怪異と人の恐怖
『もしもし。わたし、メリー。今調査を終えたんだけど、信じられないことが分かったのぉ。亜理紗って子は存在したし、自殺を図ったのは事実なんだけど、彼女、まだ生きてるわよ?』
「え? そんなはずないよ! 現に今、ありさが近くに現れたんだよ!?」
『それこそ信じられないわぁ。だって彼女に会ったんですものぉ。証拠に写メ送るわねぇ』
通話がきれるのに遅れて今度はメールの受信音が鳴った。送信者がメリーであることを確認してメールを見ると、先程玄関映像で見た少女を幾分か成長させた高校生くらいの子が怯えているが画像が添付されていた。近くでメリーが恍惚の笑みを浮かべている。
「また女の子を脅かして楽しんでるのかな。でも、亜理紗が生きているのは本当みたい」
「じゃあ私達が見たのは何なの? はっきり見たし声も聞いたわ!」
檜村の言う通りだ。目で見て耳で聞いたことを否定することはできない。その事実があるからすぐに逃げだすことができないのだ。そしてそんな状況を嘲笑うかのように廊下からコツコツと足音が聞こえてくる。何者かがすぐ傍に迫っていた。
ガチャガチャガチャとドアを回す音とノックする音が聞こえてくる。
思わず二人で抱き合って「キャー」と悲鳴を上げるが、ドアの前から聞こえてきたのはよく知る男の声だった。
「檜村、大丈夫か? やっぱり心配になって来たんだ」
ドアを開けると、やはりそこにいたのはありさではなく草部だった。残業中に急いで来たのかノートパソコンと携帯電話を担いでいる。安心した檜村は彼の胸の中でわんわん泣きだしてた。梵も腰が抜けて尻もちをついてしまった。
「先輩、怖かったですぅ……ひっく……」
「大丈夫。今夜は俺も一緒にいるから」
ひとしきり泣いた檜村は泣きつかれたのか眠ってしまった。そんな彼女を草部はベッドに寝かしつける。
大人の男性が現れたことで梵は冷静さを取り戻した。自殺は未遂であり、亜里沙という子は生きている。怪異であるアンサーと接してきたことで怪異が不可思議を起こすのが当然であると考えすぎていた。きっとあれは恐怖が見せた幻覚と幻聴だったのだろう。
(そう、全部が怪異のせいとは限らないんだ)
もしかしたら、あのメールもよくできた悪戯かもしれない。いずれにしても亜理紗が生存していて草部が檜村を守っている以上、自分にできることは何もない、そう判断した梵は彼らに一礼して部屋を出ることにした。
「女の子の夜道の一人歩きは危ないよ? 今日は泊まっていきなよ」
突然草部に肩を掴まれる。
「え? 大丈夫ですよ? 研究室の仲間がいますし」
「危ないのは人間だけじゃない。〝ありさ〟が来るかもしれないよ」
草部の忠告と同時に梵の携帯にメールが入る。送信者はアンサーでもメリーでもなかった。送信者は今日まで檜村を苦しめていたあの怪異だった。
『そよぎちゃん、わたし、ありさ。おともだちになりましょうよ』
恐ろしさのあまり携帯を落としてしまう。ついにありさが自分を標的に変えたのだ。噂の本人が生きているか死んでいるかは関係ない。「ありさ」という女の子が自殺してトモダチを探しているという都市伝説が語られたことで怪異は生まれてしまったのだ。
落とした携帯の画面を確認した草部は「ほら、きちゃったよ」と携帯を差しだしてきた。その表情からは初対面の柔和な好青年の印象が微塵も感じられなかった。
あの少女が近くに迫っている問い恐怖が自分に向いたとき、梵は震えが止まらなくなった。そんな女子高生の胸や腰回りに視線を移した草部は舌なめずりをした。
「キミも俺が守ってあげるからね」
「その必要はない。梵を狙うのも守るのも俺の専売特許だ」
二人の間に突如アンサーが割って入ってきた。彼は檜村の住所を知らないはずだ。知っていたとしてもメリーの能力に便乗せずに梵の近くに転移できるとは思わなかった。草部も突然現れたアンサーに目を丸くしている。
「おや、大学生君? どこから入ったんだ?」
「質問に答えよう。俺は印をつけた携帯が機能している間はその近くに転移できるんだ」
アンサーは梵の電話を指さした。その画面には『A』という文字が浮かび上がっていた。これを目印に転移したらしい。
「梵、お前が俺に電話をかけたときから俺との間には契約関係が結ばれている。俺の回答を正しいと証明し、お前の体の一部を奪うまではこの契約は有効だ」
「何を訳の分からないことを! お前は関係者に聞きこみに行っていたはずだ」
「その質問にも答えよう。俺は全ての関係者に話を聞いた。職場の人間にも、失踪した女性達が通った心療内科、入院した精神病院にもな。その結果、被害者達にはある共通点があることが分かったんだ」
怪人アンサーは聞き手が興味を惹くようにあえて一拍置いた。彼が「体の一部を奪う」と脅せば話を聞いていた人間達は怯えて真実を話したのだろう。もしくは舌先三寸で丸め込んだのかもしれない。いずれにしても多くの証言を集めた怪人はある一つの答えを導き出していた。
「さて次は俺からの質問だ。草部伸介、お前が〝ありさ〟だな?」
梵が驚いて草部を注視する。彼は「ちがう、出鱈目を言うな」とあくまで全否定した。
「不正解。ではお前がありさであることを証明してやろう。まずは被害者の共通点。全てが若い女性であり、お前の指導下に入った後輩達だ」
後輩に親身になっているとは聞いていたが、全てが直属の部下になっていたとは思わなかった。関連性を避けるために敢えて言及していなかったのかもしれない。
「それだけで俺を疑うのか?」
「勿論、これはお前に疑心を抱いた切っ掛けに過ぎない。次におかしいと思ったことはありさに脅迫された社員たちの秘密さ」
「脅迫だと? 相手が幽霊なら全部御見通しでも不思議じゃねーだろ。犯人はありさだ」
「本当にすべての秘密を知られていたらな。彼らの秘密は社内に限ったことだ。学生時代の苛めや万引き等については一切言及されていない。だから俺は内部犯と仮定した。内部の人間なら違法行為も知る機会があるだろうからな」
「あくまで内部犯の可能性を示すだけだろ! 俺が犯人だと決めつける証拠にならない!」
草部はあくまで自身の関与を否定している。アンサーの話をすべて事実だとすると確かに彼が怪しいが、決定的な証拠にはならなかった。あくまで余裕を崩さない草部にアンサーは追及の仕方を変えることにしたようだ。
「俺は当時の被害者周りを探った。精神病院に入院した女性も、心療内科を受診して引きこもっていた二人目も担当医に聞いたよ。彼女達の隣にはいつもお前がいたようだな」
心療内科には関係者として、精神病院には面会と言って何度も足を運んでいたという供述は簡単に出てきた。何度も同じ顔を見れば病院関係者にも顔を覚えられるだろう。
「どうして? 親身になってるなら良い人なんじゃ――」
「甘いな、梵。草部の目的は女そのものだ」
そこまで話すとアンサーは自分の推理で事件の全容をまとめた。
「まず、お前はその観察力から情報を収集した。社員の違法行為や元テナントの学習塾生徒のことなんかをな。会社に貢献した実績があれば簡単に仕入れられただろう。それで〝ありさ〟の怪談をでっちあげ、標的にした女性にメールを送る。元プログラマーのアンタなら遠隔操作で別のアドレスからメールを送るなんて簡単だったんじゃないか?」
標的を怖がらせて孤立させる。助けようとした他の社員は同じように〝ありさ〟から脅迫すればいい。被害者はお前に頼らざるを得なくなる。その状況つくり、自分に依存させることこそ彼の狙いだとアンサーは語った。
「憶測で物を言うな! 俺がやった証拠があるのか!」
「その手に持っているパソコンとスマホを調べればありさのメールが見つかるはずだ」
「プライバシーの侵害だ! どうしても調べるなら令状を持ってこい!」
草部は往生際が悪かった。こういうときの人権意識は物事を進めることの障害になりかねない。時間稼ぎしている間にパソコンから全ての履歴を削除し処分するつもりだろう。
「でも、怪異についてでっち上げたなら何で私達の話に乗ってきたの?」
「それは三人目の標的、「檜村詩織」の恐怖の演出に怪異を調べる俺達を利用できると思ったからだ。怪異が実在するならばすぐに自分に依存するだろうと。ところが俺達がすぐに調査を始めたから、嘘がばれないかと焦ったんだ」
追い詰められた草部は自身が所持するスマホやパソコンを床に叩きつけた破壊し始めた。一心不乱に電子機器を壁や床に叩きつける様は狂気そのものだった。これで証拠は残るまいと記憶媒体であるデータそのものを壊してしまった。
「調べたいなら調べればいい! 好きなだけこの残骸からな!」
「生憎だが、別にそれが決定的な証拠だと言った覚えはないぞ」
虚を突かれて言葉を失う彼に向かってアンサーはレシートを見せてきた。それは草部伸介がよく利用する近所の薬局のものだった。
「名刺と一緒に俺に渡してしまったのは失敗だったな。購入品は目薬、スポーツドリンク、化粧品、そして女性用下着」
アンサーが読みあげる内容を聞いた梵はすぐに矛盾点に気づいた。目薬やスポーツドリンクはともかく、一人暮らしの男性が化粧品や女性用下着を買う必要はない。それが必要になるのは女性の家族が同居している場合に限られる。
「まさか、行方不明の被害者は……」
「そうだよ、精神的に監禁されている。直接草部の家に尋ねたが見事に居留守を使われてしまった。だからお前と同じ手で彼女らを連れ出したよ。〝メール〟でな」
アンサーのスマホの画面には『わたし、ありさ。草部さんのおうちに遊びにきたわ』という送信済みメッセージが表示されていた。
「錯乱状態になった二人は家から飛び出してきたよ。親御さんに保護されたところまでは確認済みだ。偽りの怪異〝ありさ〟。お前の物語はここまでだ」
そこまで指摘すると、草部は隠し持っていたスタンガンを取りだして逆上した。威嚇のためか数度の発電を見せてくる。耳障りなバチバチという音が不気味に部屋に響く。おそらく今寝ている檜村もこのスタンガンで意識を奪われたのだろう。
「――よくも! よくも俺の楽園を壊しやがってぇ! ハーレムを築くのにどれだけの労力を費やしたか、俺をご主人様だとしつけるのにどれだけ時間がかかったか!」
「お前の都合など知らん。だがお前は俺の質問に答えられなかった。今罰を与える」
スタンガン片手に襲い掛かってきた草部の大降りを馬鹿にしたように躱したアンサーは外套の影から無数の手術道具を展開した。驚く草部の見開いた瞳に向かってメスと鋏が向けられる。梵は最後まで見ることはできずに目を閉じた。
しかし、草部の激痛に悶える悲鳴が狛句を震わせた。
「不正解の代償に『欲を写す眼球』を頂戴した」
「あぁぁああああ! 目が眼が俺の眼がぁあああ! 見えない! 何も見えなぁあいぃ!」
「女を品定めする眼、他者を揺する機会を伺う眼。そんなものはいらないだろう」
視力を失い悶える男には目もくれずに、不気味な笑みを浮かべながらカプセルに眼球を納めるアンサー。それはとても猟奇的な光景だった。
草部は眼球のない瞼で睨むと「警察を呼んでやる!」と叫び、手で探りながら部屋から逃げていった。彼の残した血痕を見た梵は心中穏やかではなかった。
(わたしもいつか……こんな風に……)
少しの間頼もしいと思っていたアンサーに対して恐怖心が芽生えた。だが怪異の問題を解決するには彼の力に頼るしかない。宿った恐怖を悟られないように隠してアンサーに話しかけた。
「……これからどうするの?」
「次の手掛かりを探すさ。それにお前も事件解決を望んでいるだろう?」
「それはそうだけど、この事件の後始末とか」
「血痕は拭き取っておこう。逃げた男の後始末は……俺達がするまでもないだろう」
アンサーは何かを知っているようだったが、敢えて言葉を濁していた。
逃げる草部は失明のため満足に歩くこともままならなかった。今まで当然見えていた世界が真っ暗になってしまったのだ。方向感覚を掴むことも難しく、まして電話をかけることもできなかった。彼は一階にすら降りられていなかった。
「くそっ! 頭のおかしい犯罪者め! 通報してやる! がっぽり慰謝料をとって……あぁくそ! 何も見えねー! 目が痛ぇよ!」
「ねぇ、あなた、どうしたの? おめめがないの?」
背後から小学生くらいの少女の声が聞こえる。だが今は子供に構っている暇はない。激情している草部は心配するその小さな手を振りほどいて怒鳴りつけた。
「見て分かんねーのかクソガキ! どっか行くか、親でも呼んで来い! テメェに構ってる暇はねーんだよ!」
「おはなしできないの? ありさ、ムシされるのが一番キライ」
草部が背後に手の感触を感じて「え?」と声を上げたときには、自分の体は宙に浮いていた。そこから先は重力に従って落ちていくだけである。
「うわぁあああああ! なんで!? 〝ありさ〟は俺の作り話だったはず―――」
最後まで言い終わる前に彼の身体が地面に接触し、グシャリと音を立てた。
血だまりの中央には手足が降り曲がった男の死体が横たわっていた。