八話 初めてのアカデミー 二
「あの……私はみなさまの注目を集めようとしたことはないです。なにか勘違いをされているんじゃないかと」
「あら! それは私が間違っているということですの?」
「そういうわけじゃ……」
例え今後聖女と呼ばれることになるシャリテだとて、身分差のある相手を敵にしたくはないのだろう。どう切り抜けたらいいのか困りきっていた。
リリカはわざと足音を立てるように石畳の道を強く踏みしめて近づくと、やや強引にシャリテの前に割って入った。
「ちょっと! 急に割り込んできて――」
「アカデミーで一番高貴な女性、ねえ……」
歌うように告げた途端、錆びたブリキ人形みたいにレイラたち三人が固まった。
おずおずと三対の瞳がリリカを認めると同時に赤い瞳を眇めてみせる。
「でも、その呼称も昨日までのようね。今日からは私がいるんだから」
「リ、リリカ・マグノロス……!? なんで、だっておかしくなって監禁されてるって」
震えた指がリリカに向けられたので、それを咎めるようにゆっくりと握りこんだ。瞳を覗き込むようにレイラを見れば、たちまち彼女だけでなく左右の二人も揃って血の気が引いていくのがわかった。
「ずいぶんな言い草ね。この可愛い指をぽきんと折り曲げてあげてもいいんだけど……」
どうする? と目だけで訊ねれば、声のない悲鳴が飛び交う。
掴まれた指を見るレイラの瞳は恐怖で泣いていた。身震いする三人をしばらく睨むように見ていたリリカだが、ふとため息と同時に張り詰めた空気を解く。
さすがに登校初日で問題を起こすのもどうかと思い、人質のように強く掴んでいた指を解放してやった。借りてきた猫のように小さくなっていた三人はすぐさま後じさって「失礼します」と震えながら去って行った。
(あんなに小心者でよくこんなことできたわね)
それも博愛と慈悲の代名詞とも言えるようなシャリテ相手だからこそだろう。彼女ならやり返される心配もなさそうだ。
去って行った三人の背中にふんと鼻を鳴らす。不意に「あの」と背後から細い声に呼ばれた。
「ああ、勝手に話に入ってしまってごめんなさい。困っているように見えたからつい」
「いいえ。私のほうこそどうしたら良いかと思っていたので……」
リリカと違って癖のない真っ直ぐな金の髪が風に攫われた。柔らかく笑みを作るのは、萌えた草を思わせる鮮やか緑の瞳と控えめな整った唇だ。
彼女の周りだけ空気が澄んでいるような気さえしてくる。そんな純粋さを絵に描いたような少女、シャリテ・ゴルソワ。
(……聖女には極力関わるつもりはなかったんだけどな)
さっさと立ち去るのが吉――と背を向けたが、「リリカ様ですよね?」と訊かれては答えないわけにはいかない。
「そうよ。リリカ・マグノロス。敬称はつけなくたっていいわよ。アカデミーではただの同級生だもの」
どうせしばらくすればこちらが頭を下げなければならないようになるのだ。
シャリテは戸惑いと照れ臭さを混ぜたようなこそばゆい顔をしていた。俯きがちにチラチラとリリカを見て「ではリリカと……」と面映そうに言った。
世間での絶大な評価はこれからだが、すでに神殿内では特別扱いされているはず。同級生とこういうふうに親しく呼び合うことはないのかもしれない。
意外と普通な少女なのだな、とリリカにもつい微笑が浮かぶ。
「リリカは今日から登校されるのですか?」
「うん。そうよ」
頷いた途端、「まあ!」とシャリテは弾む様子で手を合わせた。
「実はここ最近何度もあのように声をかけられて困っていたんです。でも、まさかリリカの登校日に助けていただけるなんて……! なんて幸運でしょう。きっとこれも神のお導きです」
言うが早く、両手を組んだシャリテの眼差しはうっとりと宙を見た。
「ああ、神よ。ありがとうございます」
美しき少女が手を合わせてうっとりと微笑んでいる。それだけでも絵になるが澄んだ緑の瞳にはきらきらした敬慕が宿ってさらに引き込まれるような清廉さを思わせた。
だが、美しい情景とは裏腹にリリカの心は一気に冷え込むように彼女から遠ざかる。
全く面白くない心情で、けれど笑みを浮かべながらシャリテの組んだ指に手を添えた。
「……リリカ?」
「あなたが神を慕おうが勝手ですが、本来伝えるべき相手を差し置いて神さまに感謝するのはいささかどうかと思いますけどね?」
「えっと、それは……」
「私は自分の意志であなたを助けると決めたの。それなのにあなたが上ばっかり見上げていたら、なんだか手柄を横取りされたような気分」
別に恩着せがましくしたいわけじゃない。けれど、自分を無視して素っ頓狂なところに感謝し始める様を目の当たりにしたらやっぱり面白くはないだろう。
「あなたがしたことは私にとってとても失礼なことだと思うんですけど――」
どう思います? なんて問いかけたところで戸惑いしか返ってはこない。そんなことを言われるなんて思ってもみなかったような顔だ。常識外からの一声に頭が働いていない。
「え、えっ」
と二の句を告げられない姿は可哀想なものだ。
さすがにこれ以上詰めるのもとリリカが退出しかけたとき。
「失礼なのはあなたではないですか」
割り込んできた男の声にリリカとシャリテが振り返った。
「サチェル!」
一気に華やいだ顔でシャリテが男――サチェルに駆け寄る。先日街で助けてくれた彼だ。
神学科であることは分かっていたが、まさかこうもさっそく再会するとは思ってもいなかった。
サチェルはシャリテに一瞬笑みを浮かべたものの、すぐに硬い顔でリリカを見た。
「先日も思いましたが、神殿の所属者に対してさきほどの言葉は配慮がないのでは?」
「こんにちは。先日は助けていただいてありがとうございました」
「……大したことではありませんのでお気になさらず。そして、これ以上シャリテ様を困らせるのはお控えください」
「まあ。そんなつもりはなかったんですけど……ただ礼を言うなら相手の目を見て言うべきだと、そう思っただけですから」
リリカの本心はこの一言に尽きる。たしかに個人的に神さまというものが気に食わないところもある。だが、今のシャリテへの言動は自分がされた非礼への苦言以上の意味は持たない。
これ以上意固地になって揉めるのも望むところではなかった。
「困らせるつもりはなかったんです。シャリテもごめんなさい」
「あ、いえ……私のほうこそ知らぬ間に失礼をしてしまったようで」
すみませんと下がった頭に微苦笑するしかない。敬虔な少女には、さっきのリリカの言葉の意味など理解できないのだ。
さっさと二人の前から退出しようと背を向けたが、あっと思い直して引き返した。
戻ってきたリリカにサチェルとシャリテが首を傾げた。
二人に向かってリリカは少しばかり苦い顔で言ったのだ。
「ごめんなさい。魔術科の教室を教えてもらえますか?」




