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月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~  作者: 葵一樹
妃嬪の徴証

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後門の狼①

 かくして、皇帝が来る前にと翠明が紅花を叩き起こして選択させたところによると、彼女の言い分は「皇帝に懐妊を明かす」というところに落ち着いた。


 翠明に詰められたときはあれほど拒んでいた紅花だったが、帝姫の宮に匿われていること、侍女頭の翠明に知られてしまったこと、少し横になって休んで余裕ができたことなどから、多少はすっきりして踏ん切りがついたらしい。

 あれほど悩んだのが馬鹿馬鹿しいほど簡単に皇帝へ知らせるという結果になり、白狼自身は腑に落ちない気分ではあったが仕方ない。選択したのは彼女であり、この先は彼女の運命である。


「皇帝陛下の御成りです」


 先触れが来て半刻後、侍女頭の翠明が告げると宮の者は正房にて平伏した。


 ★ ★ ★ ★ ★


「ま、まことか!」

「誠でございます、父上。懐妊した侍女の名は紅花。曹婕妤の宮に仕える者で、翠明によると実家の品も曹家の血縁で悪くないということです」


 おお、と皇帝の顔色が変わる。手を付けた女が悉く姿を消すことを知っていたのか、にわかには信じられない様子だったが次第にその表情が明るくなっていった。

 紅花は未だに承乾宮の側座房の一室で休ませているが、それを伏せた説明を行った銀月は父に向って頭を下げた。帝姫の後ろに控える白狼もそれに倣う。


「おめでとうございます、父上」

「お、おお……」

「かくなる上は、朱 紅花を妃嬪に召し上げ宮をお与え下さいますようお願い申し上げます」


 早急に。

 そう銀月が付け加えると、皇帝の顔が翳る。宮を与えるということは皇后にこの事態を知られるということに気が付いたのだろう。即答できず、ううんと苦し気に唸る様子でもそれが分かった。


「取り急ぎ、主席宦官の昌健殿とご相談なさって、朱氏を充媛あたりに据えるのが良いかと思いますが」

「……そ、そうじゃな。……しかし、その、皇后が何と言うか……証しも持っていないというし、その朱なる娘との件は房事の記録にも……その」

「分かっております。記録については仕方ありません。どこでかは存じませんが、父上が気まぐれにお手を付けたのでしょうから」


 歯切れの悪い皇帝を銀月が斬って捨てる。


「い、いや、曹婕妤のな、あの宮には数度行ったことがあるのだ。その記録は残っていよう。しかし毎回曹婕妤は気分がすぐれぬと言って、朱がもてなしてくれて……」

「記録上は曹婕妤となっているということですね」

「そうだ……」

「ではそれを昌健殿と李尚宮に包み隠さずお伝えください。証しについては改めて紅花に与えればよいでしょう」

「ああ、なるほど……しかし、皇后の悋気がなぁ……こっそり後宮から出すわけにはいかんかなあ」

「下手に宮の外に出したほうが問題になりますよ。彼女も妃嬪になることを希望しています」


 うーんうーんとなおも渋る皇帝は、顎から伸びる髭を指先で弄んだ。撫でつけるでもなく、梳くわけでもない。手悪戯の類なのだろう。くるくると無造作にねじれた髭の先は、なんとも威厳に欠ける。

 優柔不断ではっきりしない、女であれば妃嬪あろうと侍女だろうと別に構わず手を出すおっさん。

 これじゃただの好色爺だ、と白狼は白けた気持ちでそれを見ていた。はっきりしない様子を続ける皇帝に、苛立った表情を浮かべない銀月は人間が出来ているのか、それとも諦めているのか。

 しかし実際の所、銀月も相当焦れていたのだろう。何度目かの皇帝の「うーん」が聞こえると、卓を挟んだ皇帝へと身を乗り出した。


「むしろ大々的に公表し、妃嬪に召し上げてください。そうすれば現在父上の悩みの種である件の時間稼ぎになりますよ」


 銀月の言葉に、皇帝がはっとした表情で固まった。


「……そ、そなたの笄礼の儀と輿入れの件……」

「そうです。妃嬪の懐妊と出産が公になれば後宮も、もちろん皇宮もそちらに意識が行きます。重要なのは皇帝の御子が産まれることですから」


 皇后腹でもない、病がちな帝姫の笄礼など必然的に後回しにされるだろう。十五を過ぎても放っておかれたのだ、今更という空気を作ればいい。

 紅花は実家の朱家も、主筋の曹家もそれなりの貴族らしい。銀月の母の実家とは状況が異なる。万が一男御子が産まれたなら、勢力図をひっくり返せなくともちょっと影響力が増すかもしれない。そうすれば混乱が生じ、ますます帝姫から皆の興味が逸れるだろう。

 そうやって時間稼ぎをした後に、銀月自身はどうするか。それはまだ白狼も分からないし、きっと銀月も模索している最中だ。


 白狼は銀月の後ろからその流れるように美しい黒髪を眺めた。

 この少年が自分らしく生きるには、一体どうしたらよいのだろうか。銀月の輿入れに関する話を聞いてから、何度自問したか分からない問いかけをまた頭の中で繰り返す。

 皇子であると今更何の策もなく公表することはできない。後ろ盾もなく、また世間を欺いていたと知られれば母親の実家もろとも処刑の対象になるかもしれない。せめて後ろ盾があればな、と思う。

 いっそ後宮から逃げてどっかで隠れ暮らそうかと提案しようと思ったが、まず後宮から逃げ出すまでが一苦労だ。万が一脱出ができたとしても、一生逃げおおせるものでもないのだろう。

 どこか頼れるところがあればな、と白狼は銀月の後姿を見つめながらそう思った。


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