Second Flight/Sheen005〈所属不明機〉
唸りを上げるフライトユニットの翼が、猛威を振るう嵐を切り裂く。
リスティと美鈴は凄まじい暴風雨の中、救難信号が発せられた海域を目指して飛行していた。
行く手を阻むように、荒れ狂う風が牙を向いて新型機の装甲へと喰らいつく。
モニターに映る眼下に広がる海は闇へと溶け込んでいて視認することは出来ないが、大時化であることが容易に予想できる。
「あなたが座るシートは、やっぱり私の後ろなのね」
美鈴は簡易シートに座るリスティへ向かって言った。新型機は本来、単座の機体である。
リスティが同乗するために、補助シートを取り付けたのだ。
「ブレイバーもそうだったね」
「懐かしいわ、あの頃が」
「うん、まだそんなに時が経った訳ではないのに」
リスティと美鈴は、二人で戦火が荒れ狂う荒んだ大地を旅したのだ。
命懸けの旅路を忘れることなど、どうしてできるだろう。
悲しみや苦しみなど、様々な感情を伴うその記憶は、生々しくリスティの記憶に残ったままだ。
「それにしても、ひどい嵐」
リスティと話をしながらも美鈴の操縦は確かだ。激しい嵐を目の当たりにしても、黒曜石の瞳からは恐れなど微塵も感じられない。
「飛鈴は、ぐずっていないかしら。チェイニーのお店で預かって貰えばよかったかも」
「チェイニーは朝に店の仕込みがあるから、夜は早く休むだろう」
リスティの友人である料理上手で気立ての良いチェイニーは、ゆりかごでレストランを開いている。
彼女の話によれば、まだまだレストランと呼べるほどではないらしい。しかし、ゆくゆくは大きな店にしていきたいと夢を抱いている。
気立てが良く優しいチェイニーに、幼い飛鈴も懐いているのだ。
「皆がいてくれるから飛鈴は大丈夫だよ……。僕達は救難信号を追っているんだ、今はそのことだけを考えよう」
「そうね、ごめんなさい」
素直に返事をした美鈴は表情をあらため、グローブの具合を確かめ操縦桿を握り直す。
黒曜石を思わせる瞳が忙しなく動き、次々とモニターに映し出される情報を読み取っていく。
「よほど大きな船でもない限り、私達だけでも救助が可能かもしれない」
「目的の海域はすぐそこだ。船の大きさも分からないから、レーダーの反応に注意しよう」
「了解」
美鈴の返事に頷いたリスティは、新型機に装備した救助用キットの展開準備を始める。
「飛行高度に問題はなし」
モニターに映し出される景色に注意を払いながら、レーダーの感度を調整していた美鈴は突然、肌が粟立つような感覚に襲われた。
「この感じは……」
それは死と隣合わせの戦場に身をおいていた美鈴の体に染み付いた予感めいたもの。
同時に、レーダーに灯る幾つもの光点が現れる。
美鈴は咄嗟に操縦桿を倒した。新型機はシールドを前面に構えて急降下する。
次の瞬間、闇を灼く幾筋もの火線が次々と機体を掠めた。
「美鈴、どうしたんだ!」
「熱源を感知、発砲された!」
狙いを定められぬよう機体を上下に揺さぶる美鈴は、データを検索して眉根を寄せた。
「セラフィムじゃない……未確認機? 既知の機体ではないみたいね。でも新型機なんて可能性があるの?」
「新型機なんて、そんな馬鹿な。改造されているだけの旧型機じゃないのか? ゆりかご以外は、みんな旧型の居住コアだ。新型の人型装甲兵器の開発能力があるなんて、現状ではとても考えられない」
モニターに表示される情報を確認しようと、リスティが身を乗り出した。
「単機かどうかが知りたい、反応は幾つある?」
「五つ、いえ六つですって!?」
レーダーに映る光点に驚いた美鈴は、機体に急制動を掛ける。
「ここで戦闘を行えば、遭難船を巻き込んでしまう。美鈴、未確認機から距離を取るんだ……わぶっ!」
つんのめったリスティが、美鈴のシートへ強かに顔をぶつける。
「リスティ、ちゃんと座っていなさい!」
「何だ、頭が……」
頭を強く打ってしまったのだろうか、視点が定まらず意識が朦朧とする。リスティは頭を抱えて呻き声を上げた。
「大丈夫なの? ちゃんと座っていないから!」
美鈴の声が遠くに聞こえている。
頭を打ったからではない。リスティの意識を揺さぶるのは、あたたかく懐かしい声だ。
「こ、この声は?」
苦しげな吐息とともに絞り出した問い掛けに、またもや頭痛が激しくなる。
「お兄様……だって? 僕が? 君はいったい誰なんだ」
自分自身のあやふやな過去の記憶、その輪郭がはっきりと浮かび上がる。まるで、意識が遠い彼方に引き摺られるようだ。
リスティの耳朶を打つ声は懐かしく、切ない感情が心の奥底から溢れ出してくる。
「ミュルフラウゼ……。ミュルフラウゼ!」
リスティにとって、それは決して忘れられない少女の名前だ。
あの日、『破壊神エスペランゼ』との最終決戦において。
ミュルフラウゼは、データの集積体である彼女は自らの使命を全うして消えてしまったはずだ。
しかし。
「ミュルフラウゼ、何を言っているんだ。リスティアード? 違う、僕の名前はリスティだ。リスティ・マフィンだ!」
自分の名前を口にしただけなのに。強烈な違和感を感じたリスティは、癇癪を起こしたように両手で金髪を搔きむしった。
「言われなくたって分かっている、分かっているさ。リスティアードは俺の名前だ、忘れるはずがない。そうだ。俺にはまだやらなければならない事がある」
目の奥が焼けるように痛む、歯の根が合わない。口からこぼれ出るのは、自分ではない誰かの声音だ。
リスティはもはや自我を保っていられる自信がない。
「僕は……。いや、俺はっ!」
抑えられない苛立ちに固く目を閉じたリスティは、震える両肩を抱いてもがき苦しむ。
「リスティ、何を言っているの? しっかりしなさい!」
「……め、美鈴、君は敵機から注意を逸らさないでくれ。僕は大丈夫、大丈夫だから」
「でも、あなた!」
歯噛みする美鈴の左手指先が、それでもコンソール上を軽やかに踊る。
「現時刻をもって未確認機を敵勢力と認定。主装備のセーフティを全て解除。少しの間我慢していて、すぐに全機撃墜してゆりかごへ帰投する!」
新型機はシールドを前面に押し立てて加速する、美鈴の操縦に対する反応は優秀だ。
だがかつて彼女の愛機であったブレイバーほどの弾けるような加速力を感じない。体が伝え寄越すその感覚の違いに焦れながらも、美鈴はモニター上で目まぐるしく動くライフルの照準を目で追う。
「照明弾!」
新型機の背部に装備されたユニットから打ち出された、幾筋もの頼りない火線が弾けた途端。闇を喰らう巨大な光球が虚空に現れた。
モニター越しに広がる光に瞬きもせぬ美鈴は、黒曜石の瞳に敵機の姿を焼き付ける。
「リスティ、敵機の姿は見えた?」
「ああ、見えたよ。あれは……」
眉間に深い皺を刻み苦しげに背を波打たせるリスティが、掠れた声を絞り出す。
「まるで鎧を纏う騎士だ」
閃光弾の光によって剥ぎ取られた闇から浮かび上がった敵機……それは。
白銀の鎧を纏う騎士の姿をしていた。
「騎士の姿をした者が、闇夜に乗じて不意討ちなんて卑怯な真似を!」
美鈴の指がトリガーをひと擦りした。
「まずは一機!」
敵影への照準と同時に、新型機が構えたライフルの銃口が瞬いた。
美鈴の正確な射撃は狙い違わず、放たれた光弾は緩慢な動きで避けようともしない鎧姿の装甲兵へ吸い込まれたように見えた。
「ライフルが通用しない!?」
美鈴が驚愕に目を見開く。
鎧姿の装甲兵は、美鈴が放った必中の一撃をあっさりと弾いたのだ。
たて続けにライフルを斉射するが、鎧姿の装甲兵は避けようともしない。
「嵐のせいで照準が乱れたっていうの?」
「美鈴、君の射撃に狂いはない。あの敵機の装甲が、鎧が頑強なんだ」
リスティは手の甲で額に滲んだ脂汗を拭う。それでも翠色の瞳はモニターから離れない、冷静に敵機の性能を分析している。
そうだ。白銀の鎧を纏う奴等は避ける必要などないのだ。
「鎧が特殊な形状をしているのか、それともコーティングされているのか。いや、装甲素材の性能か」
「そんな機体が存在するなんて」
距離を詰めようとする敵機から逃れるように、美鈴は高度を上げる。
「六機か、包囲される訳にはいかない」
美鈴は機体をシールドに隠すようにして反撃の機会をうかがう。
散開した鎧を纏う装甲兵は、それぞれに長大な剣を引抜いた。
それは禍々しい光を放つ凶器だ。
「速い!」
突進して来る敵機が、あっという間に距離を詰めて来た。
懐深くにさし込まれ、敵機が大剣を握った腕を閃かせた次の瞬間、新型機が掲げたシールドごと左腕が切断された。
「なんて威力っ!?」
機体を襲った強い衝撃に、顔をしかめる美鈴が驚愕した。
片腕になってしまっては、予備の弾倉交換もままならない。
美鈴は躊躇いなくライフルを投げ捨てると、接近戦用のブレードを抜き放つ。
鎧姿の装甲兵は、包囲の輪をじわじわと狭めてくる。明確な殺意が美鈴を追い詰める。
「ロアン! 聞こえている?」
美鈴は、ゆりかごへ連絡をするために通信機の感度を上げた。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
この〈所属不明機〉のエピソードでは、美鈴とリスティ、そして彼らが背負ってきた「過去」が再び動き出すきっかけを描きました。
リスティの中に眠る「リスティアード」としての記憶。
そして、かつて消えたはずの少女・ミュルフラウゼの声。
過去と現在が重なり、物語は次なる局面へと踏み込んでいきます。
また、敵として立ちはだかる“白銀の騎士たち”。
彼らの登場により、ゆりかごの世界に新たな脅威が差し込んできます。
美鈴の強さと、リスティの心の揺れが交錯する今回。
嵐の中で交わされた言葉、飛び交う火線、その一つ一つが次への布石です。
ここから、物語はさらに加速していきます。
次回もお付き合いいただけましたら幸いです。