破戒の奸計④
「なんだと!」
逃げてきた経緯とさっき聞いたばかりの徳妃の話を白狼がざっと説明するやいなや、銀月は卓を叩いて立ち上がった。
「それは本当なのか、白狼。徳妃の出自を偽装するだけでなく、宦官として男が入宮しあまつさえ妃嬪に子を産ませるなど……」
「どういう経緯で検査を潜り抜けたのかは知らねえ。きっと孫って家が裏に手回ししたんだろうさ」
「……そうと分かると、父上も検査体制の不具合をご存知だったのかもしれんな。だからこそ手を付けた妃嬪や女官にお手持ちの証を授けていたのか」
「それも完全な証拠になるわけじゃねえってことだ。まったくつくづく欠陥だらけだぜ、後宮ってとこは」
「ああ……。それで生まれた御子、いや、子は……」
「産後すぐから数日見てたが、お前や皇帝にはあんまり似てないってことは言えるな。生まれたばっかりってところを差し引いても、目が細くてどっちかって言えば柏に似てる。柏も自分の子だって確信してるらしい」
だからこそ徳妃はもう騙し通せないと思ったのだろう。
「妃嬪の出自は古来より様々ございました。年頃の姫君がいない貴族が養女をとって入宮させることも少なくありませんし、下女が御手付きとなって妃嬪になることもございます。しかし、まさか徳妃様が白狼の姉であったとは」
後宮の事情に詳しく冷静な翠明も驚きを隠せないようだった。中位以下の妃嬪に農村出の娘はいるものの、まさか四夫人の一画に出自を偽ったものが座っているとは思いもよらなかったのだろう。
礼儀やら作法やらにうるさい上級階級も、裏を見れば適当なものだと呆れるばかりだ。
「良いのか、白狼。これが明らかになれば、お前の姉は……」
「……分かってる。でもそれはもう仕方ない。徳妃が自分でそうするっていってんだから俺には止められねえし、止める義理もねぇ。あいつの覚悟を無駄にするのだけは嫌だってだけだな」
「……そうか」
しかししんみりとしている暇はない。
「あと、柏だけじゃなく徳妃もお前が男だって察してた。男御子が生まれたから、邪魔になったお前を輿入れ前に殺す算段が付いてるって話だ」
「だろうな」
「どういう命令で動くかは分からねえし、柏が死んでその命令がどうなるかもわからねぇ」
「時がないな」
「ってことでとりあえず入れ替わるぞ。黒花さん、着替え手伝って」
え、と銀月は言葉を飲んだ。全く暢気な事だ。既に徳妃の子が生まれて数日経過している。柏の「算段」が分からない以上、対策は急を要するのだ。ついでに白狼の思いついた策を実行するには、これからずっと銀月は宦官として下男のふりをしていたほうが都合がいい。
白狼は構わずその場で永和宮の侍女の衣を脱ぎ始めた。とはいえ上着と帯を取れば下に着ているのは女物の中衣と裳なので、あとは適当に銀月の着物を羽織れば良い。
「え、じゃねえよ。いつ何時刺客が来るか分かんねえだろ。おまけにお前、酷い顔だし、どっちにしろ病弱だが花のように美しいとか言われてる帝姫に見えねえよ」
「そうですね、それがよろしいかと」
白狼の意を汲んだ黒花が同意する。そしててきぱきと銀月の衣装を剥がすと、その後は翠明が引き受けた。
「姫様、ここは白狼の言う通りになさいませ」
「いや、しかしそれでは白狼の身が」
「つべこべ言わない」
年季の入った侍女がぴしゃりと言い放つともう銀月は口を噤むしかない。しぶしぶと言った風に宦官の衣に腕を通した帝姫は、あっという間に化粧を落とされ髪も結い直された。
白狼の方は黒花に改めて化粧を施され、仕上げに左の目元に泣き黒子を入れてもらう。これで一応は入れ替わりが完成だ。今夜刺客が放たれたとしても、少なくとも一回は銀月を守ることができるだろう。
あとは白狼の部屋に置きっぱなしの宝玉の話を、と思ったときだった。
「姫様!」
二人の着替えで食事どころではなくなっている居間に、今度は周が飛び込んできた。いつもであればもう少し節度を弁えている護衛宦官が息せき切ってくるのも珍しい。どうした、と銀月が問えば、周は荒い息を整える間もなく宮の表を指さした。
「火事です! 西の方角から火の手が上がっております。おそらく、後宮内のどこぞの宮より出火しているもの」
「なんだと!」
西って、と口を開きかけた白狼はそのまま動きを止めた。
後宮に来てから、南北はおろか東西などほとんど気に留めていなかったが、この承乾宮から西の方には永和宮があったことを思い出したのだ。別れ際に見た徳妃の覚悟を秘めた表情が蘇る。
窓から出てくる直前、彼女は気丈にも笑顔を見せていた。想像の中でその姿が炎に包まれていく。
柏を止めることはできたのだろうか。
親切にしてくれた侍女や、小月をはじめとする下女たちは無事だろうか。
生まれたばかりの赤子――白狼にとっての甥はどうなったのだろう。
永和宮でかかわった者たちの顔が脳裏をかすめ、そして消えていった。そして最後にまた徳妃の姿が浮かび上がる。
その姿は徳妃の衣を着ていない、村にいたころのただの明玲だった。
「……徳妃……明玲……ねえちゃん」
今生の別れと思って逃げ出してきたというのに、その決意が揺らいだ。ふらりと白狼の身体が前方へ倒れる。銀月はそれを無言で抱き留め、二人はわずかに紅く染まった西の空を見やった。




