35.涙のキス
エドガーの告白に、ラリエットは驚き過ぎて声が出なかった。瞬きもせずエドガーを見つめた。
「驚かせてごめん・・・、ラリエット」
こちらの顔を伺うように覗きこむエドガーに、ラリエットは目を見開いたまま、フルフルと首を振った。
「君が来なくなった年、僕はもうあの療養施設を出ていたんだ。でも、きっと君は来ていると思って会いに行ったんだ。そうしたら、看護婦から君のお母さんが体調を崩したからもうこないだろうって聞いて・・・」
そうだった。
ラリエットは当時を思い出した。十歳になる年、元々病弱であった母が倒れたのだ。それまでは静養として、毎年夏に二人で叔父の別荘に行っていたのだが、それも出来なくなり、何処にも行くことがなくなったのだ。
それにしても、マシューだけでなく、エドガーまでも、あの奇病に掛かっていたなんて・・・。
「その後、すぐに、君の家のことを調べたよ。そして、マーロウ家の長女だって分かった。そして、まだ、婚約者がいないことも知って、急いで、父さんに掛け合ったんだ、君と婚約したいってね。けど・・・」
まだ混乱気味のラリエットを前にエドガーは続ける。
「僕の病気がすっかり完治するには、もう少し時間が必要だった。再発の可能性もあったし。二年経っても再発しなければ完全に完治したと判断できる。だから、それまでは慎重に生活しなければいけなかったんだ。体調的にも、世間的にも・・・ね。オブライエン家の息子が奇病に侵されていることは秘密だったから。だから、父さんも動いてくれなかった」
エドガーは小さく肩を竦めて見せた。
「やっと自由に行動できる時には十三歳になっていて焦ったよ。君はとっくに誰かと婚約しているんじゃないかってさ。でも、そんなことなかった。だから、安心して父さんにもう一度掛け合ったんだ。そうしたら、今度は父さんが渋ってしまって。資産もない子爵家より、もっといい家があるんじゃないかって。説得するのにさらに一年もかかっちゃった」
「一年も・・・」
ラリエットは思わず呟いた。
伯爵にとっては渋るのは当たり前だろう。やっと健康体を取り戻した息子なのだ。息子のためにも、そして、家のためにも弱小貴族よりも格上の貴族、もしくは資産家の家に送り出したかったはずだ。自分は伯爵には望まれていない娘だったに違いない。
「うん。その間、持ってきた婚約話はぜーんぶ蹴散らして、ぶち壊してやったよ」
「・・・っ!」
他の女性との婚約話まで持ってきていたなんて―――。
さらには、それをすべて壊されるとは。もしかして、自分は伯爵に相当疎まれているのでは・・・?
ラリエットの中で不安と罪悪感が広がってくる。
「でも、最後には母さんも兄さんも一緒に説得してくれたんだ」
ラリエットの不安を余所に、エドガーはニコッと笑う。
「認めてもらっても、君の家と僕の家は何の接点もなかったからね、ここでも少し時間掛かっちゃった。まずは君のお母さんの親戚と知り合いになって、そこから君の家を紹介してもらったんだよ」
そうだったのか。母もラリエットの将来を案じて、頼りにならないマーロウ家の親戚よりも実家の親戚に婿探しをお願いしていた。母にしてみれば、親戚を頼って掴んだ縁に変わりはない。
「やっと、君に辿り着いた時には十五歳になっていて・・・。本当に時間が掛かったよ。でも、十五歳になった君を見た時、無駄じゃなかったって心の底から思った」
エドガーは眩しそうにラリエットを見つめる。
「君は、僕の記憶の中よりもずっと綺麗になっていて・・・。それでいて、小さい頃と変わらずに優しかった。僕はもう一度、君に恋をしたんだ・・・」
そう言った途端、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「ラリエット・・・、その・・・、引いてない? こんな僕のこと」
俯いたままモジモジと尋ねるエドガー。その顔は耳まで赤い。
「ここまで君に執着している僕のこと・・・」
そんなエドガーに向かって、ラリエットは微笑んで首を横に振った。
「そんなことを言ったら、私だってエドガー様に執着してますよ?」
そっと彼から手を離すと、ポケットから何かを取り出した。
それは貝で作られた蝶の髪飾りと、ライラックの花が織り込まれた可憐なリボンだった。
「別の人に嫁ぐというのに、好きな人からの贈り物を持ってきてしまいました」
彼女の掌に広げられた髪飾りとリボンを見て、エドガーは目を見開いた。
「リボン・・・、これ、獲られたはずじゃ・・・」
「ふふっ。取り返してきました。だって、エドガー様から贈られた大切な宝物だもの」
「ラリエット・・・」
エドガーの瞳がどんどん潤んでいき、目じりから涙の雫が落ちた。
「えっ!? エドガー様?!」
突然泣き出したエドガーに、ラリエットはアワアワと動揺したが、エドガーは優しく微笑んだ。その間も、涙がポロポロと流れて止まらない。
「だって・・・、他の物は取り上げられて・・・、何も持ってくることが出来なかったのに・・・。僕の・・・僕の贈り物だけは、大切に持ってきてくれたんだね・・・」
その言葉に、ラリエットは胸が熱くなった。瞼も熱くなり、視界が歪んできた。
「ありがとう、ラリエット」
エドガーは宝物ごと包むようにラリエットの手をそっと握った。
「ありがとう、ラリエット。僕は絶対君を幸せにするよ。約束する。だから、僕のお姫様に・・・、僕のお嫁さんになってくれる?」
「はい」
二人ともポロポロと涙を流しながらお互い見つめ合った。少しずつエドガーの顔が近づいてくる。
「・・・いい? ラリエット」
ラリエットは小さく頷いた。そして、そっと目を閉じた。
泣きながら交わした初めてのキス。少し塩辛い味がしたが、世界で一番幸せな瞬間だった。