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茜の背信者~悪女に憑依したので運命に逆らおうと思います~  作者: 瀬川香夜子


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三話 夢みたいな現実 上


 リリカに憑依した茜が次に目を覚ましたのは翌日のことだった。


 諦め悪く二度寝、三度寝をしてみたが目の前の現実はなにも変わってはくれなかった。仕方なく起き上がったときにあのメイドがやってきて、また安堵の涙を流したのだ。


「リリカお嬢様ったら昨晩はすごい熱で、しかもずっとお辛そうだったので私ってば本当に心配で心配で」

「そんなに泣かないで……ねえ、シンシア」


 寝台に腰かけた茜は膝元で泣く栗毛を撫でながら恐々と呼びかけた。彼女はなんの躊躇いもなく反応して見せたので、本当にシンシアという名前であっているようだ。その事実にふと意識が遠のきかける。


()()()()は全部あってるってこと……?)


 激しい頭痛と共に流れ込んできたあの記憶たちは、たしかにこの身体の少女リリカ・マグノロスのもののようだ。膨大すぎて細かいことはまだ整理が必要だが、ざっくりとした流れなら眠っていた一晩で把握できた。


 二日――いや三日前の嵐の晩にリリカは怪しい儀式を行い自身の人生を他人に押しつけることに成功した。つまり、この押しつけられた人間が伊多茜である。


 そしてなぜリリカがそんな暴挙に出たかというと、彼女は近い将来処刑される運命にあるからだ。

 十六歳である今からおよそ一年後、リリカはグリオッサの救世主と崇められる聖女の殺害を企ててその罪を償うことになるのだ。そしてリリカはすでに()()()処刑されている。

 驚くことにリリカは処刑された瞬間、一年ほど時間を巻き戻っているのだ。詳しい原因は彼女自身も把握していない。しかし、リリカはこれはチャンスとばかりに運命を変えようと一年間奮闘してはあえなく処刑され、そして巻き戻って……とすでに両手の数は繰り返しているようだ。その果てに自暴自棄になった彼女は自分の人生から逃走を図った。


「……勘弁してよ」


 理路整然と並べてみたところで現実を受け入れられるわけがない。


 顔を覆って茜は思わず呻いた。そりゃ茜にとって人助けは趣味のようなものだ。困っている人がいればできるだけ助けてやりたいと思う。だが、これはちょっとばかしスケールが違うだろう。

 なんだって見ず知らずの、全く知りもしない少女の人生を背負わなければならない。しかも待っているのが処刑だなんてハードモード過ぎるだろう。


「まさかもう戻れないなんて言わないよね……?」


 その可能性に思い至った茜は真っ青になって近くのブックシェルフに飛びついた。並ぶ本たちを片っ端から開いて手がかりを探していく。


 冷たい鼓動が耳のすぐそばで鳴っているようだった。


 帰れないなんて冗談じゃない。例え親しい友人も家族もいなくたって帰れなければ困る。三人の写真は飾っていたあの手持ちしかないのだから。


「お、お嬢様? 急にどうされたんですか……?」


 一心不乱に棚を漁り始めたリリカの姿にシンシアが困惑いっぱいに後ろから窺い見てくる。しかし、今の茜に構っている余裕はなかった。

 シェルフには教科書染みたマナーや教養の本たちばかり。しかもたいして数はなく、流し見ではあったがあっという間に確認し終えてしまった。

 最後の一冊を閉じて茜は冷たい床の上で打ちひしがれた。


(もう帰れない……?)


 いや、こうなったら部屋中ひっくり返してでも探し尽くす――密かな決心とともにふと茜は気づいた。

 シェルフの一番下の棚の底板が不自然な厚みを持っている。よく見るとくぼみがあって、まるで蓋のように見えた。


(まさか――)


 一縷の希望に今度は心臓が大きく高鳴った。


 恐る恐る指をひっかけた。すると、蝶番の引き攣れた音とともにパタリと板が手前に倒れた。どうやら隠し棚になっていたようだ。といっても大したスペースはなく、厚めの本が一冊隠すように横になっているだけだ。

 めくってみると日記帳のようだ。


「……っ、これ」


 あるページで思わず茜は手を止めた。じわりとある情感が沸き立つ――しかし、勢いよく開いた扉の音に一瞬で意識を取られた。


「リリカはもう目が覚めたのか!?」


 乱入者である赤い短髪の若い男は、起きているリリカを認めると思いっきり顔を険しくした。ずかずかと大股で迫って来る。遠慮も気遣いもない無礼な男に茜の眉間が深い皺を刻んだ。


 「リーベ様!」とシンシアが悲鳴染みた声で制止を求めた。彼女の目はリリカとリーベを交互に見やり、間に入ろうかと葛藤しているのが丸わかりである。

 茜はリリカの記憶で男が誰であるか知っていた。

 さすがに次期マグノロス公爵の前に立ちはだかるなんて酷なことをメイドにさせられない。

 茜は自分から距離を詰めるように一歩前に出た。


「起きていたのならさっさと報告に来るべきだろう」


 茜が声をかけるより早く、厳しい目がシンシアを見るので遮るように立ちはだかった。責めるなと強い視線で告げれば、気に障ったのかひくりとリーベの片眉が震える。しかし、さすが冷静沈着を矜持とする貴族だ。一呼吸で感情を抑えれば悲痛な息を吐いた。


「リリカ。最近のお前の振る舞いは目に余る。突然部屋から一歩も出なくなったりアカデミーも辞めると言い出したり……そのせいで父上も母上もどれだけ疲弊しているか。ここまでくればもうアカデミーに行けとは言わないだろう。せめて騒ぎを起こすのは辞めて大人しくしろ」

「……」


 さてどう答えたものか。迷ったのは一瞬だ。なんせリーベははなから聞く気がなかったように間も開けずに続けたのだから。


「言っておくがお前が憎くて言ってるんじゃない。俺だって妹のことは可愛がってやりたいさ。もちろん可愛がれるような妹であればだが……最近はお前を見るだけでどうしようもなく腹が立ってしようがないんだ」


 勝手に来たのはそちらのくせに、リーベは険しい顔から一転被害者のように辛そうに顔を歪めてみせる。なんともまあはた迷惑な男。茜は内心で盛大に悪態をついた。


「リリカ様は決してご自分から騒ぎを――」

「とにかく先日の怪しげな儀式といいお前のせいで父様も母様も心労がたたっている。しばらくは騒ぎを起こさず静かにしていろよ」


 シンシアが庇い立てたところで彼女の声はリリカの兄――リーベ・マグノロスには一切届かない。


 茜は無言でリーベの背中を見送った。腹は立ったがとくに言うこともなかったのだ。今あの男に構う余裕がないというのも大きい。


「ひ、ひどいです! リーベ様は……いえ、旦那様も奥様も、みなさまどうしてあんなにお嬢様にきつく当たるんでしょう!」


 人の良さそうな顔を目一杯険しくしたシンシアは真っ赤になって憤慨していた。

 両手の拳を震わせたシンシアが嘆いた。茜も内心で大いに同意した。そして前途多難さに自然と深い息が零れてしまう。


「ねえ、シンシア」

「はい。リリカお嬢様気にしてはだめですよ。きっとなにか虫の居所が悪かったんですよ」


 慰めてくる少女の思いやりについ笑みが漏れた。


「気にしてないから大丈夫。それよりお願いがあるんだけど」

「お願い、ですか?」


 きょとりと瞬いた瞳に頷き返す。


「ちょっとね、外に出たいの」


 どうしたらいいかな。茜は首を傾げて訊ねた。



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