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【アップ】2025年3月2日主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782


【カクヨム】

https://kakuyomu.jp/my/works


【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/live/r7iP6_t-zr8


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12889290429.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)



讃美歌~♪


十字架のもとぞ~讃美歌262番~

https://www.youtube.com/watch?v=KHYE0f99u10


1) 十字架の(もと)ぞ いと安けき

   神の義と愛の あえるところ

   嵐吹くときの (いわお)(かげ)

   荒野(あれの)の中なる 我が隠れ家


2) 十字架の上に 我は仰ぐ

   我がため悩める 神の御子(みこ)

   (たえ)にも(とうと)き 神の愛よ

   底いも知られぬ 人の罪よ


3) 十字架の陰に 我は立ちて

   御顔(みかお)の光を 絶えず求めん

   この世の物みな 消ゆるときも

   (くす)しく輝く その光を


讃美歌268番(歌詞付)54年版「まごころもて」

https://www.youtube.com/watch?v=v_DJSrsqh4w


1

まごころもて 仰まつらん、

世のため

のろいの木に つきたまいし

すくいのぬし、わが主よ。

2

わがつみとが けがれもみな

あらいて、

今よりのち きみのものと

なさせたまえ、わが主よ。

3

いとゆたけき めぐみをもて

ひえたる

わがこころに きよけき火を

もやしたまえ、わが主よ。

4

死のかわなみ うちよすとも、

やすけく

み手によりて あまつ岸に

着かせたまえ、わが主よ。



2025年3月2日 礼拝説教 聖書箇所


キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。

ローマの信徒への手紙10章4節


わたしは正義を測り縄とし 恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし 水は隠れがを押し流す。

イザヤ書28章17節


はじめに

主の受難を覚える、わたしたちの祈りは、何に基づいているか改めて吟味したい。

1

「では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました」との言葉の背景にあることは、使徒パウロ自身の祈り。それは、「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(9章2節以下)と伝える程に、同胞「イスラエル」とは何か、との強い思いから出たもの。「神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのもの」「先祖たちも彼らのもの」「肉によればキリストも彼らから出た」と伝えられるように、十字架と復活、昇天の主イエス・キリストにおいて説き明かされる、ほんとうの「義(神の信実)」。事実「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられた」(4章25節)。それは、「信仰による義」という結果を見たもの。「しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考え(追い求めた)たからです」。「神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされた」(4章13節)ゆえに、イスラエルとは、アブラハムの義と同じ、本来なら、先に、信仰による義を認め得る者たち。

「彼らはつまずきの石につまずいた」。「『見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない』(イザヤ28章16節)と書いてあるとおりです。」実に、イスラエルのつまずきをも、預言の実現であった。しかし、預言は、「しんじる者は、失望することがない」とも告げる。パウロの聖句引用は文字どおりではなく、同じく主の言葉「つまずきの石」「妨げの岩」(8章14節)を、ここに読み取って置き換える。パウロの心にはある祈りは、「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。(なぜなら)わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識エピグノーシスに基づくものではありません(ないのですから)」との、一つの根拠のある祈りに向かう。「正しい認識」とは、神を「認めることを正しい(とする)」(1章28節[口語訳])、罪の「自覚」(3章20節)と訳される言葉。それは、本来ならば、生けるまことの神の言葉の全体に耳を傾けるものでありながら、人間の教えとして規律化される中で、命のない、むなしいものと化し、「正しい認識」の欠如を見た。

「なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。」「正しい認識」が、事実上、否定されるとき、「自分の義」を求める。それは、「神の義」に対する不服従。「(なぜなら)キリストは律法の目標(終わり、成就)であります(から)、信じる者すべてに義をもたらすために。」わたしたちは、ここに、キリストご自身の従順がもたらした道は、神の義を満たすただ一つの従順であり、律法の完全な結果を見ます。それは、永遠の御子がまことの人となられたゆえの従順であり、十字架の死に至る苦しみの道において証しされたもの。実に、イエス・キリストの名は「主は我らの救い」と呼ばれる名。

おわりに

真の預言者イザヤの告げるキリストは、神の「公平」と「正義」を基準とする。今日、わたしたちの祈りはどこに向かっているのか。自分の義か、キリストの義か。いずれか。



二〇二五年三月二日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

※本日は聖餐式の日である。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「どうして、イエス・キリストは、人間になられたのですか。」

「私達の身代わりに私の為です。」

山上の垂訓が引用された。「心の貧しい人達は、幸いである…」から始まる箇所である(参照の事)。

あなたは心の貧しい人だろうか?貧しい人とは、神様に全ての事を祈り求める人である。各自がこの世に生かされながら、常に自分に問う必要がある。他人を裁かず、その同じで裁きで先に自分を裁く事、そして救いを神様に祈り求める事。これは大事に在る。

(公同礼拝)

『ローマ人への手紙』(第九章三〇〜第一〇章四節)

『イザヤ書』(第二八章一四〜一八節)

この両箇所では、いつの現代をも生きる(生かされる)人々にとって、神様の正義を常に求めるか、人間が生み出した人の間だけに通用する正義を求めるか、この二択が問われる。

「我々は死と契約を為し、陰府よみと協定を結んだ。漲り溢れる災いの過ぎる時にも、それは我々に来ない。我々は嘘を避け所と為し、偽りを以て身を隠したからである。」

それ故、しゅなる神はこう言われる、

「見よ、私はシオンに一つの石を据えて基とした。これは試みを経た石、堅く据えた尊い隅の石である。『信ずる者は慌てる事は無い』。私は公平を、測り縄とし、正義を、下げ振りとする。雹は偽りの避け所を滅ぼし、水は隠れ場を押し倒す」。その時あなた方が死と立てた契約は取り消され、陰府と結んだ協定は行われない。漲り溢れる災いの過ぎる時、あなた方はこれによって打ち倒される。

(『イザヤ書』第二八章一五〜一八節)

『ローマ人への手紙』に在る「義」とは、神様が人に教えた正義のである。しかし人々は自分達が作り上げた律法のみに従い、信仰に依らず、行動による達成にのみ価値を置いたので、信仰から離れ、イスラエルは、義の律法を求めた。故に神様の義(真実の正義)に達しなかった。

「信仰に依らないで、行いによって得られるかの様に、追い求めたからである。」(『ローマ人への手紙』第九章三二節)

そしてその箇所の後に「彼らは、躓きの石に躓いたのである」と在り、この事が「人が陥り易い信仰に於ける躓き」であると分かる。

イエス様の時を思い起こし、他の預言者やパウロの時でも、彼らを本気で執拗に糾弾し、捕え、葬ったのは、当時に於いて信仰に厚いとされたクリスチャンであった。異邦人ノンクリスチャンの方が信仰にストレートに入れる・その信仰に依る喜びを心身を以て捉え躍る程に喜ぶと言われ、クリスチャンの場合はその生活の長さ故か慣れて居り、その上でまた自分の正義(解釈や経験を含)を打ち立て素直な喜びを覆い、自分(自我)が信仰・宗教の上に立つ事がある。この事は甚だ多くあり、これ迄の人の歴史に何度も繰り返し見られた。これが躓きに在る。異邦人は「義」を求めずして、逆にその「義」を得たと言う。

どれだけ、神様が初めに人に教えた信仰に素直に歩めるか?…これが問われる。人が持つ信仰はこれだけで良い。神様が初めに人に教えた信仰、それに人の解釈や都合で余計な物事・規約を付けず、生粋・純粋の儘、神様から直接その信仰(正義)を受け入れ、それを守る事が大事になる。この正義とは聖書に在る神様から人に与えられた御言葉、イエス様を通して人に教えた御言葉、内容、十戒、使徒信条、主の祈りに在る。そこに在る内容だけを素直に受け入れ、信仰の糧にする事が全ての人に求められ、その内容を守る努力が必要になる。

当時の「イスラエルに対する認識」とは、『ローマ人への手紙』(第九章一節〜五節)に記される。

「彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられる事も、栄光も、諸々の契約も、律法を授けられる事も、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、また父祖達も彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上に居ます神は、永遠にほむべきかな、アァメン」

と在り、イスラエルがとても立派に見える。だからこそイスラエルの人々は当時から「自分達は選ばれた民族であり特別だ」とし、その点で躓く契機を自ずと得て居たかも知れない。これは人の躓きに在り、神様がイエス様を通して人に教えた正義と違う。遜りが大事に在り、「隣人を愛せよ」と人に教えたイエス様の御言葉に真実が在り、山上の垂訓に救いと真実が在る。ゆっくりと、神様とイエス様と共に、兄弟姉妹共が歩めます様に。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw


「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは」

https://www.youtube.com/watch?v=lbm8N7ZZRMY


スペシャルWEB配信 無観客ライフ・ライン、世の光のつどい

https://www.youtube.com/watch?v=WtWo_wXvLAI


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)



少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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