29.分かっていたよ
豪華な侯爵家の客間で、マシューとエドガー、そしてラリエットが三人で顔を合わせていた。
マシューはまずはゆっくり休んだらと提案したが、ラリエットはまずは状況を知りたかった。このままでは気になっておちおち休めない。なので、先に話を聞くことにしたのだ。
マシューに促され、ラリエットがソファに座ると、エドガーは彼女の隣にピッタリと寄り添うように座った。肌が触れ合うほど近くに座られ、ラリエットは赤くなった。
車椅子のまま二人の向かいに座っているマシューは、その様子を見て思わず苦笑した。
「エドガー、そんなに牽制しなくてもいいだろう? 信用されていないって地味に傷付くぞ」
「別に・・・そういうつもりじゃ・・・」
エドガーは口を尖らせながら気まずそうにマシューから目を逸らした。
「ラリエット嬢。今回は驚かせてすまなかったね。改めて自己紹介するよ。僕はマシュー・ロックマン。このロックマン家の嫡男だ。だが、後継者ではない。我が侯爵家の後継者は隣いるエドガーだ。彼に養子に入ってもらった。彼にこの家の未来を託している」
「え・・・?」
ラリエットはあまりにも意外なことに言葉に詰まってしまった。
「見ての通り、僕は身体が不自由でね。君も噂を知っているだろう? 例の奇病に侵されて生死を彷徨った。奇跡的に一命は取り留めたけれど、この通り満足に歩くこともできない。さらに顔には酷い醜い痣が残ってしまった」
マシューはゆっくりと顔の仮面を外した。そこには濃い緑色をしたコインほどの大きさの痣が数個点在していた。ラリエットは息を呑んだ。
「このような醜い姿では社交は難しい」
「そ、そんな・・・っ! 醜くなんてありません! 病魔と闘って勝った証じゃありませんか!」
ラリエットは思わず叫んだ。
「あはは。ありがとう、ラリエット嬢。でもそれだけじゃない。体力も無いんだよ。とても当主を務めることができない。さらには子供も望めないことも分かっているんだ。だから、早々に父に頼んで後継者から外してもらった」
マシューは優しく笑うと再び仮面を被った。
「そこで父は養子を迎えることにしたんだが、白羽の矢が当たったのが遠縁でもあり、父と親友として親しくしているオブライエン伯爵の息子、そのエドガーだよ」
ラリエットは瞬きしながらマシューとエドガーを交互に見た。エドガーはにっこりと頷いた。
「我が家とオブライン家は昔から交流があったからエドガーが優秀だということも知っていたしね。でも、エドガーは既にマーロウ家のご令嬢との婚約が決まっていてね。それでも父は諦めなくて何度も打診していたんだけど、エドガーにラリエット嬢と別れるのは絶対嫌だと断られてしまったんだ」
「ちょ、ちょっと、マシューっ!」
ラリエットは目を丸くして隣のエドガーを見た。エドガーは乙女のように両手で顔を覆って膝に突っ伏していた。隠しきれていない耳は真っ赤だ。
「あはは! それはそうだよね。ラリエット嬢との婚約だって自分で掴んだものだし。そう簡単に手放せるものじゃないよね。だから父も一度諦めたんだけど」
「え? 自分で掴んだって・・・?」
「だ、だから、止めてって! マシューっ!」
母が親戚に頼んで結んだ縁談だって聞いていたけれど?
ラリエットはさらに目が丸くなり、ポカンと隣のエドガーを見た。エドガーは頭から湯気が出るほど顔を真っ赤にしている。
「ごめん、ごめん。ラリエット嬢は知らなかったのか? じゃあ、これは後から本人に聞いた方がいいね」
顔を覆ったまま突っ伏しているエドガーを見て、マシューは可笑しそうにカラカラ笑っている。
「そんなところに、エドガー本人から打診があったのさ。まだ、養子縁組の件が有効なら是非養子になりたいってね。しかも結婚相手は自分で決めたいって言う条件付きで」
(それって・・・)
「そう、君」
マシューはラリエットの心を読んだかのようにウインクをして見せた。隣のエドガーは悶絶している。ラリエットは見る見る真っ赤になった。
「我が家としては嫁まで付いてきてくれればこんなに嬉しいことはない。なんせ、酷い噂が広まっているからね。花嫁を探すのは一苦労だろうし」
マシューは相変わらずカラカラと楽しそうに笑う。
「君がマーロウ家で酷い扱いを受けていたことを知った後のエドガーの行動は早かったよ。君への虐待の証拠を集めて、父君のオブライエン伯爵を説得して、我が家に養子縁組を取り付けて・・・。ロックマン家との婚約の取決めは伯爵自ら赴いたって言う話じゃないか。父親まで使うなんて大したもんだよ」
「使えるものは使わないと・・・。僕だけではできないことはいっぱいあるからね!」
エドガーはやっと顔から両手を離し、少しむくれたようにマシューを見た。
「伯爵様も・・・?」
ラリエットは自分に息子との婚約破棄を突き付けた時のオブライエン伯爵を思い出した。あの怒気を含んだ恐ろしい声。軽蔑しきった眼差し・・・。あれが全て演技だというのか?
「伯爵様は、ドレスを・・・、ドレスを破ったのは私ではないと・・・、ご存じだったのですか・・・?」
ラリエットは信じられないようにエドガーを見た。
「うん。分かっていたよ。君じゃないって。僕だって分かっていたよ」
エドガーは力強く頷いた。
「ごめんね、ラリエット。ずっと黙っていて。僕らは全部分かっていたよ。でも、誰にもバレないように君を助け出すには、君にも秘密にしておいた方がいいと思ったんだ。準備に時間が掛かってしまって、こんなにも遅くなってしまった。ごめんね。今まで辛かったよね?」
エドガーはラリエットの両手をギュッと握りしめた。ラリエットは首を横に振った。
「遅くなんて・・・。むしろ早い・・・早過ぎるくらいです・・・」
そう言った途端、大きな瞳からポロポロと涙が零れだした。
「ありがとう・・・。ありがとうございます・・・エドガー様! 私を救い出してくれて・・・っ! 本当にありがとうございます!」
ラリエットはエドガーの手を力いっぱい握り返した。