Second Flight/Sheen008〈銀色のディスク〉
夕暮れ時、海上都市「ゆりかご」に吹く海風はわずかに強くなる。
自転車から降りた飛鈴は黒髪を手でおさえ、薄墨色が濃くなっていく黄昏色の空を振り仰ぐ。
ふと胸に感じた小さな寂しさを笑顔で隠した飛鈴は、扉のドアへ手を掛けた。
「ただいま」
「おかえりなさい、飛鈴」
飛鈴を迎えたのは、明るい髪色のポニーテールを揺らしたエプロン姿の女性だ。
彼女の名はチェイニー。ゆりかごで小さなレストランを開いている。彼女の愛情がたっぷり込められた美味しい料理は、ゆりかごで大評判だ。
そして、両親がいない飛鈴はチェイニーと一緒に暮らしている。
「今日も会いに行ったんでしょう? ブレイバーに変わりはなかった?」
「うん、いつでも最高だよ」
「うふふ、よかったね」
飛鈴の父親をよく知るチェイニーは、「そういうトコ、お父さんにそっくりなんだから」いつもそう言って笑うのだ。
「お腹が空いたでしょ、夕食にしましょう。手を洗っていらっしゃい」
「はい」
「あ、飛鈴」
「……な、なに?」
チェイニーに呼ばれて振り返った飛鈴は、チェイニーの笑いを堪えられぬといった表情に気付いて、嫌な予感に口元を引きつらせた。
「お客様がいらしているわ」
「お、お客様ねぇ」
「ロアンおじさまよ、会いたかったでしょ」
「あ、あ〜えへへ」
チェイニーが悪戯っぽく笑い、予感が的中した飛鈴は思わず苦笑いをした。
飛鈴がリビングへ顔を出すと、ソファでくつろいでいた白髪交じりの頭髪を撫で付けた大柄な男性が勢いよく立ち上がり、相好を崩して彼女を出迎えた。
「こんばんは、おじさま」
「おう! お帰り飛鈴!」
ソファから立ち上がったロアンはそう言って両腕を広げて飛鈴を迎えた。
大きな手で飛鈴の頭を優しく撫でる。
「背が伸びたか? また綺麗になったんじゃないか? うんうん、実に喜ばしいことだ」
ベタなお世辞に聞こえるが、『綺麗になった』と言われれば嬉しいのが女の子だ。
飛鈴の親代わりであり後見人のロアンは、行方が知れない彼女の両親と親しい仲であった。
「チェイニーに任せっきりですまないが……。どうだ? 不自由はないか?」
政府関係者として多忙な彼は、無理やりスケジュールに都合をつけて僅かな時間でも飛鈴に会いに来るのだ。
後見人としての義務感でそうしているのではなく、自分のことを心から気にかけてくれていることを飛鈴は感じている。
「ありがとうございます。治安維軍総指揮官のロアンおじさまも、お忙しそうで」
「ん? ああ、まあな」
少し大人びた挨拶を返す飛鈴に、ロアンは戸惑ったように眉毛をハの字にしてみせた。
「ね、ね、おじさま。柚希おばさまはお元気にしていらっしゃる?」
「ああ、ありがとう。お前に会いたがっていたよ」
「うん。また会いに行くってお伝えください」
飛鈴は、そう言ってはにかんだ。
「さあさあ、ふたりとも。食事にしましょう」
チェイニーが、パンを盛った大振りの籠をテーブルへと置いた。
夕食のメニューは、チェイニー手作りのロールキャベツだ。温かい湯気と香辛料の香りが食欲を刺激する。
つけあわせは色とりどりの野菜を使ったサラダだ。
学校での出来事、基地でリヒトと会ったこと。もちろん、ブレイバーのことも。
飛鈴は楽しそうにチェイニーとロアンへ話して聞かせる。二人は飛鈴の話をひとつひとつ丁寧に聞く。
楽しい食事のひとときは過ぎ、心配性のロアンはチェイニーへくれぐれも飛鈴をよろしくと言いおいて帰っていった。
チェイニーと飛鈴はシンクに並んで仲良く後片付けをする。
「そうそう。明日はホール担当のアーシアがお休みでね、お店を手伝ってくれないかな」
「うん。大丈夫、ボクにまかせて」
「それじゃお願いね。あ、後は私が済ませるからいいわ、ありがとう。少し休んだらお風呂に入ってね」
「はーい」
自分の部屋に戻った飛鈴は灯りを点けると、ぽふ……と、ベッドに寝転んだ。しばらく天井を見つめていたが、数回まばたきをすると起き上がった。
鞄を置いてある机に近づいて引き出しを開ける。飛鈴が手にしたのは銀色をした一枚の情報記録ディスクだ。
それはブレイバーのコクピットに残されていたものだ。飛鈴が見つけるまで誰にも気づかれず、長い間ずっとコクピットの中に忘れられていたのだ。
しばらく手にしたディスクを見つめていた飛鈴は、鞄の中から情報端末を取り出して起動する。
端末が起動したことを確かめた飛鈴は、ディスクをスロットに入れた。
端末がディスクへ書き込まれている情報を読み込む、小さな端末の駆動音が聞こえる。しばらくすると映像が流れ始めた。
ノイズが酷いその映像には、ブレイバーの戦闘がいくつか記録されていた。
乱れた映像に映るブレイバーが飛ぶ空には、暗雲が立ち込めている。
それは紛うことなき先の大戦の映像だ。
接近警報とともに前方に現れた敵機の姿。固唾を呑んで流れる映像を見つめる飛鈴は、ぎゅっと両手を握りしめた。
そしてディスクに収められている最後の映像が流れる。
大破して噴煙を上げながらもなお迫り来る敵機の姿。ノイズにまみれて鋭い叫び声がコクピット内に響いた。
激しい衝撃のせいなのか、大きく画面が揺れた瞬間。
コクピット内が大きくひしゃげ、画面に真っ赤な血が飛び散った。
そこで映像は途切れている。
この映像を初めて見た時に飛鈴は悟った。自分が知らない過酷な時代に、父と母は命を懸けて戦っていたのだと。
「お母さん、お父さん」
何度見ても胸が締め付けられる。映像の中で響いたのは覚えていない父の声だ。
飛鈴は映像が途切れた端末の画面を指先でそっとなぞった。翠色の瞳から溢れ出たひとすじの涙が頬を伝う。
しばらく唇を噛んでうつむいていた飛鈴だったが、両手を上げて黒髪を手櫛で梳いた。
指の間を流れる黒髪の感触は、母の存在を感じさせるのだ。
「ボクが、ボクがブレイバーに乗って必ず探しに行くからね」
飛鈴は両親がどこかで生きていると信じている。
ブレイバーの記憶に等しい銀色のディスクを、まるで父母の声が詰まった宝物のように、そっと胸に抱いた。