第三話:求婚はプロテインと共に
一体、これは何の嫌がらせでしょうか。
わたくしの目の前には、部屋を埋め尽くさんばかりの「白い粉」が山積みになっています。
場所は公爵家の自室。
あの騒乱の卒業パーティーから三日が経過しました。
あの日、聖剣をへし折ったわたくしを見て、アルフレッド殿下は「ひっ」と短い悲鳴を残し、リリィ様を抱えて逃げ去りました。
その後、正式に王家から婚約破棄の通達が届きました。
理由は「性格の不一致」とのこと。
「聖剣破壊」と書くと王家の威信に関わるため、濁したのでしょう。
わたくしとしては万々歳です。
慰謝料も請求しませんでしたし、むしろ手切れ金として、破壊した聖剣の弁償を申し出たくらいです。
(お父様が「老朽化していたことにしてやるから、金輪際娘に関わるな」と王家に圧力をかけたそうですが)
こうして、わたくしは晴れて自由の身。
表向きは「反省のための謹慎」として屋敷に引きこもっていますが、実際は夢の筋トレ合宿中です。
誰にも邪魔されず、朝から晩までダンベルと向き合う日々。
最高ですわ。
そう思っていた矢先のことでした。
王宮騎士団から、大量の荷物が届いたのは。
「お嬢様……これ、どうされますか?」
専属メイドのアナが、困惑した顔で尋ねてきます。
彼女の視線の先には、部屋の床を占拠する十個の麻袋。
そして、毒々しいほどに赤い薔薇の花束が百本ほど。
送り主の名は、レオナルド・ヴァン・アイゼン。
あの騎士団長様です。
「尋問の一種かしら。それとも、遠回しな脅迫?」
わたくしは麻袋の一つに近づき、中身を確認しました。
さらさらとした、ベージュ色の微細な粉末。
小麦粉?
いいえ、香りが違います。
どこか野性味あふれる、獣のような匂い。
まさか、毒?
聖剣を折った報復として、わたくしを毒殺しようという魂胆でしょうか。
「……ん?」
わたくしは粉を指先に少し取り、匂いを嗅ぎ、恐る恐る舌先に乗せてみました。
アナが「お嬢様!」と悲鳴を上げましたが、制します。
毒見のスキル(体調管理のため変なものは口に入れない)には自信がありますの。
口の中に広がる、独特の風味。
淡白ですが、濃厚な旨味の余韻。
そして何より、わたくしの胃袋が、細胞が、歓喜の声を上げています。
これは。
「……Sランク魔獣、ゴールデンバイソンの干し肉……!」
それもただの干し肉ではありません。
脂身を極限まで取り除き、赤身の最も栄養価の高い部分だけを乾燥させ、吸収効率が良いように超微粒子パウダーに加工したもの。
つまり、最高級のプロテインです。
市場に出回れば、この一袋で小さな家が建つほどの代物。
それが十袋。
「素晴らしい……!」
わたくしは感動に打ち震えました。
毒などではありません。
これは、筋肉への至上の愛。
純度100%のタンパク質の塊です。
「お嬢様? 顔色が紅潮されていますが……」
「アナ、お湯を持ってきて。すぐにシェイカーを用意してちょうだい」
脅迫だなんて疑って申し訳ありません。
レオナルド様。
あなたは、なんて分かっている方なのでしょう。
わたくしが今、最も欲していた栄養素を、これほど的確に提供してくださるとは。
「でも、なぜ騎士団長様がこんなものを?」
アナの疑問ももっともです。
普通、令嬢への贈り物といえば宝石やドレスでしょう。
干し肉の粉末を送りつけるなど、正気の沙汰ではありません。
わたくしはハッとしました。
あのパーティーでの出来事。
彼はわたくしの動きを「美しい」と言いました。
そして今、この大量のプロテイン。
答えは一つです。
「スカウトね」
わたくしは確信しました。
レオナルド様は、わたくしの筋肉を見込んで、騎士団に勧誘しようとしているのです。
もしくは、ご自身のトレーニング仲間として引き入れたいのでしょう。
確かに、あの素晴らしい肉体を持つ彼となら、高め合えるかもしれません。
一人でのトレーニングには限界があります。
補助がいれば、ベンチプレスの重量をもっと上げられるはず。
「お嬢様、お客様です! レオナルド様ご本人がいらっしゃいました!」
執事が慌てた様子で飛び込んできました。
噂をすれば、ですわね。
タイミングまで完璧です。
「通してちょうだい。応接間ではなく、ここで会います」
「えっ、自室に男性を!?」
「構いませんわ。同志を迎えるのに、余計な形式は不要です」
数分後。
ドアがノックされ、レオナルド様が入室されました。
今日の彼は騎士団の制服ではなく、ラフなシャツにスラックス姿。
薄手のシャツ越しにも、大胸筋の厚みと上腕二頭筋の隆起が見て取れます。
素晴らしい仕上がりです。
「急な訪問を許してほしい、マリアンヌ嬢」
彼は部屋に入ると、床に積まれたプロテインの山を見て、満足そうに頷きました。
「気に入っていただけただろうか。私の領地で獲れた最上の魔獣だ。筋繊維の回復にはこれが一番効く」
「ええ、感激いたしましたわ。これほどの純度、市販品ではまずお目にかかれません」
わたくしは素直に称賛を伝えました。
レオナルド様は、氷のような瞳を少し和らげ、わたくしに歩み寄ります。
その距離、わずか数十センチ。
大型獣のような圧迫感ですが、不思議と不快ではありません。
「単刀直入に言おう」
彼は真剣な眼差しで、わたくしを見下ろしました。
「君の強さに、心を奪われた」
やはり。
わたくしのフィジカル・ストレングスへの評価ですね。
「あのパーティーで君が見せた、無駄のない所作。聖剣すら砕く圧倒的な出力。そして何より、それを隠し通そうとするストイックな精神……」
レオナルド様は熱っぽく語ります。
少し誤解がある気もしますが、筋肉への賛辞であることは間違いありません。
「私はこれまで、自分より強い者、あるいは並び立つ者を探し求めてきた。だが、騎士団の男たちは皆、私の背中を見るだけで満足してしまう」
孤独なトップアスリートの悩み。
分かりますわ。
わたくしも、ドレスの下の筋肉について語り合える相手がいなくて寂しい思いをしていましたもの。
「君となら、さらなる高みを目指せると確信した」
「ええ、わたくしもそう思いますわ。一人では限界がありますもの」
「そうか……! 受け入れてくれるか!」
レオナルド様の表情がぱあっと明るくなりました。
クールな騎士団長とは思えない、少年のように無邪気な笑顔。
少しときめいてしまいました。
筋肉の連帯感ですわね。
彼は突然、その場に片膝をつきました。
そして、わたくしの右手を取り、手の甲に唇を寄せようとして――止まりました。
わたくしの手のひらにある、バーベルだこ(マメ)を見つけたからです。
「美しい……」
彼は愛おしそうに、わたくしの硬くなった皮膚を親指で撫でました。
「この硬化層こそ、君の努力の結晶だ。宝石よりも輝いて見える」
なんと。
このタコを褒められたのは初めてです。
普通は「令嬢の手ではない」と気味悪がられるものですのに。
この方なら、わたくしの全て(筋肉)を理解してくれるかもしれない。
「マリアンヌ嬢。私と、人生という名のトレーニングを共に……」
彼は顔を上げ、熱烈な視線を送ってきます。
「結婚してくれ」
「はい、喜んで!」
わたくしは即答しました。
トレーニングのパートナー契約のことを、騎士団では「結婚」という隠語で呼ぶのでしょうか。
少し変わった表現ですが、意味は通じます。
共に汗を流し、筋肉を育て、限界を超える契約。
断る理由がありません。
「おお……! まさか受けてもらえるとは!」
レオナルド様は感極まった様子で立ち上がり、わたくしを抱きしめようとして――寸前で止まりました。
そして、わたくしの肩をガシッと掴みます。
「では早速、私の屋敷へ来てくれ。最新の設備を用意してある」
「まあ、専用のジムがあるのですか?」
「ジム? ああ、訓練場のことか。もちろん完備している。君の好きなだけ暴れていい」
素晴らしい。
プロテイン飲み放題、専用ジム付き、最強のトレーナー(スポッター)付き。
こんな好条件の再就職先、他にはありませんわ。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いしますわ。レオナルド様」
「ああ。私が君を、世界で一番強く……いや、幸せにしてみせる」
こうして、わたくしとレオナルド様の婚約は成立しました。
お互いに致命的な勘違いをしたまま。
わたくしの脳内には、新しいプロテインメニューの考案しかありませんでしたし、
レオナルド様の脳内には、可愛い妻との甘い新婚生活しかなかったのですから。
これが波乱の幕開けだとは、この時のわたくしは、まだ理解していませんでした。




