揺れる弟の心
ウヨンは夜の中庭で剣を振っていた。
誰もいない訓練場に、金属が風を切る音だけが響く。額から落ちる汗を、袖で乱暴に拭った。
——なぜだ。
なぜ、兄上は……。
カルミヤ王国に帰省したという報せは聞いていた。だが、護衛として同行しているのが“ヘヨンのため”だと知ったのはつい最近のことだった。
彼女を守るために?
あの、父を死に追いやった国の姫を?
ウヨンの胸の奥で、理解しきれない怒りと喪失感が混ざり合い、黒い渦を巻いていた。
その夜。
宮殿の一室に招かれたウヨンは、トアと向かい合って座っていた。
「君は、兄のしていることに疑問を抱いているだろう」
トアの声は穏やかだった。だがその目の奥に、冷たい意図が揺れていた。
「……兄は変わってしまいました。あんなに正義を重んじていた兄が、なぜ父を殺した王家の娘に肩入れするのか……僕には理解できません」
「理解できないのは当然だ。だが、君には“信じる力”がある。兄が国を裏切った今、それを正すのは……弟である君しかいないのだ」
トアは懐から一枚の文を取り出し、そっと差し出した。
「これは、カルミヤ王国が、トリカブトを攻める準備を進めているという密書だ。王太子ドヒョンの即位がその合図になるらしい」
ウヨンはその紙を震える手で受け取った。震えているのは怒りか、あるいは恐怖か。
「兄は……それを知っていても、ヘヨンを守ろうと?」
「君の兄は、国よりも、個人の情を選んだのだろう。だが、それが民を守る選択とは限らない」
トアの言葉が、鋭い氷の刃となってウヨンの胸に突き刺さる。
「君にはまだ、父の正義が流れている。剣を持つ覚悟はあるか?」
ウヨンは目を閉じた。そして、静かにうなずいた。
その夜遅く。
ウヨンは密かに、精鋭の小隊を集め、南へ向かう準備を整えていた。誰にも気づかれぬように。
「兄上……僕が止めます。あなたが見失った“正義”を、僕が取り戻します」
そう呟く彼の目に迷いはなかった。
だが、その背にまとわりつく影は、彼が自ら振るおうとする剣よりも、遥かに冷たく、鋭かった。




