七話 初めてのアカデミー 一
父リータスの頬を振り抜いた日から数日、リリカは今後の方針を決めたり記憶を整理しながら過ごしていた。
アカデミーへは一度手紙を出しており、今はその返答を待っているところだ。
午後の陽光が燦々と降り注ぐ私室でリリカは難しい顔で机に広げた一枚の紙をじっと見ていた。
それは四つ折りになって日記帳に挟んであったもので、読み返しているときに偶然見つけた。
広げるとリリカの両手のひらほどの大きさになる。そしてそこには奇妙な図が書かれていた。
大きさの違う円が重なるように並び、その円同士の隙間を埋めるように文字と思しきものが敷き詰められていた。その文字らしきものに意味があることは容易に推測できる。
読めればもう少しヒントも得られそうなものだが、あいにくとこの文字はリリカの知識にはないものだった。そのためこの図がなんなのかちっとも分からない。
――いや、正確にはなんなのかは分かっている。
嵐の夜にリリカが床に描いたあの文様だ。これを使ってリリカはなにかを呼び出し、願いを言った。そしてその願いはこうして果たされている。
「願いを叶えてくれるなにかを召喚のための術……みたいな?」
では、その願いを叶えてくれるなにかとは何なのか。
記憶を探ってもそれが分からない。この紙はある日突然リリカの前に降ってきた。なにもない空中から忽然と姿を現したのだ。そして手に取ったリリカは考えるまでもなく、それを使えば望みが叶えられるのだと理解している様子だった。
「現れかたは最初の本と同じだけど……」
リリカが自分の運命を知ったのは初めて巻き戻った時じゃない。ある日突然目の前に現れた一冊の本からだ。そこには公女リリカ・マグノロスの処刑までが記載されていて、最初は誰かが書いた悪戯だと思ってリリカはひどく憤慨していた。しかし過ごす内に書かれたことが本当に起り始める。
彼女は恐ろしくなって、けれど信じ切れずに最初の人生はそのまま運命通りに処刑されてしまった。そこから巻き戻りが始まったのだ。
ちなみにこの数日で部屋の捜索はもちろんしたが、その本は見つからなかった。
「やっぱり魔術かな」
この世界で不可思議な力と言えば神の加護と呼ばれる「魔術」か「聖力」のどちらかだが、聖力は治癒に特化した能力なので多分違う。
魔術である――と仮定するなら、リリカにその知識がないのでやはり学ばなければならない。
(やっぱり待つしかないか)
一度考えを止めてふっと息をつく。人心地ついたところで、控えめなノック音と共にシンシアが静かに入室してきた。人目を憚るようにコソコソと近づいた彼女はメイド服のポケットから手紙を取り出した。
「お嬢様、アカデミーから書信が届きました」
「本当!?」
待ちかねていたリリカは飛びつくように手紙を受け取ってさっそく開いてみた。そこに書かれた「承認」の文字にリリカは満足げに笑った。
◇
「明日からアカデミーに通います。教養学科から魔術科に転科しましたのでご報告だけさせていただきます」
家族が揃う晩餐の場で、さっさと食事を済ませてリリカは我先にと席を立った。そして退出際に一方的に言ってのけたのが先の言葉である。
これに仰天したのは両親とリーベである。
三人はあのビンタ事件以来どんな心境の変化かリリカへ燃えるような怒りも冷めた失望も向けてこない。気にしたようにチラチラ見てくるが、怯えているとも違う気がした。
声をかけたいけどなんて声をかけたらいいか分からずに動けないような……そんな葛藤を感じてしまうのだ。そんな人間らしい心が通った目で見られてはリリカの方がやりづらいぐらいだ。
そんな三人も青天の霹靂であるその一言にさすがに躊躇しているわけにはいかない。
頬を張られたばかりの夫を気遣い、シオンが三人を代表して慌ててリリカを引き止めた。
「魔術科って……急にどうしてなの?」
これにリリカはおやと意外に思った。てっきりもっと頭ごなしに反対されると思っていたからだ。
なんせリリカはすでに入学前の希望学科選択時に両親に猛反対された過去がある。
「学びたいことがあるんです」
「そ、そう……アカデミーには優秀な魔術師も多いものね……」
言葉を探すように揺れた目が隣の夫を見る。だが、リータスもリータスでそれ以上言葉が思いつかないようだ。ゴホンと咳払いだけが落ちた。
「じゃあ俺と同じ馬車で通うんだろう? 何時から講義が始まるか分かってるのか」
珍しく親切な物言いのリーベに、リリカは首だけで振り向いた。
「心配いりません。私は一人で大丈夫ですしお兄様と通うことはありませんのでお気になさらず」
「え……あ、おいリリカっ!」
伝えるべきことは伝えた。引き留める声を置きざりにリリカはさっさと私室へと戻った。
◇
アカデミーの制服は学科ごとに色分けされたケープ以外は共通である。
白いシャツに黒のベストとスカート、またはスラックス。そしてケープ。
新しく届いた魔術科の証しである深い碧のケープを羽織り、リリカは姿見をしげしげと見た。
「ほんとに顔がいいとなんでも似合う……」
リリカの瞳も髪も鮮烈すぎる赤を宿しているのでどうなるのだろうと思ったが、全くの杞憂だった。
鏡の中の自分とまじまじ目を合わせてほおっと息をつく。その後ろでシンシアも歓声を上げた。
「お嬢様はやっぱりどんな服を着てもお似合いです! 髪はまとめますか?」
「うん。お願い。簡単にまとめてくれればいいから」
簡単に……という容貌に不服そうだったが、シンシアは要望通りに後頭部で一つにまとめて結い上げてくれた。ところどころ編み込んでいるのは彼女の華やかにしたいという思いゆえのささやかな抵抗だろう。
(昔はよくおばあちゃんが結ってくれたんだよね)
祖母が亡くなったときに長い髪をバッサリ切って以来だから長い髪というのは久しぶりだ。
懐かしいと同時に当時の心情まで思い出されて切なさが胸をかすかに締めつけた。
「ありがとうシンシア。じゃあ行ってくるね」
「はい。気をつけていってらっしゃいませ」
御者に伝えればアカデミーには簡単に行くことができた。
アカデミー内の建造物はすべて赤いレンガ調で統一されている。
長年雨風に晒されてきた外観はやはり年季を感じさせるが、それ以上に伝統や歴史を染みこませたような奥深さや威厳をひしひしと伝えてきた。
緑溢れる庭園は広く、歩くだけで一日時間を潰せそうだった。
メインストリートを歩くリリカには自然と通行人である学生たちの視線が集まっていた。
在学生のほとんどが貴族であるアカデミーではリリカの悪評はほぼ全ての人間の知るところである。みんなちらりと見てはリリカを恐れて知らぬ顔で早足で行ってしまう。
(どうしよう……魔術科の教室がどこだか知らないんだよね)
見る限り、道行く生徒に訊くのは難しそうだ。なんとなしに足を進めながらとりあえず一番近い校舎へと向かうことにした。
気づくと周囲の生徒はほとんど消えてしまっていた。
そんなに怖いかと思わず首を捻る。しかし、過去のリリカの言動を思い返すと仕方ない部分もあるかと思い直した。
彼女の内面を知らない彼らには、リリカは権力を持った暴走機関車である。怖がるのも無理はない。
「……ん?」
誰もいなくなっちゃったな、と見渡していると、中庭を挟んだ向かいに人影を見た。
女性生徒が数人、木立の影でなにか話している。
一人の生徒を前に向かい合う三人の生徒たち。和やかに談笑と言うには妙な雰囲気で、リリカはふと立ち止まって一拍だけ考えてからそちらへ足を向けた。
中庭の中央には噴水があった。それを避けるようにぐるりと回る遊歩道に沿って歩いたところで彼女たちのところへはすぐだった。
「それでシャリテさん。あなた男爵家のご出身ですわよね? 聖力が豊富だと聞きますが、注目を集めすぎるのも得策とは言えないと思いますわよ」
三人のうち真ん中で高飛車に胸を張るのは薄桃色の髪を二つに結った少女である。左右の二人はそんな少女の隣で腰の低い態度で追撃した。
「そうです! あのリリカ・マグノロスがいない今、このアカデミーで一番高貴な女性と言えばこのレイラ・アルカルゴ様ですよ」
「侯爵家のご令嬢であるレイラ様を差し置いて男爵家のあなたが注目を集めて大きな顔をするのは無礼だと思いませんの?」
少女たちの厳しい声に向かい合っているのは、困惑を全面にだした華奢な少女だった。
その姿に思わずリリカの足が止まった。
(シャリテ・ゴルソワ……)
黄金色の眩い髪と、その人の良さを表すような目尻の垂れた穏やかな緑色の瞳。
誰よりも豊富な聖力を持ち、そう経たずに神の遣わした聖なる乙女――聖女と呼ばれるようになる少女。
そして、リリカが衝動的に殺してやりたいとまで憎んだ少女だ。




