前門の虎②
その後も燕のお土産付き訪問は何度も繰り返された。
あまりのことに辟易した白狼が仮病を使って応対しない日があると、燕はそれでもと言いつつ取次ぎ役となった周にお土産を渡すのだ。その量は日に日に増える傾向にある。
「これは本当に……」
「そうねえ……」
「白狼、あんたあの子に何したのよ」
「……なんにもしてねえよ!」
土産の山を前に、小葉や黒花はすっかり「燕は白狼に惚れている」説を主張するようになっていた。惚れた相手にせっせと貢いでいるのだろうと。いたいけな下女を誑かした悪いやつという扱いだ。
もちろんそんな事実はない。
しかし今日も燕は仮病をつかった白狼に両手にいっぱいのりんごを差し入れてくれ、否定しようにも否定しきれない状況を作ってくれている。
「大体、宦官に惚れてどうなるっていうんだよ」
男の機能を失っている相手に恋をするなど無駄なことだ、と白狼は反論する。しかしどうやら後宮内では宦官と女官が恋仲になることが珍しく無いらしく、年季が明けた女官は宦官と結婚することもあるのだという。
実子が持てない代わりに養子をとって身寄りのない子どもを育てたりすることもあり、なんやかんやで結構幸せになることが多いと聞いて白狼は開いた口が塞がらなかった。
「惚れられたんじゃなければ、これは説明つかなくない?」
小葉が卓に乗せられた果物の山を指さす。そうは言われても白狼自身どうしようもない。身に覚えがない上、宦官として恋い慕われたとしても実際の白狼はただの女である。同性には興味を持っていないので想いを返すこともできないのだ。当の白狼もそんな気はないし、燕がこちらを男と思っているのならとんだ勘違いというところである。
宦官(男)として雇われている以上勘違いもなにも燕の責任ではないが、白狼としては本当にただただ困る。
「いくらあげていいと言われて持ってきたって言っても、よその宮の下男に下げ渡す量じゃないわよねぇ」
「そんなの、俺が知りてぇよ」
「じゃあ徳妃様が、腹をすかせた小間使いの子どもを抱き込もうとか思ってるのかしら。今一番警戒するのは皇后様でしょうけど、うちの姫様を当て馬にでもするつもりなのかも?」
「こんなに堂々と? まあ、ご懐妊の噂もどうやら本当らしいし、無くはないかもしれないわ。うちは翠明様も周様も小葉も私も誰もよその宮とは付き合いがないし、一番口が軽そうな白狼を狙うってのはあるかも」
「馬鹿言えよ、黒花さん、あんまし見くびんないでくれる?」
だってねぇ、と黒花が小葉を顔を見合わせる。いたずらっぽい笑みを浮かべてはいるものの、その目はちょっと真剣な色を浮かべているように見える。あまりの信用の無さに白狼はがっかりした。
「それなりに身体張ってんだけどね、こちとら」
反論するのも面倒くさくなり、白狼は厨房の椅子から立ち上がった。塵捨てにでもいって気を紛らさせた方がいい。小葉が朝から宮内をくまなく掃除して集めた塵は既に籠の中に用意されている。いってらっしゃい、という小葉の声はまだ笑いを含んでいるようだった。
籠を担いだ白狼は、門をうっすら開けて辺りを確認した。
せっかく仮病を使って今日は難を凌いだというのに、ここで燕に見つかるわけにはいかない。顔を半分ほど出して周囲を伺い、それらしき人影がないことを確認した白狼は素早く門を出た。
駆け足で通りを抜けて裏路地に入りたい。焼却場までなるべく人目に付かない道はどこだっけ、と順路を思い浮かべたときだった。
「ったく、なんで俺がこそこそしなきゃなんねーんだよ……うわっ!」
ぶつくさと文句を言いつつ路地を曲がろうとした瞬間、白狼の足は何かに引っかかった。塵をもったまま転倒するのを何とか踏ん張り足元を見ると、そこには一人の女が蹲っている。
一瞬、燕かと思ったが違う。下女の着物ではなくもう少し上の身分である女官の着物だ。髪も燕とは違って少し高めに結い上げている。とはいえ四夫人の宮勤めの侍女のように上等な着物ではないく、華美さもない。
どこか九嬪かだれかの宮の女官だろうか。白狼がぶつかって蹲らせたのであれば叱られる前に謝らねば、と籠を下ろして跪こうとして気が付いた。
女官が口元を抑えて、背や腹が大きく波打っている。慌てて背をさすると、それとほぼ同時に女官が盛大に嘔吐した。
白狼の顔から血の気が引いた。毒物が混ざっているかもしれない、と一瞬手を引っ込めかける。しかし女官の口から出たものは、大方が水分で固形物はわずかしかない。うう、と呻く女官の背がまたうねった。
「おい! 大丈夫か? 何があった!」
これは緊急事態であろう。白狼の頭の中から丁寧な言葉遣いが消し飛んだ。あまりに苦しそうにえずくので、二度、三度と女官の背をさすってやるがうねりは止まらない。そうこうするとはあはあと荒い息を吐きながら、女官がわずかに口を開いた。
「み……みず……」
「水? 水飲むのか?」
話す余裕も無いのか、女官はこくこくと頷いた。その振動さえ刺激になったのか、また勢いよく口から水分が吐き出される。
「分かった! 待ってろ!」
白狼はそう言い残すと、急いで来た道を引き返し承乾宮の門を叩いたのだった。




