20.矛盾
会場の外ではエドガーがなかなか来ないパートナーを待っていた。
両親と兄と兄のパートナーは既に会場に入っている。何度も懐中時計で時間を確認する彼の仕草に、少しばかりの焦りと苛立ちが見える。
やっとマーロウ子爵家の馬車が到着した。
そこから降りてきた少女を見てもエドガーの表情は変わらなかった。少女はとても緊張した面持ちをしていた。エドガーはゆっくり彼女のもとに向かった。
「こんばんは、アリエル嬢。どうしたの? 少し遅かったね」
にっこりと微笑むエドガーに、アリエルはホッとした表情を浮かべた。開口一番、指定されたドレスを着てこなかったことを咎められると不安になっていたからだ。
「ご、ごめんなさい。エドガー様。初めてのことで支度に戸惑ってしまって」
申し訳なさそうに上目づかいでエドガーを見た。エドガーは優しい笑顔のままだ。
「いいさ。こちらこそ、急なのに都合を付けて参加してくれてありがとう」
「そんな・・・。エドガー様の為なら・・・」
アリエルは恥ずかしそうに眼を伏せた。
「今日の衣装はとても素敵だね。本当に良く似合っているよ。君にピッタリだ。とても可愛らしい」
「本当ですか!!」
エドガーの誉め言葉にアリエルは目を輝かせた。
「誰の見立て?」
「お父様です!! 前にお父様が贈ってくれたんです! 近い内にパーティーに連れて行ってくれるって言って。エドガー様の方が先に連れてきてくれましたね!」
アリエルはふふふと笑いながら両手で口元を覆った。さらに、
「お父様は私にはピンクが似合うって! エドガー様もそう思いますか?」
可愛らしく首を傾げてエドガーを見た。エドガーはにっこりと頷いた。
「うん。とても似合うよ。でも、今日は事前に贈ったドレスを着て欲しかったな」
その一言に、アリエルは言葉を詰まらせた。
「どうして着て来てくれなかったの?」
「それは・・・、その・・・」
返答に困ってアリエルの目はキョロキョロ泳いだ。
「でも・・・、あれは、お姉様に贈った物だし・・・」
「そうだけど、今回の夜会は我がオブライエン家のビジネスが絡んでいてね。お得意先に披露する必要があったんだ。その事は手紙でも知らせたはずだけど」
「は・・・、はい・・・。で、でも・・・、サイズが・・・」
「君はラリエットと背格好はあまり変わらないと思うけどな」
「え、えっと・・・」
エドガーの質問攻めにアリエルは焦りだした。突然彼女はエドガーに向かって深く頭を下げた。
「ごめんなさい! 実は、私が代わりに出席することにお姉様が怒ってしまって! 腹いせにドレスをビリビリに破いてしまったんです!!」
アリエルはそう叫んだ。
「私、止めたんですけど・・・。自分が行けないなら誰にも着せないって言って。私、破れたドレスを直そうとしたんですけど、とても無理で・・・」
次第に声が掠れてくる。終いにはグスグスと鼻をすする音が聞こえてきた。
「ごめんなさい・・・。エドガー様・・・」
「そうか・・・。それでそのドレスになったんだね?」
「はい・・・。不憫に思ったお父様が急遽用意してくれて・・・」
「・・・。そうか・・・。急遽ね・・・」
「え・・・?」
エドガーの呟きが聞こえなかったアリエルは、そっと顔を上げた。その可愛らしい瞳にはキラキラと涙が溜まっている。
「何でもないよ。事情は分かった。そういう事なら仕方がない。さあ、涙を拭いて。可愛い顔が台無しだよ?」
エドガーはにっこりと微笑みながら、真っ白なハンカチを取り出してアリエルの涙をそっと拭いた。さっきからずっと、どこか棒読みのような話し方だが、彼はアリエルに対してはいつもこの口調なので、まったく気にならなかった。それよりも、この紳士的な態度と甘い言葉に酔いしれていた。そのせいで、自分が矛盾した発言をしてしまったことに気が付かなかった。
「ところで、そのリボンはどうしたの? とても素敵だ」
エドガーはハンカチをポケットしまいながら話題を変えた。
「これですか!? 素敵でしょう?! これもお父様が買ってくれたの!」
「そうなんだ。とてもいい趣味をお持ちだね、マーロウ子爵は」
「はい! すごく気に入っているの!」
アリエルはハーフアップの髪を飾り立てているリボンの裾を人差し指でくるくると巻いて見せた。
「薄紫の小花がとっても可愛らしいでしょう? 触り心地もとっても良いの!」
エドガーも失礼と言いながら、リボンの裾を手に取った。手触りを確かめるように触る。
「うん、本当に繊細な絹織物だね。柄も素敵だ。ライラックだね」
にっこりと微笑むエドガーの顔をアリエルはうっとりと見つめた。この時も、端正な顔しか目に入っていなった彼女は、エドガーの反対側の拳が、グッと力を入れて握りしめていたことに全く気が付いていなかった。
エドガーはリボンを手放すと、彼はアリエルに片腕を差し出した。
「そろそろ会場に入らないと。行こうか」
「はい!」
アリエルはギュッとその腕にしがみ付いてきた。
「アリエル嬢。そんなにしがみ付いたら歩きにくいからね。こういう時は手を添えるだけでいいんだ」
やんわりと諭され、アリエルは恥ずかしそうに両手を離すと、言われた通り、腕に手を添え直した。適度な距離を取れたことに、エドガーは満足そうに頷いた。
「さあ、行こう」
二人は会場に向かって歩き出した。