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月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~  作者: 葵一樹
妃嬪の徴証

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証しの宝玉②

 厄介、と言った銀月に周囲の側近はそっと頷く。白狼の胸がずきりと痛んだ。

 あの日、どうして指が疼くままに彼女から「拝借」をしてしまったのだろう。そして今日、どうしてえんを避けて裏道に行こうとしてしまいそして彼女を宮に入れてしまったのだろう。なにをやってるんだ、とずきずきと痛む胸を押さえ白狼は過去の自分を責めあげる。

 彼女を生かした原因と、そして宮に引き入れた原因、そのどちらもが自分のついついやってしまった行動だ。生きていてよかったと思った瞬間に、彼女が死んでいてくれたほうが今の状況を招かなかったと思ってしまったことも胸の痛みを加速させた。

 皆、言葉にはしないがおそらく自分を責める気持ちがあるだろう。そう思うと白狼はますます身を縮めるしかない。

 ひたすら項垂れる白狼、卓上の宝玉を見つめている侍女と周、そして天井を仰いだままの銀月。六名も集まっているというのに、部屋には嫌な沈黙が流れた。


「まあ、こうなっては仕方ない」


 沈黙を破ったのは、主である銀月だ。重苦しい声ではなく、拍子抜けするほどにあっけらかんと言い放った主の顔に側近たちの注目が集まる。

 しかし白狼はまだ顔を上げられなかった。感じたことがない程の自己嫌悪に頭どころか全身が包まれているかのように、体全体がひんやりとして重たい。耳の奥ではざあざあという雨に似た音が響いていた。

 そんな白狼の気持ちに気付いているのか、いないのか、銀月はこつこつと卓を指ではじいた。


「考えようによっては良い駒が手に入ったとも言えるぞ。今の後宮、いや皇后が注目しているのは誰だ?」

「……姫様でしょうか。先日の茶会以降、輿入れ先を陛下とご相談されているということですが」


 翠明の答えに、そうだと銀月は頷いた。


「輿入れ先を探して私を後宮から出し、その道中か嫁ぎ先かは分からんがまとめて始末しようという腹づもりだろうし、今はきっとその計画で方々に手を回して動いているに違いない。早急に動かねばこちらの身動きが出来なくなる」

「はあ……それもありました。頭が痛いこと……」

「あちらの計画に対して予定外のことが起これば、それどころじゃなくなり多少は時間が稼げるのではないか?」

「は?」


 銀月は中庭の向こう側に向けて顎をしゃくった。普段なら行儀が悪いと翠明に叱られるところだが、みんな黙って銀月の示す方向に視線をやる。その方向には承乾宮の内門があり、その向こうに側座房そくざぼうがあるはずだ。

 側座房の一室には紅花が一人眠っている。身重の彼女がなにを、と思ったところで白狼は立ち上がった。


「皇后たちの意識を紅花さんに向けるのか」


 銀月がにやりを口角を上げた。


「全て消したと思っているところに、仕損じた女がいたということを教えてやるのだ。しかもその女の懐妊が知らされたらどうなると思う?」

「……そんな。紅花さんを利用すんのかよ!」


 銀月の言わんとするところを理解し、白狼が声を荒げる。脳裏にあの苦しそうに嘔吐しながら謝罪を繰り返す女官の姿が蘇った。

 ただでさえ苦しそうなのに、その上で彼女を危険に晒すということに強烈な反発を覚えたのだ。

 しかし激昂げっこうする白狼とは反対に、あくまで銀月は冷静だった。


「当たり前だ。我らの進退がかかっているのだから」

「でも、まだ紅花さん、悪阻つわりで苦しんでるし!」

「おちつけ白狼。何も直接皇后に献上するわけじゃない」

「でも!」


 卓に乗り出し食って掛かる白狼を、周が羽交い絞めにして止める。軽々と持ち上げられ、じたばたと振り回した手足が空を切った。くそ、と吐き捨てるがもちろん周はそんなことは意に介さない。

 銀月はゆっくりと立ち上がって白狼に近づいた。


「父上に知らせて彼女を妃嬪に召し上げて頂くのだ。懐妊したきさきが増えれば皇后の目も逸れる」

「腹に子がいるってことまでばらすのか!」

おおやけに見れば慶事だからな。懐妊から出産までは妃もそうだが皇后もさまざまな儀式を取り仕切る都合上忙しくなるだろう。こちらへの対応も多少後手に回って時間が稼げるかもしれない。それだけだ」

「それでも! 紅花さんが殺されるかもしれないじゃないか!」

「確かに懐妊が明らかにされ妃嬪となることで、皇后や貴妃の標的となる可能性は高くなるだろう。どの身分の妃嬪であっても、どのみちそれは避けられん。生きるか死ぬかは本人の才覚次第だ」

「だったら!」

「しかしこのままではこちらが確実にやられるんだぞ!」


 ごねる白狼の耳をつねり上げ、銀月が怒鳴った。文字通り耳をつんざくような大声に、頭全体を揺さぶられる。白狼を羽交い絞めにして抱え上げていた周にとってはとばっちりもいいところだったろう。しかし目をちかちかさせているが、護衛として身じろぎもしない点はさすがであった。

 きーんと残る耳鳴りに白狼は顔をしかめた。しかし目は銀月を捕らえたまま離さず、力を込めて睨みつける。帝姫はその視線を真っ向から捉え、白狼を睨み返してきた。


「今は一刻でも時間が欲しい。お前を含め、我ら全員の命がかかっているのだ。どんな手段でも、誰を利用しても、生き抜かなくてはならん! 見ず知らずの女官ならなおさらだ!」


 決意に満ちた表情の銀月が放つその最後一言で白狼の頭の中で何かが切れた。


「全部自分ちの都合じゃねえか! そんなてめえの親父とてめえの尻ぬぐいをよその女になすりつけてんじゃねえよ!」


 はっと銀月が息を飲み、周の腕がわずかに緩んだ。その隙に白狼は思い切り体をねじり拘束を解くと、側座房へ向かって中庭へと走り出したのだった。


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