梵の過去
「取りあえずここから離れよう。奴が戻ってこないとも限らん」
「オーケー。じゃあ拠点に移動するのね」
アンサーとつき合いの長いメリーは携帯電話による転移を使用した。
一体何処に移動したのかと周囲を見渡した梵の眼に薄汚れた壁が映った。窓から見える景色は見覚えがある。小学校の頃に通った通学ルートの一つである。そしてそこには建物全体が苔むして暗い雰囲気を醸し出しているお化け団地があると有名だった。梵は内部に入ったことはなかったが、視界に入る壁の汚れがいつも外から見ていた団地の汚れと符合し、自分がお化け団地の中にいることを察した。怪人アンサーの拠点の一つらしい。
普段なら怖気づくところだが、身体の痛みが恐怖を紛らわせた。未だに胃腸の辺りがずきずきと痛み、心臓の脈拍が高い。
「ハァハァ……まだ、痛む、みたい」
「アンサー、何とかしてあげて。痛みに苦しむ女の子の顔は興奮しないのよね」
「お前、俺を便利ツールと思ってないか?」
「あら、私の転移能力をタクシー代わりに使う貴方には言われたくないわねぇ」
確かにと自嘲したアンサーは外套を翻すと梵の体に残る呪力をその中に封じ込めた。
黒いオーラを取り払われた梵は血色がよくなっていく。五分も経つ頃には呼吸も整い、脈拍も安定し、普通に話せるようになった。ネット伝承でしか知らなかったコトリバコの恐ろしさを身を持って体感した梵は怖気を感じていた。
「助けてくれてありがと。二人が来てくれなかったらどうなっていたか。――でも、どうしてここが分かったの? 私の携帯電源きれていたのに」
「こまめに充電しておけ。おかげで探すのに苦労した。最初は近くの神社に向かったのかとあたりをつけて足を運んだんだ。だが巫女がやられていてな。別の場所に逃げたのかと思った」
「神社? 私達は行ってないけれど?」
「ムクロちゃんが一人で来たみたいよ」
メリーに言われて最初にムクロと出会った時のことを思いだした。そういえば彼女は最初お祓いのできる霊能者を探している風だった。きっと自分達と出会う前に神社を頼ったのだろう。神社の巫女も適わない相手だからこそ必死に逃げていたのかもしれない。
「神社にいないとなると、人気の多い場所を目指したのかと思った。だが闇雲に探すには範囲が広いからな。もしかしたら携帯が使えないお前が公衆電話を探しているのかと推理したんだ」
(公衆電話の近くにいたのは偶然だけど……)
「何か所かあったけど、一番女の子の悲鳴の気配を感じたのは公園近くだったってわけ」
「嘘をつくなメリー。見繕った公衆電話は使用中か故障中で使えないものばかりだっただろう。残り二箇所を俺とお前でかけ続けたんじゃないか」
二人共随分苦労して助けに来てくれたらしい。二人の怪異が真夜中に電話ボックスでコールし続けるシュールな姿を想像して吹きだしそうになった。
「笑うなよ。和んでもいられないぞ。あの怪異はまだ生きてるんだからな」
「え? 二人にやられたんじゃないの?」
「いや、最初に足止めした時もそうだった。手ごたえを感じない。恐らく奴の本体である心臓部は別の場所にあるのだろう。弱点を突かないと消せない怪異はいくらでもいる」
「確かに……神出鬼没で不気味ね。コトリバコの怪異」
殺せない上にどこからでも現れる、さらに女子供の臓器を壊す兵器を持っているのだから始末に負えない。殆ど言葉を話さず敵意だけ向けてきて交渉の余地などない。まるで通り魔だ。
「コトリバコの怪異……名前がないと不便だな。固有名詞をつけておきたい」
「和風箱入り娘ってのはどうかしらぁ?」
「却下だ。寧ろ箱を出してきてるだろうが」
「じゃあアンサーが考えなさいよぉ。名前つけるの下手な癖に! この前、捨て犬に三毛ゴラス三世って付けてたの知ってるんだからぁ!」
メリーに指摘されたアンサーは珍しく赤面してのけ反った。
「ネコ? 怪獣? 犬の名前なのになんでそうーなったの? 三世って何?」
「答えがないものに答えをつけるのが苦手なだけだ!」
完璧な答えを見つける怪異らしい理由だった。メリーもアンサーも代案がないらしい。梵はこれまでのキーワードから相応しい名称を模索する。
「――ムクロちゃんっを狙っているコトリバコの怪異……だから棺っていうのは?」
「ふむ、躯を収める棺か。悪くはない。判別名としてヤツを【棺】と呼ぶことにしよう」
ネーミングセンスを疑われたくないアンサーは無理やり梵の発案に乗っかったことでコトリバコの怪異の固有名称は【棺】と決定された。
「じゃあムクロちゃんを探そうよ! こうしている間にも棺に狙われてるのかも!」
行き違いになってしまったが自分を気遣ってアンサー達を探しに行ったムクロの安否が気になっていたのだ。だが二人の怪異は複雑な表情を作り、顔を見合わせている。
「それなんだけどね、アンサーが話を整理したいって」
「思うことがあってな。ムクロと逃げてきたときの行動、話した言葉を教えてくれ。それが不死身の棺を打倒する突破口になるかもしれない」
「そっか。このまま正面突破してもまた逃げられたら厄介だもんね」
梵はムクロと逃げたルートや辿り着いたコンビニ、そこで購入したもの、話した月雲学園の失踪事件などを全て包み隠さずアンサーに伝えた。話している間、彼は情報を聞き漏らさないように真剣な目で相槌を打っていた。ある程度証言をメモしたアンサーは顔を上げた。
「ムクロには話を聞く必要がありそうだな」
「ええ。月雲学園の怪談禁止令が出るに至った事件について聞かないと」
「――っていうかこんなに缶詰とか携帯食料とか山に引きこもるつもりかしら?」
「長期戦になるかもってムクロちゃんが備えたの。食料ばっかりで他に必要なもの全然買ってなかったから私が籠に入れたんだけどね」
自嘲気味に自分が買ったものをメリーに見せる。彼女はなぜかアンサーに見えないように目隠ししながら「それは確かに必要かも」と同意していた。
「わざわざ俺に隠さなくとも」
「乙女の秘密よ。怪人と言えど、男子は自嘲しなさい」
それから女子の苦労話で盛り上がる。手持無沙汰になったアンサーは棚にある実益書籍に目を通し始めた。元々夜逃げ同然で消えた古本屋などからいただいたものだが推理小説から専門書籍まで幅広く網羅されており、良い暇つぶしにはなっていた。
パラパラと本をめくっていると、梵が近くに立つ気配を感じた。
「へー、ここが怪人アンサーの知識の庭というわけね。質問者に応えられるようにいじらしく読書に励んでいるんだ?」
「ゴホン、知識の研鑽と言え。人間社会は移り変わりが早すぎるからな。こうして知識の吸収をしなければすぐに時代遅れになりかねない」
「ショックだなー。天下の怪人がそんなアナログ形式だったなんて。もっとオカルト的な力で答えを言い当てているのかと……」
「だったら、コトリバコのように呪術を振りまけば満足か?」
梵は目に見えて気落ちする。先程の恐怖が蘇ったらしく胃の辺りをさすり始めた。
我ながら意地悪なことを言ったなと自嘲したアンサーは誤魔化すように言った。
「心配するな。お前の体は予約済みだからな。きっちり債権実行までは守ってやる」
あまりに自然に肩を抱かれて囁かれたものだから梵は赤面してしまう。つり橋効果だと自分に言い聞かせるも頭が沸騰して何も答えられない。
「卑猥ねぇ。JK相手に身体は予約済みって暗がりに連れ込んで何をするつもりかしら」
「変な意味じゃねーよ! 臓器を頂くという意味であって!」
必死に取り繕うアンサーは同級生に揶揄われる男子高校生に見えた。怪異であるはずの二人のやり取りに思わず苦笑してしまう。しかし、気を許そうとすると人間相手に眼球を奪った光景を思い起こしてしまう。あの冷徹無情な猟奇的怪人の顔を――。
(どっちが本当の彼なのかな……)
「おい、梵。スマホが落ちてるぞ。充電している暇もないがちゃんと持っておけ」
アンサーは黒いメモ帳型のケースに包まれたソレを拾って彼女の元に駆け寄る。ぶら下がったキーホルダーはお化けを模したキャラクターらしいがとても可愛くない。少なくとも女子高生には似つかわしくなかった。
「そのキーホルダーお前の趣味か?」
「あ、コレは唯がくれたやつだよ。オカルト好きだからってプレゼントされて」
「唯? 消された学校の友達か?」
「うん。私と違って怪異否定派なんだけどね。なぜか馬が合ってずっと一緒にいたんだ」
スマホケースを開くと、唯と思われる少女と並んで撮影したプリクラ写真が張られていた。快活そうな少女である。
「こいつは儀式で俺を呼び出した十人の一人か?」
「ううん、唯は真っ先にいなくなっちゃったから、電話をしたのは他の九人とで――」
――刹那、梵は体に激痛を感じた。
コトリバコが近くにある時に感じる臓器を蝕まれる痛みだ。周囲を見回してみるが棺の姿は見当らない。扉の前にも窓にも天井からも怪しい和服の怪異を視認することはできなかった。
(一体どこに……?)
縋るように掴んだアンサーの外套から着物の袖が覗きこむ。その見覚えのある彼岸花があしらわれた着物は棺のものだ。味方の懐から現れた手は梵を掴もうと物色する。
指先が触れた脇腹の内部、腸の辺りに張りで刺すような痛みを感じた。
「棺? どうしてアンサーの外套から!」
「まさか、あの三つのコトリバコか!」
瑠美奈とその友人から合計三つのコトリバコを回収していた。外套に収めたそれは既に呪力は封じられていると考えていたが、単に気配を消していただけらしい。これではGPSをつけられているようなものである。コトリバコを起点に棺もまた転移が可能らしい。
自身の外套から転げ落ちた【肆】【伍】【陸】と書かれた箱を睨み付けるアンサーは憤っていた。彼が奪うはずの臓器を侵していくコトリバコには敵意しかなかった。
「俺の予約品を壊しやがって! 刻んでやる!」
メスと鋏を投擲し、棺が身に纏う着物ごと刺して磔状態にしてしまう。彼女が呪いの箱を解放する前に箱を鋏の刃で貫いた。呪箱から這い出ようとする胎児は穿たれ身動きが取れず蠢いている。形勢不利と見たのか棺はパシャッと黒い雫となって地面に滴り落ちた。
「逃げたようねぇ。もう気配を感じないわ。三つのコトリバコは取られちゃったけど」
「すまない。今回は俺のミスだ。無力化したと思った箱を使われるとは。まだ痛むか?」
「大丈夫。棺が消えてから少し楽になったよ。しばらく動けそうにないけど」
「この拠点も棺をどうにかするまで使えないからな、俺が背中を貸そう」
逞しく大きな背中は普通の人間と変わらない温もりがあった。彼女が自分に掴まったのを確認したアンサーはメリーの携帯電話で瞬間移動する。
彼女は特定の電話番号に電話し、相手が出た瞬間、その近くに転移する。今度の特異点にされたのは深夜に煙草を買いに自販機まで歩いてきた青年である。
「もしもし、私メリー」の電話で始まり、悪戯だと思って電話をきると背後にドールの少女がいるという様式美。多くの人間がその怪談を認知していても実体験すると違うようで一様に悲鳴を上げて逃げていく。この青年も例外ではなかった。
「やっぱり男の悲鳴は駄目ねぇ。色気がないわ」
相変わらずブレないメリーの姿勢に梵は苦笑してしまう。
怪異に襲われたばかりなのに怪異に気を許し、自身の背中で笑う少女にアンサーは興味を持った。純粋に知識欲の塊の性だったのだろう。気が付いたら疑問をそのまま口に出していた。
「お前は怪異が怖くないのか?」
「どうしたの急に?」
「誤魔化さなくていい。草部の眼球を奪った時、お前は俺に恐怖心を抱いていたはずだ」
「……気づいていたんだ。流石は物知りの怪異だね。私の心中まで言い当てるなんて」
「あのときは俺への恐れを感じた。だが、それでもお前は表面上普通に俺と接している。時には笑顔さえ見せている。学校の友人は未知の怪異に消され、呼び出した俺に身体を狙われ、棺に臓器を侵されている。普通なら怪異を嫌って当然だ。どうしてそんな風に振舞えるんだ?」
梵が怪談好きなのは初対面で分かっていた。しかし、同じように怪談が好きな人間は過去にも沢山いた。彼らは皆、自分が怪異に傷つけられると手の平を返してその存在に怯え出した。だから梵が怪異の危険を知って尚、共にいる理由に興味が湧いたのだ。
「――そうだね。怪異は怖くないって言ったら嘘になるし、人間なら大嫌いになってると思う」
「では、なぜ俺たちを拒まないんだ? 友人達を助けるための打算か?」
同伴する理由としては十分だろう。未知の怪奇現象に対抗するならその道のプロか同じ怪異に助力を求めるのは当然だ。現に救いを求めて彼女はアンサーを呼び出した。しかし、それだけではないと直感があった。梵も当たり前の回答は求めていないだろうと察して自身の心中を吐露した。
「私はさ、小さい頃身体が弱くて、友達がいなかったんだ。何度も入退院を繰り返して、私にとっての世界は、真っ白い天井の狭い病室だけだった」
「意外ねぇ。今では活発で友達多いみたいなのに」
アンサーは目を丸くする。怪異に命を狙われても平静を装える豪胆さを見せる少女が咳き込んで床に伏せっている姿は想像できなかった。コトリバコの強襲を受けても徐々に回復してきている程体力もあるのに元々病弱だとは思えなかった。
「死にかけだった私の友達になってくれたのが怪異達だったんだ。彼らは学校にも行けない私に色んなことを教えてくれたの。病室から別の世界へ連れて行ってもらったこともあったよ」
彼らとのコミュニケーションは同年代の子供達が学ぶ以上のことを教えてくれた。強面の怪異とも接していたおかげで不良のような人間にも物怖じしなくなった。異世界を冒険したことで度胸もついた。幼い梵にとって怪異が見せてくれる世界は輝いて見えた。
「――とっても楽しかった。でも徐々に彼らの姿が見えなくなっちゃった」
「死が常に隣にあったから怪異・幽霊の類がよく見えたのだろう」
「……そうみたい。私が退院する頃には完全に見えなくなっちゃった。でもおかげで友達との接し方も学べたし、世界への希望を抱けた。家族も友達も夢を見たんだって言うけれど、怪異と過ごした思い出は確かに私の胸に残ってる」
奇跡的に回復した梵は、病み上がりとは思えない程活発な少女になり、すぐに友達をつくっていった。病室の外の世界は怪異が見せてくれた世界とは違ったがそれなりに楽しかった。しかし、科学で定義された世界に対して徐々に窮屈さを感じるようになった。だからこそ、霊感を失っても彼らとの再会を夢見てオカルトに傾倒するようになったのだ。
「彼らは私に世界を教えてくれた。だから好き。嫌いになったりしないよ」
語る彼女は純粋で活き活きとしていた。怪異を愛しているかが言葉や口調から分かる。嘘偽りない回答であることはハッキリ伝わってきた。