Second Flight/Sheen007〈飛鈴〉
画一的で無個性に感じられていた海上都市『ゆりかご』の街並みは、十数年を経て徐々に華やかになっていった。
道路が整備されて次々に住宅街が建ち始めると。人々で賑わう繁華街が生まれた。
今では緑も多く穏やかな雰囲気に満ちている。
☆★☆
人と人とのコミュニケーションが重要視され、海上都市では過ぎ去りし時代に実施されていた教育の形態が採用されている。
静かな教室へ響いた鐘の音は、生徒達が待ち望んでいた音色だろう。
「はい、今日の授業はここまでですね」
そう言って教壇に立つ教師は、数冊の教本をとんとんと揃えた。柔らかな表情を湛えた、爽やかなイメージの青年だ。
同時に張り詰めていた教室の空気が緩むのがはっきりと分かる。
「僕はこのあとすぐに会議がありますから、放課後のホームルームはありません。皆さん、気を付けてお帰りなさい」
「はぁい」
「ユース先生、バイバイ」
「はい、さようなら」
手を振る女生徒達に微笑みを返した教師ユースは、ゆっくりとした足取りでざわめく教室を出て行った。
「終わったぁ」
両手をきゅっと握って、うーんと伸びをしたひとりの少女は、肩まで伸ばした綺麗な黒髪を手で梳いた。
大きな翠色の瞳を数回ぱちぱちと瞬きさせると、小さなバッグを机の上にぽんと置く。
うきうきとした表情の彼女は、女の子らしい小さな手で机の上に広げた教本やノートをバッグに入れていく。
誰よりも早く帰り支度を済ませた少女……『飛鈴』は席を立つと、チェック柄をした制服のスカートを軽く手で払って皺を伸ばした。
「バイバイ、ソフィア」
「あ、飛鈴。うん、また来週ね」
「ねぇ飛鈴!」
「ん、どうしたの? メアリ」
ソフィアと挨拶を交わし、急いで教室を出ようとする飛鈴は、メアリに呼び止められて、くるりと体の向きを変える。その動きにつられたようにネクタイがふわりと踊った。
「ホントに熱心ね、今日も行くの?」
「うん、もちろん」
「もう、仕方ないなぁ。じゃあ愛しの彼によろしくね」
ぺろっと舌を出してえへへと照れ笑いをした飛鈴は、ちょっと残念そうなメアリに手を振った。
「また来週ね!」
ポケットの中に小型端末が入っていることを確かめた飛鈴が駆け出す。
「あ、飛鈴! もう帰っちまうのかよ!」
「遊びに行こうぜ」
「ゴメン、ボクは忙しいんだ。またね!」
「今日はコートが使えるんだ、ラケット持ってるよな」
「ゴメン、急いでるの!」
「おーい飛鈴!」
「ホントにゴメン、またね!」
「ええ〜」
飛鈴はクラスの人気者だ。男の子女の子問わず放課後に彼女を誘いたい者はたくさんいる。
みんなの誘いを断った飛鈴は、彼らの落胆する声を置き去りにして教室を飛び出した。
下校を始めた生徒達を掻き分けて自転車置き場へ駆け込むと、女の子には似合わない大きめの自転車を苦労して引っ張り出す。
前カゴにバッグをぽんと放り込み、ハンドルを握って勢いを付けて自転車を押すと、飛鈴は軽やかに飛び乗った。
形の良い唇を「む!」と引き結んで、ペダルに乗せた足に力を込める。
飛鈴の可愛らしい顔がちょっと紅潮している。わずかにふらついたが軽快に走り始めた自転車は徐々にスピードを上げはじめた。
綺麗な黒髪がふわりと風になびく、強い陽射しに翠色の瞳を細める。父と母の面影は確かに少女の中に息づいている。
力を込めてペダルを踏む飛鈴は、ぐんぐんとスピードを上げていく。鼻をくすぐる潮の香りを含んだ海風の中を走る。
彼女が目指すのは、華やかでお洒落なショッピングモールではない。
無機質な建物が整然と立ち並ぶ、海上都市「ゆりかご」の警備を受け持つ警備隊の基地だ。
海風を切って走る飛鈴の笑顔が弾けた。
「着いた!」
通用門で自転車を降りると、門番の隊員へ海上都市の住人である証のIDカードを提示する。
「お疲れ様!」
「おお飛鈴、お帰り」
毎日のように基地を訪れる飛鈴は隊員達と顔見知りだ。
滑走路に併設されたひと際大きな建物、格納庫が見える。バッグを持った飛鈴は警備員達へ手を振って格納庫を目指して駆け出した。
「飛鈴、宿題はいいのか?」
「大丈夫、大丈夫っ!」
「週明けに叱られるなよ!」
「大丈夫だもん!」
隊員達とすれ違う度に声を掛けられる、笑顔で手を振る飛鈴は警備隊の基地内でも人気者だ。
「リヒト、ただいま!」
「ああ。お帰り」
勢いよく脇を駆け抜けた飛鈴に返事をした青年は笑顔で飛鈴へ挨拶した。
整備班の作業着であるツナギを着込んだリヒトは一瞬、虚を突かれた表情になった。
「って飛鈴、お前はまた!」
我に返ったリヒトは、駆けてゆく飛鈴の背中に向けて大きな声をあげる。
「学校が終わったらチェイニーさんの店に帰れって、いつも言ってるだろう!」
「ボク、他に寄り道しないもの。基地ならチェイニーも怒らないって、大丈夫!」
「ここは警備隊の基地なんだ。毎日毎日、入り浸るんじゃない!」
「もう! リヒトの方こそ、毎日毎日同じこと言わないでよ」
彼女の耳にリヒトの声は届いていない。
「飛鈴!」
「わかってるわかってる、またあとでね!」
「こら、何がわかってるんだよ!」
遠ざかる飛鈴の声。
少女の意識はリヒトではなく、もうお目当てに向かっている。
格納庫に居並ぶ装甲兵は『AS型』と銘打たれた最新型である。
しかし、彼女が夢中になっているのは警備隊基地の格納庫、その隅に佇む一機の旧式装甲兵だ。
「ただいま、ブレイバー」
飛鈴のしなやかな肢体が踊り、すらりとした健康な足が、ぐんと床を蹴った。
駐機姿勢をとっている形式名『VX-4F型』固有機体名『ブレイバー』の逞しい腕に飛び乗った飛鈴は上腕を伝って機体に登り、慣れた手付きでコクピットハッチを開く。
一線を退いたとはいえ装甲兵は兵器だ、本来ならば飛鈴は機体に近づく事すら許されない。
だが現在、ブレイバーの起動は不可能だ。内部機器の老朽化か電子機器系統の不具合なのか、それは不明である。
過去の大戦において英雄的存在であるブレイバーは、希望の象徴として今は記念碑のような存在となっていた。
「それっ!」
コクピット内を覗き込んだ飛鈴はぶるるっと身震いした後、飛び込むようにシートへ収まった。
高鳴る鼓動を鎮めるように胸に手を当てて深呼吸した後、そっと操縦桿に手を触れる。
頬を紅潮させて、操縦桿を強く握りしめた。
「準備はいい?」
親しい友人のようにブレイバーへと声をかけた飛鈴がなぞるのは起動操作の手順だ。
指先が迷うことなく次々にコントロールパネル内のスイッチを入れていく。
だが、コクピット内のコンソールパネルは反応を返すことはない。
飛鈴は大きく胸を膨らませた。
「ブレイバー、発進します!」
飛鈴の想像の中で、カタパルトから射出されたブレイバーは大空へと舞い上がった。
「ふう……」
瞳を閉じてシートに身体を預けた飛鈴は、ほうっと息をつく。
機体が真っ向から受ける強い風と装甲版が弾く光の粒子。フライト・ユニットの翼を広げ、大空を駆けるブレイバーの姿を想像する。
「お前、ホントに飽きないよな」
ひょいとコクピットを覗いたリヒトが、気分良さそうに想像に浸っている飛鈴を見て、あきれたように笑った。
飛鈴よりも三つ年上の彼は幼馴染で十八歳。整備員として警備隊基地で働いている。成長株である彼は基地の先輩達からも一目置かれている。
「うん、大好きだもん」
はにかんだ飛鈴は、ぐるりとコクピット内を見回した。
コクピット内の独特な雰囲気と、匂いを感じていると不思議と落ち着くのだ。
父が整備士として手を掛けて、母が操縦していた。
荒廃した世界を救おうと、このブレイバーと共に過酷な旅をした両親は幾つの死線を越えたのだろう。何を見て何を感じたのだろう。
ブレイバーは、飛鈴と両親を繋ぐ唯一の存在なのだ。
英雄と讃えられる飛鈴の両親は、十数年前の嵐の夜の事件で行方不明となってしまった。ブレイバーのコクピットで、飛鈴は両親の存在を感じているのかもしれない。
「ねぇリヒト」
「どうした?」
「ブレイバーは、どうしても動かないの?」
飛鈴に問われ、秀麗な顔にちょっと困ったような表情を浮かべたリヒトは、ねだるような目をした彼女のおでこを人差し指で軽く小突いた。
「ああ、残念だけどな」
「うん……」
光が灯らぬメインカメラは飛鈴を映すことはないのだ。
操縦桿を握る手に力を込めた飛鈴は、翠色の瞳をそっと伏せて小さく返事をした。