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月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~  作者: 葵一樹
妃嬪の徴証

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証しの宝玉④

 いよいよ時間がない、と銀月は白狼を含む側近に告げた。


「皇后が主催する笄礼けいれいの宴が行われてしまえば、あとは父上による正式な笄礼けいれいを経て輿入れ先が決められてしまう。その前に父上にこちらにおいでいただこう」


 いつもより早口で話す銀月の態度には、緊張と、やや焦りを感じさせる。白狼はそんな帝姫を冷ややかな目で見つめていた。

 取り急ぎ訪問を願う書状を周が持って出て行くと、侍女たちは迎える支度に入ったようだ。そんなにすぐに来訪があるだろうかと白狼は首を傾げたくなったが、あの小心者の皇帝ならば誘い文句によっては慌ててやってくるのかもしれない。息子や翠明が怒っているとでも伝えれば一発だろう。

 そんなことを考えながら紅花の見張り以外特に仕事がない白狼が手持無沙汰で立っていると、小葉はぱたぱたとお茶の準備を始めたようだ。ふんわりと鼻をくすぐるのは、りんごに似た花の香りだろうか。茶器に注がれた茶は湯気をくゆらせ、室内に爽やかな香りを広げていく。

 心を落ち着かせる茶です、と小葉が銀月に勧めるときちらりと視線がこちらに向けられたことからその魂胆が分かった。

 使者の訪れを知らせたころには既に白狼の頭も冷えており今更喧嘩を吹っ掛けるつもりもないのだが、小葉は小葉なりに気を遣ったのだろう。何も言っていないのに自分の前にも置かれた茶碗がその証拠だ。

 仕方ない、自分の方が年上だし、と白狼は頷いた。ここは年上から折れてやろう。悪いと思っているわけではないけれど、言い過ぎたことは確かである。

 しかしそれはともかくこちらも譲れない線があった。側座房に寝かせている紅花の、吐き疲れてやつれた顔を思い出す。

 白狼は目の前の茶碗を取り、唇を湿らせた。


「……紅花さんに選ばせるぞ」


 白狼がそう言うと、ちょうど茶碗に手を伸ばしかけていた銀月の動きが止まった。


「何を?」


 視線は茶碗に向けられたまま、銀月が口を開く。 


「皇帝に知らせずなんとか人知れず逃げて出産するか、それとも皇帝に知らせて妃嬪になって出産するか、紅花さんに選ばせる」

「堕胎するという手もあるぞ?」

「それも選択肢に入れたっていい」


 きっぱりと言い切ると、銀月はようやく顔を上げて白狼を見た。目はまだ少し怒っているが、困惑に似た表情を浮かべている。


「どういう心境の変化だ。いずれにせよこちらの尻ぬぐいをさせることになるのは変わらんぞ」


 訝しむように首を傾げながら、銀月は茶をすする。ちょっと挑発的な物言いなのは、先ほど白狼が投げつけた暴言に対する意趣返しのようなものだろう。ただいつもよりずっと真剣味がある口調で、そして声音にも棘が残っている。

 俺は、と白狼は口を開いた。


「言い分を曲げてるつもりはねえ。人生をてめえ以外の人間に勝手に決められたくない」

「……知ってる」

「お前が勝手に紅花さんの選択する道を決めることは許したくねえ」


 銀月はゆっくりと茶碗を卓に戻した。


「彼女が選んだ道で、結果的に皇后たちの目くらましになるのは仕方ないと思う。そこでうまくやろうが、死のうがそりゃあの人が自分で選んだ人生だ。けど、お前が、お前の都合に添うように紅花さんに行動させるのは違う」


 そもそも最初に皇帝の誘いに乗った時点で、懐妊の可能性や皇后たちからの攻撃の可能性があることは分かっていたはずだ。それでも乗ったということは、紅花本人にも何かしらの覚悟や淡い期待などがあったのだろう。

 身の危険と、それを乗り越えたときの報酬。秤にかけ、甘い誘惑に乗ったのは彼女である。中位の妃嬪に仕える侍女の身で皇帝の要望は逆らえないという点を考慮したとしても、一瞬でも国母の夢を見ないかと言えばそんなことはないと想像できる。だからこの懐妊は彼女が選んだ結果でもあるのだ。

 ふん、と銀月が鼻を鳴らした。翠明に聞こえたら叱られる仕草だが、幸いにも皇帝を迎える支度で席を外している。腕を組んで白狼を見上げた銀月は唇を尖らせた。


「主に対して許さんとは、小間使いごときが無礼だな」

「無礼だろうがなんだろうが、許したくねえものは許したくねえんだよ」

「紅花に選ばせた結果、主が窮地に陥ってもいいということか?」

「でも、もともとはこの件、お前が知るのはもっと後になってからのはずだ。情報を手に入れて考える時間を確保した俺に感謝するべきところじゃねえ?」

「もとはと言えばお前が彼女の紐帯をスるからこんなことになったんだぞ?」

「それを言ったら俺みたいな小悪党をこんな後宮に連れてくるからじゃねえの?」


 もはや話題は逸れた。そもそもという点を論じ始めたらきりがない。どちらからともなく口を閉ざし、じっと二人はにらみ合った。


「……分かった」


 先に折れたのは銀月だ。尖らせていた唇を緩ませ、目尻を下げる。


「紅花に選ばせよう。私にとっては腹の子はどうあれ、皇后たちの目を逸らせられればいいわけだからな」

「ほんとか!」

「父上にも彼女の意思を尊重してもらえるよう、進言しよう。ただし」

「ただし?」

「紅花が妃嬪となれば後宮はもっと荒れる。反対に逃げると言った場合、脱走までは手を貸せない。後宮からの脱走は死罪だ。その際、彼女を守ってやるなどとは考えるなよ?」


 あくまで選択肢を提示するだけだ、ということだろう。帝姫として譲歩はここまでという線引きだ。その銀月の言葉に白狼はしっかりと頷いた。



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