ヘヨンの疑う気持ち
〈王宮・東の回廊〉
石畳の廊下に、早足で近づく足音が響いた。
へヨンが窓辺の風にあたっていると、侍女長のサランが、少し息を切らしながら立ち止まった。
「……皇太子妃様」
その呼びかけに、へヨンはわずかに眉をひそめる。
「その呼び方は、やめてって言ったでしょ。
幼い頃から一緒に育ったのよ、私たち」
「……失礼しました。へヨン様」
サランはぴたりと立ち止まり、一呼吸置いてから口を開いた。
「深刻なお話がございます。
――ジェヒョン様が、農民風の男と密かに接触しているとの報告が入りました」
「農民?ジェヒョンはこの国に知り合いがいるはずないわ」
眉をひそめるへヨンに、サランは声をひそめる。
「……その者は、ストレリチア王国の第二皇子――ウヨン殿下とみられております」
「……ウヨン?」
へヨンの表情が固まる。
「……知っているのですか?」
「ええ。……昔、父が何度か名前を口にしたことがあるわ。
――“火種になり得る男”だって」
「……へヨン様。
ジェヒョン様には、警戒なさってください。もし彼が、その男と共謀し……カルミヤに復讐を企てているとすれば――」
「そんなこと、あるはずないわ」
へヨンは言葉を遮った。
その声は静かだったが、はっきりとした決意がこもっていた。
「私は、ジェヒョンを信じている。……あの人が、そんなことをするなんて、思いたくない」
だがサランは、静かに言葉を重ねた。
「へヨン様。お忘れになられたのですか?
――ジェヒョン様の父上は、陛下に処刑されたのです。それも、彼自身の目の前で」
その言葉に、へヨンの肩がわずかに震えた。
記憶の奥にしまい込んでいた“あの日”が、脳裏に蘇る。
「……忘れてなどいないわ」
絞り出すような声だった。
「あなたが私にそのことを教えてくれた日から……片時も、忘れた日はない。
けれどそれでも――私は、あの人を信じていたいの」
サランは一礼し、静かに言った。
「……引き続き、警戒を怠らぬよう。どうか、軽率なお心をお持ちになりませんように」
そして、足音を響かせて去っていく。
へヨンは、ひとり窓辺に立ち尽くしていた。
外の風が、どこか冷たく感じられた。




