Second Flight/Sheen006〈喪失〉
人々が身を寄せる安寧の地である海上都市『ゆりかご』で、嵐がごうごうと荒れ狂っている。
不安を掻き立てる赤い光が灯る発令所には、皆の不安と緊迫した重苦しい空気が滞留していた。
『救難信号発信地点で未確認機と交戦中。数は……六機』
ノイズまみれの通信が発令所に響く。
美鈴の報告を聞いた職員達が一斉にどよめいた。
「みんな落ち着け、集中しろ!」
発令所内の職員達をしずめるために、ロアンは声を張り上げる。
バックアップが浮足立っていては現場に的確な情報を送れない。
『救難信号を発していたと思われる船の存在は確認できない。まだ救難信号の発信は続いているの?』
「お前達が救難信号発信海域に接近した頃に信号が途絶えている」
救難信号を受けたのに、その対象は現場に居らず。
リスティと美鈴は敵機に襲われた。
「美鈴、もう一度確認する。その海域に救難信号を発したと思われる難民船は存在しないんだな!?」
『ええ、そうね。ここには敵しかいない!』
「ま、まさか、救難信号は罠だと……」
険しい表情をしたウェスタが唸った。
「ええい、どこのどいつだ畜生め!」
ロアンは固めた拳を机に叩きつける。
『未確認機は人型、フライトユニットと思われる推進装置を背部に装備している。装甲は堅固、新型機の基本装備であるライフルが通用しない。接敵開始からのデータを転送する』
美鈴から送られたデータを開いたロアンは息を呑んだ。
そこに記された機体は、まさに新鋭の戦闘兵器だ。
「こいつは新型の装甲兵か、いったいどこから……」
可能性はと問われれば、いや。
今はそんな検証などしてはいられない。
『このまま後退すれば、こいつ等をゆりかごに招き入れてしまう。ここで撃墜するつもりだけどっ!』
「美鈴、無理はするな。新型はどうだなんだ、やれるのか!?」
ロアンの問い掛けに、美鈴はすぐに答えなかった。
「返事をしてくれ美鈴!」
『……当機の現状を報告する。左マニピュレーターは上腕部より欠損、頭部メインカメラに深刻なダメージを負った、外部の状況把握は困難』
美鈴の報告を聞いたロアンは、驚愕に目を見開いた。
「そんな状態なのか? 馬鹿野郎、すぐに撤退するんだ! 相手がいくら新型でも、ゆりかごにはまだ歴戦をくぐり抜けた『VX型』がある、いいようにさせるものか!」
ゆりかごの守備隊基地で待機している稼働可能な『VX型』をかき集めれば、迎撃態勢を取ることは十分に可能だ。
しかしいくら初戦闘である新型機とはいえ、腕利きのパイロットである美鈴が操る機体に深刻なダメージを与えうる者など居るのだろうか。
『完全に包囲されている。敵機の機動力は侮れない、逃してくれそうにもないわね』
美鈴の声は聞き取りにくいが、その声音から状況が切迫しているのが分かる。
『こちらの武装が一切効かないのよ!』
美鈴の苛立ちを含む声。
乱暴に通信機を掴んだロアンは、格納庫へ繋がるスイッチを押すのももどかしく叫んだ。
「整備班、誰でもいいから確認しろ! 俺の機体は使えるな!?」
美鈴には及ばないが、彼もまた卓越した操縦技術を持つパイロットだ。
彼の愛機は『VX-5F型』だ。旧式だが、美鈴の『VX-4F型』ブレイバーよりも上位に位置する機体である。
そして大戦時、彼はエクレール、『稲妻』という名を持っていたのだ。
「すぐにデッキへ降りる。フライトユニットに強制点火しておいてくれ! ライフルだけ装備できればいい。急げ!」
しかし今、彼がゆりかごから飛び出したとて、ゆりかごから遠く離れた場所で戦う二人の窮地を救う事が出来るのだろうか。
『……よく聞いてくれ、ロアン』
「リスティ、どうしたっ!?」
歯噛みするロアンの行動を制するように、スピーカーからリスティの苦しげな声が漏れ出る。
『今交戦している機体が襲って来たら、ゆりかごは為す術もなく壊滅してしまうだろう。やはり出力が足りない。設計段階での見積りが甘かったんだ、新型機では『VX型』の後継を担えない……』
突然、スピーカーから大きなノイズが響く。劣勢を挽回できる状況にはないようだ。
「その話は後でいい、撤退だ! 二人とも逃げろ、早く逃げるんだ!」
『でも声が聞こえるんだ。ミュルフラウゼの……。そうだ、俺の妹の想いは、まだあの世界にあるんだ!』
「……妹だって? どうしたんだ、リスティ。お前は何を言っているんだ!?」
これまでリスティに妹がいるなどと聞いたことがない。
苦しさに喘ぐようなリスティの声に、ロアンは思わず息をのんだ。
「分かった。いくらでも聞いてやる、一緒に考えよう。だから、だからすぐに帰って来い!」
なんとか無事に逃げおおせてくれ、窮地に追い込まれた二人から遠く離れたロアンにはそう願う事しかできない。
しかし――。
『しっかりして! リスティ!』
スピーカーを震わせる、美鈴の悲痛な叫び声が響いた。
「美鈴、リスティに何かあったのか!? どうしたんだ、美鈴!」
美鈴はロアンの呼びかけに答えない。新型機がダメージを受け続けているのか、スピーカーのノイズが酷くなってゆく。
「くそっ! すぐに出るぞ。ウェスタ、後を頼んだ」
いても立ってもいられないロアンが、とうとう発令所を飛び出そうとした時。
『ロアン!』
ノイズに掻き消されるような美鈴の声が、ロアンを呼び止めた。
『飛鈴を、飛鈴をお願いっ!』
美鈴の悲痛な叫び声を最後に、通信は途絶えた。
「……おい美鈴、どうした!?」
ノイズさえも途絶え、沈黙するスピーカーから答えは返って来ない。
「リスティ、美鈴! 二人とも返事をしてくれ!」
「……し、信号消失、美鈴機の反応が途絶えました」
「そんな馬鹿な! おいリスティ、美鈴!」
オペレーターの震える声に、ロアンは声の限りに叫ぶ。
「返事をしろ!」
その叫びは重苦しい空気に支配された発令所へ虚しく響いた。
☆★☆
そして――。
誰もがあの日を忘れられずにいた。
強く吹き付ける風は、あの嵐の夜を思い起こさせる。
リスティと美鈴の名が刻まれた冷たい墓標の前に、ロアンはただじっと佇んでいた。
咥え煙草をふかし、鬱陶しい前髪を掻きあげると彼の沈痛な表情が現れた。
「馬鹿野郎、ひとり娘を悲しませやがって」
苦悶のうめきのように掠れた声を絞り出した。やるせなさが胸を締め付ける。
「なぁ二人とも、どこにいるんだよ」
ロアンは吹き付ける海風に問いかける。
激しい嵐が去った後、すぐに大規模な救助隊が編成された。
救助隊が戦闘が行われた海域に到着したとき、隊員達はみな驚愕した。海の底からは、敵機と思われる機体の残骸が発見されたのだ。
すべての敵機を撃破したのなら、二人は無事であるだろうと。
そう一縷の望みを掛け、人も機材も大量投入してリスティと美鈴の捜索が昼夜を問わず幾日も続けられた。
しかし装甲の破片と武装の一部が発見されたが、新型機の中枢を構成する機関部やコクピット等はいくら捜索しても発見することが出来なかった。
周辺海域には島もなく、とうとう二人の行方は分からずじまいだった。
「お前達が死んだなんて、俺は絶対に信じない。信じられるか」
悔しさとやるせなさで震える手の指先で煙草の火を揉み消し、踵を返したロアンは『ゆりかご』の静かな街並みを見渡せる丘に佇む墓に背を向けた。
「帰ってこいよ、俺はいつまでも待ってるからな」
ロアンのつぶやきを強い海風が攫って行く。
――それから十数年の歳月が流れた。