第七話:ドラゴン、張り倒される
巨大な黒い塊が、ボールのように弾け飛びました。
わたくしの掌底が顎を捉えた瞬間、エンシェント・ドラゴンの巨体は浮き上がり、そのまま後方へと回転しながら吹っ飛んでいきました。
ズザザザザ……!
ドラゴンは地面を削りながら数百メートルほど滑り、砦の反対側の岩山に激突してようやく止まりました。
岩山が崩れ、土煙がもうもうと上がります。
「ふぅ。手応えは悪くありませんでしたわ」
わたくしはスカートの埃を払いながら、ふわりと地面に着地しました。
十点満点の着地です。
体幹が安定している証拠ですわね。
しかし、安心している場合ではありません。
わたくしは慌てて背中のリュックを下ろし、中身を確認しました。
「ああ、よかった……」
タッパーの中のプロテインクッキーは、奇跡的に無事でした。
一枚も割れていません。
衝撃吸収のために詰めておいた緩衝材(予備のタオル)が功を奏しました。
「マ、マリアンヌ……?」
背後から、掠れた声が聞こえました。
振り返ると、瓦礫に埋もれかけたレオナルド様が、信じられないものを見る目でこちらを見上げています。
口元からは血が流れていますが、瞳の光は失われていません。
「レオナルド様! ご無事ですか!」
わたくしは駆け寄り、彼を覆っていた瓦礫(重さ百キロほどの石材)を片手でどけました。
発泡スチロールのように軽々と。
「すまない、見苦しいところを……幻覚だろうか。君が空から降ってきて、ドラゴンを張り倒したように見えたのだが」
「幻覚ではありませんわ。少しばかり急いで参りましたの」
わたくしはハンカチで彼の口元の血を拭いました。
痛々しい怪我です。
肋骨が折れている音がします。
これは早急に栄養を摂取し、超回復を促さなければなりません。
「それよりレオナルド様、お時間よろしいですか?」
「え、あ、ああ……」
「お弁当をお持ちしましたの。どうしても今、食べていただきたくて」
わたくしはリュックからタッパーを取り出し、パカッと蓋を開けました。
香ばしい匂いが漂います。
戦場には不釣り合いな、甘い香り。
「クッキー……?」
「はい。特製プロテインクッキーです。タンパク質含有量は通常の三倍。怪我の回復にはこれしかありません」
レオナルド様は瞬きを繰り返しました。
そして、震える手でクッキーを一枚手に取ります。
「わざわざ、これを届けるために……ここまで走ってきたのか?」
「ええ、もちろん。筋肉の分解は一刻を争いますから」
彼はクッキーを口に運び、ゆっくりと噛み締めました。
そして、涙ぐんだ瞳でわたくしを見つめます。
「……美味い。力が湧いてくるようだ」
「でしょう! さあ、もっと召し上がって!」
わたくしたちが和やかなティータイム(栄養補給)を楽しんでいると、周囲の騎士たちがようやく正気を取り戻したようです。
「お、おい……今の見たか?」
「公爵令嬢が……ドラゴンを……?」
「俺、もう田舎に帰りたい」
騎士たちは剣を落とし、呆然と立ち尽くしています。
彼らの視線の先では、岩山に突っ込んだドラゴンが、よろよろと起き上がろうとしていました。
「グルルルゥ……!」
ドラゴンが頭を振り、怒りの咆哮を上げました。
さすがは伝説級。
わたくしの全力の掌底を受けても、意識を保っているとは。
首の筋肉(胸鎖乳突筋)が相当発達しているのでしょう。
「ガァアアアッ!!」
ドラゴンは口を大きく開け、喉の奥に赤い光を溜め始めました。
ブレスです。
わたくしたちを焼き尽くすつもりですわね。
「マリアンヌ! 危ない!」
レオナルド様が叫び、わたくしを庇おうとします。
ですが、怪我人に無理は禁物です。
「動き回ってはダメですわ、レオナルド様。消化に悪いです」
わたくしは彼を優しく制し、ドラゴンに向き直りました。
せっかくのクッキータイムを邪魔するなんて。
トレーナーとして、少し教育が必要なようです。
「待てと言いましたのに……聞き分けのない子ですわね」
わたくしは一歩、前に出ました。
そして、大きく息を吸い込みます。
腹式呼吸。
丹田に力を込め、声を張り上げました。
「静かにしなさい!!」
その声は、物理的な衝撃波となって空気を震わせました。
いわゆる「ドスの利いた声」というやつです。
ジムの主のような威圧感。
ドラゴンがビクッと体を震わせ、ブレスの光が霧散しました。
咳き込むように煙を吐き出し、驚いた顔でこちらを見ています。
「食事の邪魔をするのはマナー違反ですわ。座りなさい」
わたくしは人差し指を地面に向けました。
毅然とした態度で。
動物のしつけは、最初が肝心です。
自分が誰よりも強いということを(物理で)分からせなければなりません。
ドラゴンは迷っていました。
本能が警鐘を鳴らしているのでしょう。
この小さな人間は、自分より強いと。
先ほどの一撃の痛みが、その巨体に刻まれています。
「グルゥ……」
ドラゴンはおずおずと視線を逸らし、ゆっくりと腰を下ろしました。
そして、前足を揃え、小さくなりました。
お座りです。
「よし。いい子です」
わたくしは近づいていきました。
周囲から「ひぃっ」という悲鳴が上がりますが無視します。
ドラゴンの鼻先まで歩み寄り、その硬い鱗を素手で撫でました。
「キャン……」
ドラゴンが甘えるような声を出しました。
どうやら、完全に服従したようです。
動物の世界はシンプルです。
強い者がボス。
筋肉こそが正義。
「今日からあなたの名前は『ポチ』ですわ。分かりまして?」
ポチ(体長三十メートル)は、嬉しそうに尻尾を振りました。
その風圧で、近くにいた騎士たちが数名転がりましたが、まあご愛嬌でしょう。
「す、すごい……」
背後から、感嘆の声が聞こえました。
レオナルド様です。
彼はクッキーを完食し、キラキラした目でわたくしとポチを見ています。
「伝説の魔獣を一喝して従わせるとは……! 君の覇気は、もはや王者のそれだ!」
「あら、ただのしつけですわ。大型犬みたいなものですし」
「大型犬……なるほど、君の器の大きさには底がないな!」
レオナルド様が拍手を始めました。
パチパチパチ。
一人だけのスタンディングオベーション。
騎士団の皆様は、遠い目で空を見上げています。
現実逃避に入られたようです。
こうして、国の存亡をかけた戦いは、わたくしの一撃としつけによって幕を閉じました。
ただ一つ、問題があるとすれば。
ポチがわたくしに懐きすぎて、帰りの道中ずっと後ろをついてきたことです。
王都の門番が泡を吹いて倒れる未来が見えますが、まあ、番犬として飼えば防犯にもなるでしょう。
餌代(タンパク質)が少々かかりそうですが、そこはレオナルド様に相談ですわね。




