九話 初めてのアカデミー 三
魔術と聖力はこの世界においては神の加護と呼ばれるべき特別な力だ。
聖力は人の治癒に特化しており、貴族も平民も問わず加護を受け、そのほぼ全ての人間が神殿の所属に置かれている。魔術とは魔力という特別なエネルギー体を使って行われる不可思議な現象のことで、王族を筆頭に貴族内で多く見られる。
魔術のほうが歴史は古いが、昨今では力の低迷が激しい。比例して聖力はどんどん力を増している。
王家にとって「魔術」とは国を統べる上での権威の象徴だ。そのため、「魔術」の発展を強く望んでいて力の大小や身分に問わずアカデミーに招集して手厚い支援を与えているのだ。
(……思ってたよりは多いかな)
辿り着いた一年生の魔術科の教室だが、およそ二十人ほどの生徒たちが思い思いに過ごしていた。
それなのにリリカが入室した途端に静まりかえるものだから悪いことをしたような気分になった。生徒たちが緊張の糸を張り詰めたのがいやでも分かってしまう。
(そもそも公爵も夫人もなんでリリカの魔術を公にしなかったんだろ)
公爵家の娘が魔術師となれば功臣として王家への忠誠をより深く示すことができる。とくに最近は神殿の勢力が増して王権に影が見えている。魔術師の存在は出来るだけ大衆にアピールしておきたいはずなのに、公爵夫妻はリリカの魔術をひた隠しにしていたのだ。
曰く、王太子よりも優れた魔術師など無礼だ。
曰く、問題児のリリカが魔術師だと知れれば魔術師である王家や貴族たちのイメージを損なう。――だとかなんとか。
リータスもシオンも苦い顔で、聞き分けのない娘を説き伏せるように懇々と言ったものだ。
結局リリカは希望を魔術科からほぼ全ての子女がそうであるように教養学科へと変えたのだ。
夫妻の言い分には納得する面もある。しかし、腑に落ちないことが多いのも事実だ。
リリカの記憶を辿る限りでは、とにかくマグノロス公爵夫妻は家の名をおとしめることを嫌い、家門の繁栄が第一な人たちである。
そのため次期後継者であるリーベには格別の関心を寄せているし、リーベも優秀なものでその期待に必ず応えてきた。
しかし、リリカに関しては公爵夫妻は非情とも言えるほどに無関心だった。リリカに憑依した当初の激昂は珍しいものだ。
いつもは視線を向けてくることすらないほどで、リリカを気に掛けるなんてないからだ。
問題を起こしたって怒られることもない。ただ家門の人間のしたことだからと後始末だけはしてくれる。
息子を褒め称えた口は娘に向ける言葉はなく、息子に慈愛を向ける瞳が娘へ向けて温度を持つことはない。
氷山のほうが温もりでも感じさせるような公爵夫妻とその息子。リリカの家族――とも呼べないような人たち。
それが見る影もなく、今じゃ娘の顔色を窺うようにちらちら遠巻きに見ては声も掛けられず戸惑っているなんていったいどうしたことなんだか。
(……そう。ちょうどこの生徒たちみたいにね)
記名されていた席についてからゆっくりと首を回してみる。すると、こっちが気になって仕方ない様子の生徒たちはまるで猛獣の目を避けるがごとく勢いよく首を逸らしてしまう。
公爵たちはただどうしたらいいのか戸惑っているようだったが、生徒たちはあからさまに怯えている。
(リリカだって貴族相手に問題を起こしたことはさすがに……いや、何回もあるわね)
なんせ王族に次ぐ権威をもつ家の娘である。そこらの貴族じゃまず喧嘩にすらなりはしない。つまり、相手からすればリリカに目をつけられたら負けが確定しているのだ。
貴族とのトラブルは六歳の頃の小さな社交パーティーまで遡る。そこから十年もその調子じゃみんなが怯えるのも仕方ないのかも知れない。
(でも魔術について話が聞きたい……!)
暢気に授業を受けるだけではダメだ。なんせリリカには時間がない。
だが今の様子を見る限り、クラスメイトたちは話しかけるどころか近づくことも出来ないだろう。
どうしたものかと悩ましく生徒たちを見回していたリリカだったが、ふと一人の男子生徒が目についた。
(もしかしたら彼なら……)
◇
魔術の授業というものは経験がないだけにもの珍しく、まるで童話の中の世界を覗き見ているようで胸がドキドキした。
この数日で教科書を読み込んだりしてみたが、付け焼き刃の知識では分からないことも多い。いや、分からないことしかない。
やはり誰かの助けが必須だと、リリカは痛感した。
リリカとして運命に逆らうためにまず茜が考えたのは、原因となる聖女や神殿側との接触を控えること。また地に落ちているリリカ・マグノロスの評判を塗り替えること。そしていざというとき逃走を図れるようにリリカ個人の財産を得ること。
この三つを優先して実行することにした。
最後の授業が終わるやいなや生徒たちはそそくさと足早に教室を出て行ってしまう。まるで誰かの目につくことを避けたいと言わんばかりである。
そんななかでも教室内の空気など知らぬとばかりにしれっとしている男がいた。一番後方の席にいるリリカから見て右手前方にいる生徒だ。
シャツのボタンは一つどころか二つも空き、優雅気品が命といわれる貴族にはない動きのかすかな粗野。一本一本が細い金の髪は美しいが襟足での結い上げ方は大雑把だ。つり目がちな青い瞳やつまらなさそうなムスッとした表情が男を近寄りがたい雰囲気にしている。しかし、それを差し引いても整っていると言わしめる面差しであった。
十中八九貴族ではない。あれは貴族は平民など歯牙にもかけないと理解しているからこその余裕だ。
なにより彼は魔術科と縁のなかった今までのリリカの人生でも耳に入ってくるほどに優秀な魔術師として名を上げていくことになる。
彼が出て行ってしまう前にとさっそく行動に出た。
靴音を立てて近づいたところで男は一ミリも気にした様子はない。貴族しかいない教室で、男に声をかける者なんて今までいなかったのだろう。
――トントン。
指先で男の机を叩けば、目を剥いた男がすごい勢いで見上げてきた。
「……公女様が俺なんぞになんのご用でしょうか」
冷や汗とともに口の端がひくりと震えたのを見逃すはずもない。だが、なにもリリカは咎めるために呼んだわけじゃない。
「少しだけ私とお話しませんか?」
にっこりと微笑む美少女を前に、しがない一市民の男は青ざめたまま頷くことしかできなかったのだ。




