第九話:最強夫婦の結婚準備
「……また、やってしまいましたわ」
静まり返った衣装部屋に、わたくしの独り言が虚しく響きました。
足元には、真っ二つに裂けた純白のシルク生地。
そして、弾け飛んだファスナーの金具が、部屋の隅で転がっています。
「お、お嬢様……これで三着目です……」
専属メイドのアナが、泣きそうな顔で針と糸を握りしめていました。
来週に迫った結婚式。
本日は、その最終フィッティングの日でした。
わたくしは鏡に映る自分の背中を振り返ります。
そこに映っていたのは、ドレスからはみ出した、以前よりも一回り大きくなった広背筋。
まるで鬼の顔が笑っているかのような、見事なカット。
原因は明白です。
レオナルド様とのトレーニングデートが充実しすぎたのです。
毎日の合同トレーニング。
互いにプロテインを飲ませ合う甘いひととき。
その結果、わたくしの体は「幸せ太り」ならぬ「幸せバルクアップ」を遂げてしまいました。
「困りましたわ。このままでは、裸にヴェールだけで式に出ることになります」
それはそれでボディービル大会のようで悪くありませんが、さすがに教会から出入り禁止を食らうでしょう。
「マリアンヌ、入ってもいいか?」
ノックと共に、レオナルド様が入室されました。
彼はわたくしの惨状(半裸にボロ布を纏った姿)を見ても、全く動じることはありません。
むしろ、目を細めて頷きました。
「素晴らしい仕上がりだ。僧帽筋の厚みが増している」
「レオナルド様、褒めている場合ではありませんの。ドレスが全滅です」
「ならば、特注のミスリル繊維を編み込んだ生地を使おう。私の鎧の下地に使っているものだが、あれなら伸縮性も強度も申し分ない」
ミスリル繊維。
最高級の魔法金属を糸状にしたもの。
お値段はドレス百着分。
それを花嫁衣装に?
「……採用ですわ」
背に腹は代えられません。
それに、ミスリル製のドレスなら、誓いのキスの最中に敵襲があってもそのまま戦闘に入れますものね。
「では、すぐに職人を手配しよう。……その前に、式場の最終確認に行かないか? 祭壇の補強工事が終わったそうだ」
わたくしたちは着替えを済ませ(わたくしは予備の伸縮性ワンピース)、王都の大聖堂へと向かいました。
大聖堂は、ステンドグラスから差し込む光が美しい、神聖な場所です。
しかし、今の祭壇周辺は少し様子が違いました。
床石が剥がされ、代わりに鉄板が敷き詰められています。
柱には補強用の鉄骨。
まるで要塞です。
「これなら、誓いの指輪交換で君が少し力を入れすぎても床が抜けることはない」
「さすがレオナルド様。リスク管理が完璧ですわ」
わたくしが感心して鉄板の強度を確かめていると、背後から小馬鹿にするような声が聞こえてきました。
「やれやれ。神聖な教会を工事現場に変えるとは、相変わらず品がないね」
振り返ると、そこにはアルフレッド王太子が立っていました。
後ろには、怯えた様子のリリィ様もいます。
殿下は、以前より少し痩せたように見えました。
頬がこけ、目の下にクマがあります。
ストレスでしょうか。
カタボリックが進行していますわね。
「あら、殿下。ご招待状はお送りしておりませんが、参列をご希望で?」
「ふん、誰がゴリラの結婚式になど出るものか! 僕はただ、この国の伝統が汚されるのを嘆いているだけだ!」
殿下は大げさに肩をすくめ、レオナルド様に向かって鼻を鳴らしました。
「騎士団長ともあろう者が、こんな筋肉女に騙されて。君も落ちたものだね。夜の生活もさぞかし暑苦しいことだろう」
下品な挑発。
わたくしは扇子を持つ手に力を込めました。
自分のことを言われるのは構いませんが、レオナルド様を愚弄するのは許せません。
この扇子をフリスビーのように投げて、彼の前髪だけを剃り落として差し上げましょうか。
しかし、わたくしが動くより早く、レオナルド様が動きました。
「……殿下」
低く、地を這うような声。
レオナルド様は一瞬で殿下との距離を詰め、彼を壁際まで追い込みました。
そして。
ドンッ!!
右手を壁に叩きつけました。
壁ドンです。
ただし、叩きつけた場所の石壁が蜘蛛の巣状にひび割れ、パラパラと粉が落ちてきています。
「ヒッ……!」
殿下が悲鳴を上げ、腰を抜かしそうになりました。
「私の妻を侮辱することは許さない。彼女は私の誇りであり、私の全てだ」
レオナルド様の瞳は、絶対零度の冷たさを放っています。
殺気すら混じった、本気の怒り。
「あ、あの……わたくしからも一言よろしいでしょうか」
わたくしも静かに歩み寄り、殿下のもう片方の逃げ場を塞ぐように立ちました。
「殿下。わたくしたちの愛は、物理的な質量に裏打ちされた本物です。貧弱な想像力で語らないでいただきたい」
そして。
ドンッ!!
わたくしは左手を壁に叩きつけました。
加減はしました。
ですが、レオナルド様が作ったヒビと、わたくしが作った衝撃が合わさり、臨界点を超えてしまったようです。
ガラガラガラ……!
殿下の背後の壁が、音を立てて崩れ落ちました。
ぽっかりと空いた穴からは、爽やかな青空が見えます。
「あ……あ……」
殿下は両側からわたくしたちに挟まれ、背後は崩落という状況で、完全に思考停止しています。
リリィ様はすでに白目を剥いて気絶していました。
「……修理費は、王家の方へ請求させていただいても?」
わたくしがニッコリと微笑むと、殿下はコクコクと首を縦に振り、脱兎のごとく逃げ出していきました。
気絶したリリィ様を引きずりながら。
少しは筋力がついたようですね。
「……やりすぎたかな」
レオナルド様が、崩れた壁を見て苦笑しました。
「いいえ。ちょうど換気が良くなりましたわ」
わたくしは彼の手を取り、その厚い掌に自分の掌を重ねました。
大きさは違いますが、硬さと温かさは同じです。
「レオナルド様。わたくし、この先どんな壁が立ちはだかっても、あなたとなら壊していける気がします」
「ああ、マリアンヌ。私もだ。どんな強敵も、二人でなら粉砕できる」
わたくしたちは崩れた壁の穴から差し込む光の中で、互いの決意を確認し合いました。
ドレスの問題も、元婚約者の嫌がらせも、もはや些細なことです。
わたくしたちには、最強の武器(筋肉)と、最強の盾(愛)があるのですから。
「さあ、帰りましょう。結婚式に向けて、最後の追い込み(トレーニング)が必要ですわ」
「ああ、今日は背中の日だな」
わたくしたちは腕を組み、幸せな足取りで大聖堂を後にしました。
背後で神父様が「壁が……!」と叫んでいる声は、愛の賛美歌のように聞こえました。
いよいよ、最強夫婦の誕生まであとわずかです。




