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聖剣をへし折った悪役令嬢は、最強の騎士団長を筋肉で溺愛させる  作者: 月雅


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5/10

第五話:か弱き令嬢の護身術


「おい、そこの姉ちゃん。ちょっとツラ貸しな」


下品な声が、わたくしの鼓膜を揺らしました。


場所は王都の下町。

メインストリートから一本外れた、少し薄暗い路地裏です。


わたくし、マリアンヌは今、完璧な変装をしてお忍びショッピングを楽しんでおりました。

公爵令嬢だとバレないよう、分厚い眼鏡をかけ、フード付きのローブを深々と被っています。

ローブの下には、片方十キロのリストウェイトとアンクルウェイトを装着済み。

ただ歩くだけで、全身に負荷がかかる仕組みです。


目的は、鍛冶屋街での特注ダンベルの発注。

既製品では軽すぎて、もうウォーミングアップにもなりませんから。


そんな充実した休日の邪魔をしてきたのが、目の前に立ち塞がる五人の男たちでした。

見るからに治安の悪そうな風貌。

無精髭に、濁った目つき。

手にはナイフや棍棒を持っています。


「聞こえてんのか? 黙って俺たちについて来いよ」


リーダー格らしい男が、ニヤニヤしながらナイフをちらつかせました。


なるほど。

これが噂に聞く「カツアゲ」というものでしょうか。

それとも、どこかの貴族のご子息(例えば元婚約者の方)からの差し金でしょうか。


どちらにせよ、迷惑な話です。

筋肉のゴールデンタイムを、こんな非生産的な会話で消費したくありません。


「ごきげんよう。急いでおりますので、失礼いたしますわ」


わたくしは会釈だけして、横を通り過ぎようとしました。

関わらないのが一番です。

彼らの貧弱な上腕二頭筋を見ていると、トレーニング不足への怒りでストレスホルモン(コルチゾール)が分泌されてしまいそうですから。


「無視してんじゃねえ!」


男の一人が、わたくしの肩を掴もうと手を伸ばしてきました。

遅い。

あくびが出るほど遅いです。


わたくしは反射的に肩を少し揺らしました。

僧帽筋によるタックル返し。


「ぐえっ!?」


男の手首が、わたくしの肩の筋肉に弾かれ、あらぬ方向に曲がりました。

彼は悲鳴を上げて地面に転がります。


「な、なんだコリャ!?」

「鉄板でも入れてんのか!」


残りの四人が動揺して後退りました。

鉄板ではありません。

日々の懸垂とシュラッグで鍛え上げた、天然のトラペジウスです。


「……痛い目を見ないと分からないようだな」


リーダーの男が顔を赤くし、ナイフを構えて突っ込んできました。

殺気立っています。

一般女性なら、恐怖で足がすくむ場面でしょう。


ですが、わたくしの思考は冷静でした。


(右からの突き。角度三十度。重心が高い。踏み込みが甘い)


これなら、避けるまでもありません。

ちょうど指先のトレーニングをしたいと思っていたところです。


わたくしは立ち止まったまま、迫り来るナイフの刃を待ちました。

そして、目の前に刃先が来た瞬間。


デコピン。


わたくしの中指が、弾かれたバネのように唸りを上げました。

狙うのはナイフの腹。


パァンッ!!


破裂音が路地裏に響き渡りました。

ナイフは粉々に砕け散り、金属片となってキラキラと舞い散ります。

その衝撃波だけで、男は دمピンクッションのように吹き飛び、背後のゴミ箱に頭から突っ込みました。


「え?」

「兄貴!?」


残りの三人が、目を剥いて固まっています。


あら、少し力が入りすぎましたわ。

ナイフだけを弾くつもりが、空気の層まで弾いてしまったようです。

これでは「か弱き令嬢」の設定が台無しです。


「ひ、ひいいっ!」

「化け物だ! 逃げろ!」


男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとしました。

逃がしません。

トレーニング(戦闘)は、最後のワンセットまでやり切るのが流儀です。


わたくしは足元の小石を三つ拾い上げました。

そして、逃げる背中に向かって、軽くスナップを利かせて投げます。


ヒュン、ヒュン、ヒュン!


「あべしっ!」

「ひでぶっ!」

「たわばっ!」


三つの悲鳴が重なり、男たちは同時に前のめりに倒れました。

小石が急所(お尻の筋肉のツボ)に綺麗にヒットしたようです。

これでしばらくは、座ることもままならないでしょう。

いいスクワットの矯正になるはずです。


「ふう。準備運動にもなりませんでしたわ」


わたくしは眼鏡の位置を直し、埃を払いました。

これで買い物に戻れます。


その時でした。

路地の入り口から、聞き覚えのある声が響いたのは。


「マリアンヌ嬢! 無事か!」


レオナルド様です。

彼は剣を抜き放ち、鬼のような形相で駆け込んできました。

どうやら、わたくしの後をこっそり護衛してくださっていたようです。

(ストーカーとは言いません。愛ですわ)


「いけません、レオナルド様に見られたら……!」


わたくしは焦りました。

今、わたくしの足元には、泡を吹いて倒れている五人の男たち。

そして壁には、デコピンの風圧で少しヒビが入っています。


こんな野蛮な姿を見られたら。

「やはり君は淑女ではない」と幻滅されてしまう。

筋肉好きの彼とはいえ、限度というものがあるはずです。


「遅かったか……! 君に指一本でも触れようとした愚か者どもめ、私が八つ裂きに……ん?」


レオナルド様は、惨状を見て立ち止まりました。

彼の視線が、粉々になったナイフと、気絶している男たち、そして平然と立っているわたくしを巡ります。


終わりました。

婚約破棄、二回目決定です。

わたくしは観念して、うつむきました。


「申し訳ありません、レオナルド様。わたくし、つい……」


「……すごい」


「はい?」


「なんて鮮やかなんだ」


恐る恐る顔を上げると、そこには目をキラキラと輝かせたレオナルド様がいました。

頬を紅潮させ、感動に打ち震えています。


「複数の敵に対し、最小限の動きで制圧する。しかも、相手の命を奪わず、的確に行動不能にする技術……! まさに護身術の極みだ!」


「ご、護身術……?」


デコピンと石投げが、護身術の極み。

彼の目にはそう映ったようです。

フィルターが分厚すぎやしませんか。


「君は、私が守るまでもなく強かったのだな。だが、その強さがたまらなく愛おしい」


彼は剣を収めると、ゴミの山(元ゴロツキ)を跨いで近づいてきました。

そして、わたくしの手をそっと握りしめます。


「素晴らしい体幹だ。デコピン一つにも、全身のバネが使われているのが分かった」


「あ、ありがとうございます……?」


「だが、油断は禁物だ。君が強いことは分かったが、それでも私は心配なんだ」


レオナルド様は真剣な眼差しで、わたくしを見つめました。


「これからは、必ず私のそばにいてくれ。君の背中は、私が守りたい」


甘い言葉。

普通なら胸キュンシーンです。

でも、わたくしの脳内変換機能が作動します。


(背中は私が守る=ベンチプレスの補助をしてくれるということね!)


「はい、レオナルド様! ぜひお願いしますわ!」


「ああ、約束だ」


二人の間に、ピンク色の空気が流れます。

背景には、気絶した男たちの山がありますが、気にしてはいけません。


しかし、その甘い時間を引き裂くように、レオナルド様の懐にある通信用の魔道具が震えました。

彼は眉をひそめ、耳に当てます。


「……私だ。何事だ」


短い沈黙。

レオナルド様の表情が、瞬時に騎士団長のそれへと変わりました。

氷のような、鋭い冷たさ。


「……分かった。すぐに向かう」


彼は通信を切ると、悔しげにわたくしを見ました。


「すまない、マリアンヌ。緊急招集だ」


「何かあったのですか?」


「国境付近の山脈に、ドラゴンが現れたらしい。それも、伝説級のエンシェント・ドラゴンだ」


ドラゴン。

この世界における最強の生物。

一息で街を焼き尽くし、その鱗は鉄をも弾くという。


「騎士団総出で討伐に向かう。しばらく会えなくなるが……」


「行ってらっしゃいませ、レオナルド様。武運を祈っておりますわ」


わたくしは笑顔で送り出しました。

彼なら大丈夫でしょう。

それに、ドラゴン退治なんて、いい筋トレになりそうですし。

(お土産にドラゴンの肉、期待してもいいかしら)


レオナルド様は名残惜しそうにわたくしの手を一度だけ強く握り、風のように去っていきました。


その背中を見送りながら、わたくしはふと思い出しました。


「あ」


そういえば、彼に渡そうと思っていたものがあったのです。

昨夜、夜なべして作った「特製プロテインクッキー」。

長期遠征になるなら、カタボリック防止のために必須のアイテム。


「渡しそびれてしまいましたわ……」


これは一大事です。

愛する婚約者が、戦場で筋肉を分解させてしまうかもしれない。

そんな悲劇、見過ごすわけにはいきません。


わたくしは決意しました。


「届けに行きましょう」


戦場だろうがドラゴンだろうが関係ありません。

筋肉の栄養補給は、何よりも優先されるべきミッションなのです。


わたくしはローブを脱ぎ捨てました。

そして、足元のアンクルウェイトのベルトを外します。

ドスン、ドスン。

重りが落ち、地面が少し陥没しました。


「さて、軽いジョギングと参りましょうか」


わたくしは国境の方角を見据え、クラウチングスタートの構えを取りました。

目指すは戦場。

馬車よりも、馬よりも速く。


地面を蹴った瞬間、わたくしの姿はすでに路地裏から消えていました。

後に残されたのは、衝撃波でさらに深く壁にめり込んだゴロツキたちだけでした。


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