12.腫れた頬
「あーあ・・・、すごい腫れ・・・」
翌朝、ラリエットは鏡を覗いてゲッソリした。
父に殴られた左頬がひどく腫れ上がっていたからだ。この腫れが引くには数日はかかりそうだ。
「まあ、暫く何処にも出かける予定もないし、いいですけどね・・・」
思わず鏡を覗きながら独り言を呟いた。
それにしてもこんなに腫れるほどの力で殴るなんて、なんちゅー父親! 毒親め!
などと心の中で悪態をついていると扉をノックする音がしたと同時にレイラが部屋に入ってきた。
「おはようございます、お嬢様。朝食をお持ち・・・ギャア~!!」
ラリエットの顔を見たレイラは悲鳴を上げた。
「そこまで驚かれると流石にショックだわ、レイラ・・・」
ラリエットは驚き過ぎているレイラを恨めしそうに見つめた。
レイラは急いで朝食を乗せたワゴンを部屋に滑り込ませると、ラリエットの傍に駆け寄ってきた。
「お、おじょ、お嬢様、お顔が、お顔! 腫れ過ぎ!」
「うん、結構腫れちゃった。大丈夫よ、そのうち引くでしょ」
「何を呑気な!! タオルとお水を持ってきますね!!」
レイラは大急ぎで朝食をテーブルにセットすると、駆け足で部屋を飛び出していった。
☆彡
痛みはさほどないが、腫れは酷いので、今日も一日冷たいタオルを当てていることにした。
そろそろ十八になるラリエットは今年貴族女学院を卒業したので、常に屋敷にいる。卒業と同時にマーロウ家女主人見習いとして父の手伝いをするものだと思っていたのだが、あにはからんや、新たな女主人が誕生することとなったため、お役御免となってしまった。まあ、元々、あの父がラリエットに手伝わせたかどうかは謎だが、予定が狂ってしまった彼女はすっかり暇になってしまった。なので、週に二回ほど以前雇っていた家庭教師に来てもらい、外国語などの個人レッスンを受けている。それ以外は月に数回、屋敷にやって来る婚約者との逢瀬があるだけ。それだけが今の彼女の全スケジュール。予定のない日はほぼ読書や刺繍などをして過ごしていた。
今日の予定は何もない。日がな一日読書をして過ごしていた。読書ならタオルを頬に当てながらでも出来る。そう言えば家庭教師のサリバン夫人からどっさり宿題が出ていたような・・・。でも、勉強は両手を使う―――教科書捲ってペン使って―――だから今日はいいか。などと、訳の分からない言い訳を自分にしながらのんびり過ごす。
気が付くと昼食の時間になっていた。もちろん、今日も家族には呼ばれないので一人ぼっちの昼食だ。それでも、まだ嫌がらせはされていないのだから良しとする。この貴重な時間をゆっくり味わっておこう。仲間外れなんて嫌がらせに入らない。それどころか有難いことだ。
昼食後、別の本を探しにびっこを引き引き図書室に向かった。途中、エントランスの方から父と継母とそして異母妹の声がした。ラリエットは思わず足を止めた。
「いってらっしゃいませ、あなた」
「いってらっしゃい! お父様! ケーキ屋の『アンディ』のレモンケーキ買ってきて!!」
「ああ、いいとも。じゃあ、行ってくるよ」
どうやら父が出かけるようだ。やたらと弾んだ父の声。ラリエットが見送る時とは大違い。愛する妻娘に見送られる幸せが溢れている。相当嬉しいのだろう。
昨日の平手打以来、父への情はすっかり消えているので、このような光景を目の当たりにしても、もはや寂しくも悔しくもない。だからと言って、あまり気持ちの良いものでもない。足早に通り過ぎようとしたが、いかんせん、足を捻っているので早く歩けない。足を庇いながら歩いていると、階段を上ってきた母娘と鉢合わせしてしまった。
アリエルはラリエットを見るなり、母の腕にしがみ付つくとキッとラリエットを睨んだ後、ツンッと顔を背けた。継母もラリエットを睨みつけると、娘を庇うように一歩前に出た。
しかし、ラリエットの酷く醜く腫れた頬に気が付くと急に瞳が弧を描き、口角がニッと上がった。
「まあ、酷い顔ね。いい気味だわ。アリエル、ご覧、あの子の顔。あんなに醜く腫れて。お父様がしっかり罰を与えてくれたから、今回は許してお上げなさいね」
来た来た来た―――! とうとう継母虐め始動か?!
ラリエットは心の中で身構えた。
継母は優しく愛娘の頭を撫でると、再びラリエットに振り向いて睨みつけた。
「フンッ! これから気を付けなさい。嫡女だからって調子に乗っていると反対側の頬も腫れあがる結果になるわよ。これ以上痛い目に遭いたくなければ、ちゃんと私たちのことを敬いなさい!」
敬って欲しければ虐めないで下さい!
と、激しく思うが口に出す勇気はない。
「また同じようなことがあったら、容赦なくお父様に言いつけるから!」
―――同じような事がなくても言い付けますよね? 知ってます。
「その度に罰を与えてもらいますからね! そのつもりでいなさい!」
―――はい、もちろん! 心積もり万全です!
そう喉元まで出かかるが、クッと飲み込む。
言葉を飲み込むことに夢中で返事を忘れていると、そのダンマリを反抗心と解釈した継母は睨んでいる目が更に吊り上がった。
「なんて可愛げのない子! 行きましょう、アリエル!」
吐き捨てるように言うと、アリエルを促し歩き出した。
アリエルは母から見えないようにラリエットに向かって、人差し指で右目の下まぶたを引き下げ、舌を出して見せた。だが、それは一瞬で、すぐに向き直って母にベッタリ寄り添って行ってしまった。
(うわっ・・・。初めて見た、リアルあっかんべー。する人って本当にいるんだ・・・)
ラリエットは軽く衝撃を受け、暫くボーっと二人の後ろ姿を見送っていた。