第十話:誓いのキスは物理のあとで
祝福の鐘が、青空に吸い込まれていきます。
王都の中央大聖堂は、かつてないほどの熱気と緊張感に包まれていました。
参列する貴族たちの視線は、祭壇の前に立つ二人の背中に注がれています。
わたくし、マリアンヌは今、人生で最も重く、そして美しいドレスを身に纏っていました。
特注のミスリル繊維を編み込んだ純白のウェディングドレス。
総重量は五十キログラム。
普通の令嬢なら一歩も動けないでしょう。
ですが、わたくしにとっては心地よい加重です。
歩くたびに大殿筋とハムストリングスに適度な刺激が入り、姿勢が自然と良くなります。
「……綺麗だ、マリアンヌ」
隣に立つレオナルド様が、小声で囁きました。
今日の彼は、騎士団の正装である白い軍服姿。
肩幅の広さと胸板の厚みが強調され、彫刻のように端正です。
「あなたも素敵ですわ、レオナルド様。上腕三頭筋の張りが、服の上からでも分かります」
「ありがとう。式のためにパンプアップしてきた甲斐があった」
神聖な式中に交わされる会話ではありませんが、わたくしたちにとってはこれが愛の囁きです。
祭壇の向こうでは、神父様が震える手で聖書を開いています。
無理もありません。
新郎新婦の背後、ステンドグラスの窓の外には、巨大なドラゴンの顔がヌッと覗いているのですから。
ポチは「グルル(おめでとう)」と喉を鳴らし、窓ガラスを少し曇らせています。
「新郎、レオナルド・ヴァン・アイゼン。汝はマリアンヌを妻とし、病める時も、健やかなる時も、これを愛し、敬い、慰め、助けることを誓いますか?」
神父様の問いかけに、レオナルド様は迷いなく答えました。
「誓います。たとえ彼女が世界最強のゴリラと呼ばれようとも、私の愛は揺るぎません」
会場がざわつきました。
神父様も二度見しました。
でも、わたくしは胸が熱くなりました。
これこそが真実の愛。
わたくしの本質から目を逸らさない、誠実な誓いです。
「新婦、マリアンヌ・ド・ラ・フォルス。汝はレオナルドを夫とし……」
「誓いますわ」
神父様の言葉を遮り、わたくしは力強く宣言しました。
「筋肉痛の時も、増量期の時も、減量期の時も。彼を支え、補助し、共に高みを目指すことを誓います」
神父様は「ええと、まあいいでしょう」と諦めたように頷きました。
「では、誓いのキスを……」
レオナルド様がヴェールを上げ、わたくしの顔を覗き込みます。
その瞳に吸い込まれそうになった、その時でした。
ガシャアアアン!!
頭上から、激しい破砕音が降り注ぎました。
天井のステンドグラスが粉々に砕け散り、黒い影が二つ、三つと舞い降りてきます。
「ギャアアアッ!」
耳障りな金切り声。
翼を生やした異形の魔物、ガーゴイルです。
ドラゴンの騒ぎに乗じて王都に紛れ込んでいた残党でしょうか。
よりによって、神聖な誓いの瞬間に乱入してくるとは。
「きゃあああ!」
「ま、魔物だー!」
参列者たちが悲鳴を上げて逃げ惑います。
神父様は祭壇の下に潜り込みました。
ポチが窓の外で「ワン!(出番か?)」と吠えましたが、体が大きすぎて中に入れません。
「……マリアンヌ」
レオナルド様が、冷徹な声で呼びかけました。
彼はキス寸前の姿勢のまま、視線だけを天井の魔物に向けています。
「式が中断してしまったな」
「ええ。とても不愉快ですわ。交感神経が高ぶって、コルチゾールが分泌されそうです」
わたくしたちはゆっくりと向き直りました。
魔物は三体。
石像のような硬い皮膚と、鋭い爪を持っています。
彼らは祭壇上のわたくしたちを獲物と定めたようで、急降下してきました。
「武器は?」
「手元にはありませんわ。あるのは……あれだけです」
わたくしは視線を横に向けました。
そこには、ケーキ入刀のために用意された特注のナイフ――いいえ、オリハルコン製のグレートソードが鎮座しています。
長さ二メートル。
重さ八十キロ。
普通の人間には持ち上げることすら不可能です。
「十分だ」
レオナルド様はニヤリと笑いました。
わたくしもドレスの裾をまくり上げ(もちろん中はスパッツです)、剣の柄に手を伸ばしました。
「初めての共同作業ですわね、あなた」
「ああ。綺麗に決めよう」
二人の手が、巨大な剣の柄を握りしめました。
レオナルド様の手の上に、わたくしの手が重なります。
「せーの!」
呼吸が完全に重なりました。
二人分の筋力と、二人分の回転力。
それが一本の剣に伝わります。
ブンッ!!
空気が裂ける音がしました。
わたくしたちは、迫り来る三体のガーゴイルに向かって、野球のフルスイングのように剣を薙ぎ払いました。
「ギャ……?」
魔物たちの声は、一瞬で途切れました。
オリハルコンの刃は、石のような皮膚を豆腐のように切り裂き、衝撃波だけで彼らを粉砕しました。
ドォーン!
魔物の破片が、花吹雪のようにキラキラと舞い散ります。
壁に新たな風穴が開きましたが、先日の修理箇所と対称になってバランスが良いかもしれません。
静寂が戻りました。
わたくしたちは剣を下ろし、ふぅと息を吐きました。
「……さて」
レオナルド様は何事もなかったかのように、わたくしに向き直りました。
魔物の粉が少し肩にかかっていますが、彼は手で軽く払い除けます。
「続きをしようか」
「はい。プロテイン摂取のゴールデンタイムを逃してしまいますものね」
参列者たちが呆然と見守る中、わたくしたちは再び距離を詰めました。
瓦礫と魔物の残骸に囲まれた祭壇。
天井には穴が開き、そこから差し込む光がスポットライトのように二人を照らしています。
レオナルド様の顔が近づいてきました。
わたくしは目を閉じ、少し背伸びをします。
ミスリルのドレスの重みを感じながら。
重なる唇。
それは、甘く、そして力強い味がしました。
「うおおおお!」
「最強! 最強!」
一拍置いて、会場から割れんばかりの拍手と歓声が湧き起こりました。
もう誰も、わたくしたちを「普通」の枠にはめようとはしません。
ただ、その圧倒的な強さと愛を祝福してくれています。
窓の外では、ポチが嬉しそうに炎のブレスを空へ吐き上げ、それが即席の花火となりました。
「愛しているよ、マリアンヌ」
唇を離したレオナルド様が、とろけるような笑顔で言いました。
「これからは、二人で世界最強を目指そう」
「はい、あなた。まずは新婚旅行でダンジョン制覇ですわね」
わたくしたちは腕を組み、光の射すバージンロードを歩き出しました。
悪役令嬢として転生し、破滅を回避するために筋肉を鍛えたわたくし。
その結果手に入れたのは、平穏なスローライフではなく、刺激的で重量級な毎日でした。
でも、後悔はありません。
隣には、わたくしの筋肉を愛し、共に歩んでくれる最高のパートナーがいるのですから。
筋肉は裏切らない。
そして、愛もまた、筋肉と共に育つもの。
わたくしの人生は、まだ始まったばかりです。
(完)
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