですか」
係官はにこやかに答えた。「その通りです」
「では、なぜ期限が?」
「期限がないと、期限内に達成できませんから」
男はしばらく考えたが、考えるほどわからなくなった。
「つまり、期限のないものを、期限までに達成する?」
「ええ。最新の方針です」
「もし期限までに達成できなかったら?」
「その場合は安心してください」係官は書類をめくった。「期限を延長します」
男は少し安心した。「じゃあ、いつかは達成できるわけですね」
「ええ。期限を延長し続ければ、理論上は必ず」
廊下の奥で拍手が起きた。振り向くと、別の部署の職員たちが新しい看板を掲げている。
「期限延長の持続可能化」
男は帰宅してニュースをつけた。アナウンサーが明るい声で読み上げる。
「本日、政府は目標の進捗率を発表しました。達成率は昨年の42%から大きく改善し、今年は88%です」
「すごいな」男はつぶやいた。
続いて解説者が補足した。
「なお、残り12%については指標を見直したため、現在は未測定となっております」
翌日、男の職場にも通達が来た。
〈持続達成ポイント制度開始〉
電気を消すと1点。紙を節約すると2点。会議で「持続可能」という言葉を使うと5点。
ただし――
「本制度は持続可能な運用のため、三か月ごとに失効します」
同僚が言った。「貯めても消えるのか」
「持続するためには循環が必要です」上司が説明した。「ポイントも循環させねばなりません」
「つまり?」
「使わなければゼロです」
その日から社内では、意味もなく照明を消しては点ける者、紙を半分に切って二枚として提出する者、「持続可能ですね」と一日三百回つぶやく者が現れた。
やがて街じゅうに表示板が設置された。空の色、風の量、鳥の数、人の笑顔まで数値化され、巨大スクリーンに並ぶ。
持続指数:97%
人々は安心した。97%も持続しているなら大丈夫だろう、と。
だが翌週、指数は突然12%になった。
街は騒然となり、専門家が会見した。
「ご安心ください。測定方法を改良した結果です」
「つまり?」
「以前より正確に低く出るようになりました」
人々は納得した。正確なら低くてもよい。
政府はただちに対策本部を設置し、新目標を発表した。
「持続指数を三年以内に100%へ」
男は手を挙げた。「100%になったら?」
「次は110%を目指します」
「それは無理では」
「無理を目指すことが持続です」
男は感心した。なるほど、理屈はわからないが、なんとなく立派だ。
それから数年、指数は順調に上がった。120%、180%、ついに300%。
祝賀式典が開かれ、花火が上がり、司会者が叫んだ。
「わが国はついに、持続可能性を三倍達成しました!」
観客は総立ちで拍手した。男も拍手した。何が三倍なのかは知らなかったが、三倍はすごそうだった。
だがその夜、男の家の床が音を立てて沈んだ。
「おや?」と思う間もなく、壁が傾き、天井が落ち、街灯が倒れ、遠くで海があふれた。
翌朝、緊急放送が流れた。
「ただいまの崩壊は、持続指数算定外の現象です。したがって目標達成状況に影響はありません」
男は瓦礫の上でラジオを握りしめた。
「影響ないのか」
「ありません」アナウンサーは落ち着いた声で言った。「なお、環境の実体は一時的に消失しましたが、指標上は良好です」
男は空を見上げた。空はなかった。
代わりに、空の数値が表示されていた。
空:良好(暫定)
そこへ例の係官が歩いてきた。埃ひとつついていない。
「おめでとうございます」
「何がです」
「本日をもって、持続可能な社会は完全達成されました」
「どこがです」
「ほら」係官は端末を見せた。「全指標、期限内クリアです」
男はあたりを見回した。街は消え、人も消え、音も消え、風も消えている。
「でも、何も残っていない」
「ええ」係官は満足そうにうなずいた。「だからこそです」
「だから?」
「もう壊れるものがありません。永久に持続します」
男はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「それは確かに、持続可能ですね」
「でしょう」係官は胸を張った。「期限もありません」
そのとき端末が鳴った。係官は画面を確認し、顔をしかめた。
「おや」
「どうしました」
「新しい国際目標が届きました」
「今度は何を?」
係官は読み上げた。
「『持続可能な持続可能性の持続』を、2030年までに達成せよ」
男は言った。「それ、達成できなかったら?」
係官は微笑んだ。
「ご安心ください。期限を延長します」
端末がもう一度鳴った。
「まだ何か?」
「ええ」係官は画面を見つめたまま言った。「ただいま通知が――」
「どんな?」
「『持続可能な世界のため、世界は本日をもって終了しました』」
男は目を瞬いた。
「終了?」
「はい。終了すれば、悪化もしません。これ以上壊れもしません。数値も下がりません」
係官は深くうなずいた。
「つまりこれは――」
男が言いかけたとき、係官の姿が消えた。
端末も消えた。
表示板も消えた。
最後に残ったのは、空中に浮かぶ一行の表示だけだった。
〈最終達成率:∞%〉
男はそれを見つめ、ぽつりと言った。
「……ああ」
その声も、すぐに持続しなくなった。




