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月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~  作者: 葵一樹
妃嬪の徴証

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前門の虎①

 絶対という話ではない、という前置きを念入りに念入りを重ねて言い渡したうえで銀月が話す内容は、主人の安全を願った侍女頭が考えうる最適解であった。険しい顔の銀月とは対照的に、白狼は思わずなるほどと唸る。盲点であったと言わざるを得ない。

 ただし、それは白狼個人の意思を犠牲にするという一点において、断固拒否したい内容ではある。


「確かにその方法ならバレずに済むだろうな。相手が誰であろうと」

「だから、絶対ではないぞ? 翠明にはダメだとは言ってある」

「やるとは言ってねぇし」

「そもそも皇后のことだ。どうせ手を回して向こうに着いた途端に殺されるか、あるいは途中で殺されて相手の家をついでに陥れるか、そこらへんまで考えているに違いない」


 婚家まで陥れる可能性があると聞き、白狼はぶるっと肩を震わせた。その観点はなかった。しかし貴妃の一族も邪魔だろうし懐妊している徳妃の実家も邪魔だろう。皇后ってやつは敵だらけだなと思うと同時に、あの皇后ならすべてを相手にしても勝ちを狙いに行くのではないかとも予想ができる。


「ただ、このまま手をこまねいているわけにはいかない。なんとか輿入れの話が進む前に策を打たなければならん。だから今の話は――」

「分かってるって」


 今の話――つまるところ、白狼が銀月を入れ違えたまま輿入れをし、側近共々後宮を出るという作戦である。少なくとも女の体の白狼が帝姫に扮した姿で婚家を欺ければ良し。皇后が何らかの手を回していたとしても、小間使いに扮した本来皇子である銀月の命だけは助かるかもいう寸法だ。

 不確実ながら、第一の標的ではない小間使いに扮していれば逃げおおせる目もある。こっそり瑛家に匿われることもできるかもしれない。後宮にいるよりずっと自由が利く。

 その代わり白狼の自由は全く無くなり、おまけに暗殺の危険にさらされまくるという大きすぎる欠点があったが。女帝擁立の話がある以上、この線は限りなく濃い。


「俺は納得してねえし、そんな身代わりのままで一生過ごすとか冗談じゃねえや」

「分かっている。お前の意思は、尊重したいと思っている」


 そう言ってくれる銀月だったが、どうにも手がなければ側近たちがそういう手段を取る可能性もあるのだろうということは白狼にも理解できた。できたし、それをもっと検討して成功率をあげる作戦を立てるべきとも思った。彼らにとって銀月は亡き主の忘れ形見でもある上、この国の正当な皇子である。場末で拾った身代わりの命とは比べるべくもない。

 白狼にしてもむざむざと銀月が殺されるようなことになるのは嫌だった。何とかしたいと思う。ただそれが、自身の生き方を捻じ曲げるほどなのかという葛藤もある。

 そんな葛藤が産まれた事に気付き、宙を彷徨っていた白狼の視線がぴたりと床の一点に定まった。


 何を考えている、と。


 自分の生き死には自分で決めたい。そう思って里を飛び出した。親や兄弟の情も投げ捨てたつもりだった。本来であれば身代わりになることも、身代わりとして死ぬ目にあうことも、他人から強制されたくはない。いつもなら尻尾撒いて逃げる一択である。

 しかし今はほんのちょっと、その手があると思ってしまったのだ。それに気が付いた白狼は自分の考えの変化にこっそりと慄いていた。

 いつの間にか宮の者たち全員に愛着を感じているということも、あまり認めたくはないが銀月にも仲間意識以上の感情が芽生え始めていることも、自分自身のあり方を混乱させている原因なのだろう。

 家族にすらそんな気持ちを持っていなかったのに、自身の変わりようが信じられないほどだ。


 ――これは判断が鈍る……。


 しかし表には出せない。白狼はその言葉を飲み込んだ。


 ★ ★ ★ ★ ★


「白狼さぁん」


 銀月と何となく元通りになってから数日。小葉から宮の門の外を掃除していろと命令された白狼は、まとわりつく若い下女に困り果てていた。

 下女の名は泰燕。永和宮の徳妃に仕える少女である。

 以前ちょっと親切にした縁があった彼女は皇后のお茶会の日にばったり再会して以来、何かにつけて承乾宮の白狼のもとへと遊びに来るようになっていた。


「燕さん、永和宮の仕事はいいの?」

「大丈夫大丈夫。徳妃様も柏様も、白狼君にも渡してあげなさいってたくさん持たせてくれるの」


 そういって差し出された今日のお土産は小ぶりなリンゴが入った包みだった。受け取ってよいものか悩み、断りの文句が出せないまま結局押し付けられている。

 一体これで何日目だろう。

 お菓子や果物などのお土産を抱えて満面の笑みを浮かべてやってくる燕を無下にできず毎回応対していたが、さすがに連日となると話は別だ。一応白狼にも仕事があるし、幼いとはいえ燕はよその宮の下女であるからうかつなことは話せない。まして承乾宮に招き入れるわけにもいかないので、いつも門の前で立ち話をすることになる。

 そしてその立ち話がまた長い。帰らなくていいのかと聞いてもいいのいいのとはぐらかされる。目的も分からず、距離感もはかりにくい。これで相手が柏とかいう宦官であればさっさと礼をいって辞すればよいが、小間使いと下女という気安い間柄が災いして上手く逃げられない。

 結果、毎回取次ぎを頼まれ業を煮やした周と小葉によって宮の外の掃除を任されてしまったのだ。つまり外で勝手にやれ、ということである。


「でね、柏様が徳妃様を笑わせてね――」

「あー、うん――」

「その時の徳妃様ったらね!」


 もうおかしかったのよ、という燕の話の内容は全く頭に入って来ない。相槌も適当だし、なんだったら適切でもない相槌さえ口にしている。返事をしないときだってある。こんな塩対応をしているのに何故毎回訪ねてくるのか、白狼には理解が出来なかった。


「あー、楽しかった! ちょっとおしゃべりしすぎちゃったかも。じゃあ白狼さん、またね」

「あー…あぁ」


 元気よく手を振る燕は、白狼の返事など聞いていないかのようにぴょこりと踵を返すと走り去っていってしまった。その後姿を見送りながら、精力を吸い取られたような錯覚を覚え白狼は大きく肩で息を吐いた。

 なんで仕事じゃないことでこんなに疲れるんだ。次こそは追い返そう。そう心に誓いながら門を叩くと、ぎいっと重い音をさせて扉が開き小葉が顔を覗かせた。


「終わった?」

「ああ、小葉さん……終わったし、これもらった」

「今日はりんご?」

「そうらしいよ」

「責任もって処理しなさいよね」


 貰った食べ物は基本的にすべて白狼が食べることになっていた。帝姫の口に、得体のしれないものを入れるわけにはいかないと言われれば否はない。しかしこう連日のことになるといい加減食傷気味になる。

 今日のりんごは生で食っても余りそうだ。これは厨房借りて煮込むか、と白狼は頭の中で用途を考えた。それにしてもそろそろ甘いものじゃなく、酒にあうものが食いたい。土産物とは相手が喜ぶものを贈るものではないのだろうか。甘いものは嫌いじゃないが毎日は要らない。

 ああ、面倒くさいことになったと白狼はまたため息を吐く。


「全く、あの子も飽きないわね」

「だよなぁ……」

「もしかしてだけど」


 惚れられてるんじゃない? というちょっと揶揄い気味に笑う小葉に、白狼は舌打ちで答えたのだった。



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