ありさ
見渡してみると、やはり人間すべてが消えた訳ではないらしい。酔っ払って千鳥足で帰る親父や近くのコンビニでたむろするガラの悪そうな男達、独り言を呟く変な青年、ベンチで話すカップルらしき若い男女等を見つけることができた。
「人間もヤバそうなのばかり……まともな人はカップルさんかな?」
消去法で選んだ二人に声をかけてみることにした。連れの怪人アンサーは外見的には人間と大差ない。メリーも球体関節はゴスロリ服に隠れているので西洋人で通る容姿である。友人だと言い張れば何とかなる組み合わせだった。
二人に近づくにつれて彼らの関係が見えてきた。カップルではなく、会社の上司部下の関係らしい。次の企画についてや仕様書の改善点、会社の愚痴等を話し合っている。
「あの、夜分にすみません」
彼らはいきなり声をかけてきたためか怪訝そうに見つめてくる。まず話す内容を決めてから声をかけるべきだったと梵は自分の計画性の無さを後悔した。いきなり学校の人間が消えたから何か知らないか、と尋ねても精神科の受診を勧められるだけだ。単刀直入に怪異の存在について聞いても怪しい奴としか思われない。話の切り口を見失っていた。
そんな中、意外にも助け船を出してくれたのは自分の体を狙うアンサーだった。
「失礼。私は、民俗学を研究する大学生でして。普段は郷土史を調べる程度なのですが、今年は留学生のメリーと来年推薦入学が決まっている子がいるので課外活動をしているのです」
制服に身を包む梵や外国人にしか見えないメリーとの関係をそれらしくでっち上げてしまった。メリーはよく見れば球体関節など人形といえる特徴があるはずだが暗示が効いているようだ。あまりに自然に自己紹介したアンサーの印象は良く、警戒心は解かれたようだ。
「なるほど。それで大学生の子が俺達に何か用?」
「今、地方の伝承を調べているのですよ。地元のお二方は何かご存じないかと思いましてね。どんな些細なことでも結構ですよ」
「最近は『カミウツシ』って伝承を見つけたわ。何か知っているかしらぁ?」
電話業務を天職としている人間はコミュニケーション能力が高い。的確な窓口に繋ぐ対応、客のクレームを押さえる話術、自社商品を売り込む営業力。それらは重宝される能力だ。そして怪異の世界でもそれは同じだ。電話を通じて多くの人間と関わってきた二人の怪異は相手の信頼を勝ち取り、自分のペースに乗せて情報を上手く引きだしてしまった。三十代の男性は草部伸介、二十代の女性は檜村詩織という名前で二人共システム開発の企業で働いているらしい。
「凄い、会話の掴みも完璧。人間として生きていけるレベルじゃない……」
会話は二人に任せて注意深く耳を傾ける。
「やっぱりカミウツシっていうのは知らないわね」
「そーだねー。地方の伝説とかは詳しくないけど、俺らの会社に怪談っぽい話ならあるよ? っていうか現在進行形で被害者が出てるんだけどね」
草部がそう言って檜村を見ると、彼女は悲しそうに顔を伏せた。
「お聞きしましょう」
彼らの会社では新規システム開発のために企画とプログラマーがチームを組んで作業しているらしい。中でも元プログラマーの草部は企画職とプログラマーとの橋渡しで多くのプロジェクトを成功に導いてきたため、ベンチャー企業でも急成長していった。これだけ聞けば、景気の良いお話だが、会社は大きな問題を抱えていたらしい。
「わたし、新入社員で経験を積むために今のプロジェクトに入ったのですが、一年くらいして変なメールが入ったんです」
内容はよくある迷惑メールのようだった。その時は気にせず削除したが、次の日はまた別のメールアドレスから一文だけのメールが届いていた。
『どうして最後まで読まずに削除するの?』
檜村は背筋に冷たいものを感じてまたメールを削除した。たまたま偶然が重なっただけだろうと自分に言い聞かせていた。
次の出社日、メールボックスを開いた彼女は思わず声を上げてしまった。
『わたしのことキライなの? メールが苦手なのかな? じゃあ今度返信がなかったら貴女のおうちに会いに行くね、ひむらしおりさん』
そう書かれた文面の最後には檜村の現住所が記載されていたのだ。自分は見張られていると感じた檜村は相手を刺激しないように会社のメールから返信できなかった謝罪と相手の正体を探るメールを返信した。すると、メールはすぐに返ってきた。
それは謎の送信者からではなく、メールが届かない旨を記したエラーメールだった。メールのアカウントやメールアドレスが存在しないときに大元から送信されるお知らせメールである。電話で言えば「この電話番号は現在使われておりません」と同義である。
「私は確かにエラーメールを受け取った。でもね、次の日にまたメールが届いたの」
『やっと返信してくれたね。わたしはありさ。オトモダチになろうね』
それから彼女の日常生活を監視しているかのような詳細な状況を羅列するメールが毎日届くようになったのだ。恐怖を感じた彼女はそこでやっと会社の同僚や先輩達に相談することにした。はじめは冗談だと笑っていた同僚達もメールの内容が檜村の近状を的確に言い当てているということや返信ができないという点から正体が掴めなかった。
「それだけじゃない。俺は彼女より前から会社にいるが、数年に一回似たようなことが起こるんだ。謎のメールが来る。檜村は三人目なんだ」
「え? その、前にメールを受け取った二人はどうなったのですか?」
「一人は心を病んで精神病院に入院、二人目は家に引きこもるようになった。そして最後は二人共、行方不明だよ」
聞き入っていたアンサーは眉をピクリと動かした。行方不明という現象を引き起こす怪異なら学校消失事件に関わっているかもしれないのだ。『カミウツシ』と違って実害も出ているというのだからこちらも容疑者候補だろう。
「また新しい怪異か。メリー、どう思う?」
「昔から不幸の手紙みたいな手紙を利用した怪異は存在するからねぇ。電子メールとして現代版にアレンジされたのかもぉ。会いに来るというのは私やアンサーと同じねぇ」
二人が気になったのは怪異の出自である。一体どこから語られたのか。『カミウツシ』のようにネット掲示板発祥だとすればそこに解決策が記載されているのかもしれなかった。尋ねてみると、草部がメモ帳を取りだして説明してくれた。
「俺が調べた限りだとうちの会社が入る前のテナントは子供向けのパソコン教室だったらしくてね。学習が遅れて周囲に馴染めなかった女の子がいたらしい。次第に周りに疎外されて最後は自殺したそうだ。その子の名前が〝ありさ〟っていうんだ」
後輩のために調べて周ったらしい。彼のメモ帳にはそれらの情報が事細かに記載されていた。場所と名前が一致している点から無関係とは思えない。
「えーっと、お祓いはされたのですか?」
「草部先輩に勧められてお寺にも神社にも行ったわ。でも効果はなかった」
その後も怪異とのメールのやり取りは続いているらしい。返信しなければ家に来るかもしれない恐怖から文通を続けるしかなかった。ただ、メールの内容が相変わらず檜村の近状を監視するものなので精神が摩耗していた。声をかける前に仕事の話をしていたのは怪異の存在を忘れさせるためだったのかもしれない。梵は怪異の実害を受けている人だとは知らずに声をかけてしまったことを自省した。
「すみません、嫌なことを思いださせてしまって。他の人からも話を聞きたいのですが」
「それが、ある日から皆わたしを避けるようになってしまって」
「急に檜村に他人行儀になったり、仕事辞めちまったりしてるんだよ。訳を聞いても教えてくれなくて……。だから仕事の話とかメールの件の相談の相手はもっぱら俺って訳」
「立派な先輩ですね」
「いや、俺は二人会社を辞めるまで何もできなかったから。三人目は何としても守ってやりたいんだよ。せっかく仕事も覚えてきたし」
失踪者が出ているという点は学校消失事件と同じである。それに仮に学校消失事件に無関係だったとしても放置して置くことはできなかった。怪異に狙われる恐怖を知っている梵はとても他人事には思えなかったのだ。
「アンサー、調べてみようよ。被害者の二人は消されているし関係あるかも」
「他に手掛かりもないし……な。俺は他人行儀になった仕事仲間にあたってみよう」
「じゃあ私は元パソコン教室の先生とか生徒に電話をかけてみるわぁ。そのありさって子の好みとか分かれば霊として成仏できるかもしれないしぃ」
役割分担が決まったところで梵は自身が何もできていないことに気が付いた。アンサーは檜村達から聞いた仕事仲間の連絡先をメモし、メリーは旧学習塾の関係者を探すための聞き込みから始めている。積極性のある怪異達はこういうとき羨ましいと感じてしまう。アンサーかメリーに同行しようかと思ったが、却って二人の足を引っ張ってしまいそうだ。
自分の行動について悩んでいると、アンサーの手が肩に置かれた。
「お前は被害者についていればいい。被害者から情報を得るのも立派な仕事だ。そうでなくとも人間は誰かが隣にいることで安心するものだ」
彼なりに励ましてくれているようだ。確かに今の檜村は虚勢を張っているが精神的に追い込まれている。自分としてもできることがあるのかもしれない。梵は自分を狙う怪異から不器用な優しさを感じ取った。調査に動こうとしたアンサーに草部が紙切れを手渡した。
「俺の名刺を渡しておくよ。草部から話を聞いたって言えば聞きやすいだろう?」
「ありがとうございます。おや、なにか別の紙がついてますよ?」
「あぁ、最近ドラッグストアで貰ったレシートだな。悪いけどついでに処分しておいて」
「分かりました。名刺の方はありがたく頂戴します」
交渉の結果、梵は檜村の家にお邪魔することになった。草部も同性の方が安心できるだろうということで互いに緊急時の連絡先だけ交換して別れることになった。
檜村の家は女性用のデザイナーズマンションだった。お金に限界のある新社会人として非常に豪華な部屋である。正面玄関はオートロックとセキュリティは完備で、部屋のインターホンはカメラ付なので誰が来たかははっきりわかる。他の住民も帰って来ているようで両隣りの部屋には電気がついていた。
「すごいですね……こんな素敵な家に住んでるなんて」
「あなたこそ、まだ高校生なのに推薦入学決定済みで大学生と一緒に課外活動なんて凄いわ。私が現役JKの頃なんて遊ぶことしか頭になかったもん」
(しまった……そういう設定だったっけ)
雄弁は銀、沈黙は金という諺の通り、余計なことを言ってボロを出さないように自身の身分に関する話題は極力逸らすように決めた。重要なのは彼女を狙う怪異の方である。
「檜村さん、霊に狙われる心当たりはないですか? 例えばアリサちゃんに同情しちゃったとか。些細なことで霊は執着するって言いますよ?」
檜村は首を横に振った。本当に心当たりがないらしい。草部の話では他の被害者達も特にありさという人物に接点を持った過去はないそうだ。
「そうなると、ありさという怪異は通り魔のように人を襲うということになりますね」
「冗談じゃないわ。私が何をしたって言うのよ」
(気持ちは分かります。アクサラさんに狙われた時に同じことを思いました)
それから年の近い女性同士で気を許したのか、檜村は自身の隠された感情を吐露する。軽い気持ちで削除したメールから執着されて心細かったこと。初めは協力的だった会社のチームメンバーがよそよそしくなってしまったこと。今は親身になってくれている草部もいずれは巻き添えを恐れて自分から離れてしまうかもしれないと恐れていること。
梵は嗚咽する彼女の背中をさすってやり、聞き役に徹していた。
「ありがと、梵ちゃん。久しぶりに同性の子と話せて安心したみたい。私の方がお姉さんなのにカッコ悪いところ見せちゃったかな」
「いえいえ、わたしも似たようなものですよ」
そのとき檜村の携帯が鳴った。着信ではなくメールのようだ。昨今はアカウントを作ったサイトからも定期メールが来る世の中なので檜村は警戒せずにスマートフォンを確認する。
『どうして返事をくれないの? 今から行くから』
その文面を見た檜村は恐怖のあまり携帯を壁に投げつけた。いつも会社のパソコンにしかメールが来ないため携帯電話に受信されるとは思わなかったのだ。不意を突かれた膝を抱えて錯乱状態に陥っている。遅れて彼女のメール内容を確認した梵も戦慄した。
「毎日メールを返してるって言ってたのに、どうして訪問してくるの!?」
突如彼女の携帯に入ったメールに梵も驚いたが、やや遅れて文面の内容を改めて推理した。『返事をくれない』ことに怪異は怒っている。いつもは会社のパソコンに入るメールが携帯電話にまで送られた。怪異がメールを送る機種ではなく、目標の人間を見定めているのだとしたら。梵が自身の考えを裏付けるために部屋を見渡すと、ノートパソコンを見つけることができた。急いで電源をつけてみる。
幸いパスワードは掛かっていなかったようで、すぐに起動させることができた。当然確認するのはネットニュースや話題の動画ではない。彼女のメールボックスだ。
「やっぱり!」
そこには『返事をちょうだい』『どうして反応してくれないの?』『無視されるのが一番キライ!』『いつもいつも貴女とのメールを楽しみにしていたのに!』等々、受信フォルダいっぱいになるまで「ありさ」からのメッセージが届いていた。
「ありさはノートパソコンに送られたメールに返信がなかったから怒ったんです」
「そんな、家のメールなんて一々チェックしてないわ」
集団ヒステリーになりかねないタイミングで今度は梵の携帯にメールが入った。
まさか次は自分がターゲットにされたのかと思い、メールフォルダをチェックする。
こんなに緊張感のあるメール開封は生まれて初めてのことだった。
「差出人は……なんだアンサーかぁ」
それは怪人アンサーからの調査経過報告だった。
『檜村詩織から離れた人間について聞き込みをした結果、彼らは一様に〝ありさ〟から脅迫されていたことがわかった。会社での横領、交通費の水増し請求、裏金入社、社内不倫などでだ。人によって秘密は違うが、みんな〝ありさ〟から暴露を仄めかされて手を引いたらしい』
全ての答えを知る怪異と言われるアンサーだからこそ、彼らの秘密が真実だと分かったようだ。もしかしたら交渉材料にも使ったのかもしれない。容易にその姿が想像できる。
アンサーから関係者に送られてきたメールが転送されてきた。どれも子ども口調であるが、明らかに脅迫文だった。そしてそれぞれのメールには「お姉ちゃんの友達はわたしだけでいいの」と独占欲に塗れた言葉で締めくくられていた。
子どもだと油断していたが、無邪気に独り占めを狙う危険な怪異らしい。
とにかく「ありさ」が来訪する前にアンサー達と合流しようと梵達は玄関に向かう。
ちょうどそのとき、『ピンポーン』とインターホンが鳴った。
カメラを確認してみると、少し背伸びした格好の小学生が映っていた。正面玄関から呼び出しボタンを押しているようだ。檜村に確認するが、彼女は首をぶんぶんと横に振る。親戚の女の子が会いに来る予定などはなく、また知っている子でもないらしい。怯える彼女に代わって梵が出てみた。友達の家を間違えた近所の子かもしれない、と淡い希望を抱きながら。
「はい、えーっと檜村ですけど」
『ありさだけど……あなた、お姉ちゃんじゃないよね?』
怖気が背筋を撫でる。彼女は〝ありさ〟であり、正確に自分達の状況を知っている。
周囲に馴染めないというからもっと目立たない大人しい子だと思ったが、まるで小学生ギャルのようだ。しかし、そのギャップが殊更に恐怖心を刺激した。今までメールだけだった存在がすぐ近くに来ているという事実に心臓の鼓動が加速した。焦った梵は通話を切ってしまうが、すぐに後悔する。相手は無視されることを最も嫌うのだ。
「どどど、どうしよう!」
焦る梵に過呼吸になってしまう檜村。正面玄関に来ている以上、今逃げても鉢合わせてしまう可能性がある。
万事休すかと思われた時、携帯電話が鳴った。メールではなく着信である。