表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一切皆苦

作者: 立津テト

 春、なのに冬のように冷たい風が、頬を撫でた。

「この世界は、全部、苦しみでできてるんだってさ」

 僕はそう一人でに呟きながら、屋上のフェンスにもたれていた。学校のチャイムが鳴っても、誰も僕を呼びに来ない。僕は透明人間のように扱われることに慣れていた。いや、慣れたふりをしていた。

「だったら、生きる意味なんて、どこにあるのさ......」

 そのときだった。

「それを探すために、生きているのよ」

 誰もいないはずの屋上で、返事が返ってきた。

 振り向くと、そこには見知らぬ少女がいた。セーラー服に身を包み、長い髪を風にたなびかせながら、まるでこの世のものではない光を纏っているように見えた。

「誰だよ、お前......」

「私は心。あなたと同じ、この世界に迷い込んだ者よ」

 意味がわからなかった。だが、彼女の瞳に、確かに僕と同じ“空っぽ”が宿っているのを見逃さなかった。

 彼女は笑った。「死にたかったの?」

 僕は言葉を詰まらせた。誰も口にしなかったその感情を、彼女はあっさりと突きつけてきた。

「死にたいんじゃない。ただ、ここにいる意味が、わからないだけだ」

「そう。それが苦しみ。あなた“一切皆苦”っていう言葉知ってる?仏教の言葉よ」

「知ってる。全部の存在は、苦しみでできてるって意味だろ」

「ええ。でも、逆に考えれば、苦しみがあるから、私たちは何かを探せる。愛とか、赦しとか、希望とか」

 僕は思った。こんなことを真顔で言うやつが、どこか壊れてるのか、それとも自分のほうが壊れているのか。

「君は、どうして僕の前に現れたんだ?」

「あなたの魂が、叫んでたからよ。“誰かに、見つけてほしい”って」

 彼女は近づいてきて、僕の胸に手を当てた。まるで心臓の音を聞こうとするように。

「ここにまだ、音がある。なら、生きててもいいんじゃない?」

 その瞬間、僕の内に押し込めていた感情が、ひとつずつ形になって、ほどけていくようだった。涙が勝手に流れた。

「馬鹿みたいだな、僕......」

「うん、馬鹿だと思う。でも、生きてる人間はみんな、そういう馬鹿ばっかり」

「じゃあ……君は?」

「私はそんな馬鹿にさえなれなかった人間。」

「え?」

 心はふっと笑った。その姿は、風に溶けるように淡くなっていく。

「ありがとう。あなたが、見つけてくれたから……もう、行ける」

「待って……! 僕はまだ、君のこと、何も知らな――」

 心の腕を掴もうと手を伸ばすが、そこにはもう、誰もいなかった。

 屋上にただ、春の風だけが残った。

 僕はフェンスに手を添え、深く息を吸った。

 まだ、胸の奥で、小さな音が鳴っていた。

 生きることは、確かに苦しい。

 でも、それでもいい。

「ありがとう、心」

 空は、少しだけ、優しい色をしていた。

最後まで、読んでいただきありがとうございました!

もしよければ、☆☆☆☆☆評価で応援していただけますと励みになります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ