名月の狂宴③
中秋節の日は朝から良く晴れていた。皇宮の祭壇に祈りを捧げる儀式は滞りなく行われ、皇帝がしたためた今年の経文も無事に奉納された。
儀礼用に正装した皇帝の後姿を見ながら、居並ぶ高官たちの後ろに控えた白狼はこの中のどいつが貴妃の一派かと考えていた。どいつもこいつも儀礼用の服と冠を被っていて、後ろ姿では区別がつかない。多分皇帝に近い前のほうの席にいるんだろうな、というアタリは付けられるがそれ以上は探しようがなかった。
皇帝から銀月を守ってほしいと頼まれ数日。結局白狼は乾清宮の仕事から承乾宮へ戻してもらうことができないままだった。まあ初めから中秋節までと聞いていたのでそれはいい。が、目が届かないところに銀月がいると思うと、何かそわそわ気忙しい気持ちになるのが落ち着かなかった。
実際の銀月は側近に守られて何事もなく過ごしているのだろうが、明確に貴妃に狙われているという情報を果たして翠明が掴んでいるかどうか。それだけでも何とか伝えられないかと考えたが、思いのほか日々の業務に忙殺され白狼も身動きが取れなかったのだ。
日中の行事が終わると夜は後宮での宴である。宦官以外の皇宮の高官たちが各々の館で宴会を行うために帰宅していったのを見送ると、白狼はじめ宦官たちは大急ぎで後宮へと走った。とはいえ、後宮内での行事なのでその準備のほとんどは後宮付きの女官や宦官が済ませている。白狼たちがやることと言えば皇帝の支度と世話であった。
実はこの着替えが1番面倒くさい。着るものの種類、重なる順番、帯の結び方、玉飾りの数、冠と尺の取り合わせなど、儀式によって組み合わせが何通りもあるのである。付け焼き刃で覚えられるものではない。そして今日は通算四回目の着替えで、次は格式の高い宴会用の着物と聞いて眩暈がした。
同僚達と悪戦苦闘しながら皇帝が宴席用の正装に着替えるのを手伝い、本人を輿に乗せると白狼は肩をぐるりと回す。ぼきぼき、と聞いたことのない音が体の奥から聞こえた。
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やっと後宮だ。と思ったのもつかの間。皇帝のお供でやってきた白狼たち宦官は主とその妻たちの給仕に走り回られた。なにせ後宮にいる妃は数が多い上に、一年のうち皇帝を招いて行う宴は何回もない一大行事である。もちろん妃嬪たちの侍女や後宮の女官も大忙しだ。
大量に作られた料理や酒をあちこちに運び、裏では交代で女官たちにもそれらを配り、月を背景に歌い踊らせた芸妓たちにも祝いの品を渡し歩く。宴会場と尚食局の厨房とを何回行き来したか、数えるのももうばかばかしくなったころにようやく白狼も休憩の順番がやってきた。
「……大体にして宦官が少ねえんだよな。人遣い荒すぎだよ全く」
配給された食事の盆を持って、白狼は人の波に逆らうように会場の下座へと歩いていた。向かう先は銀月たちのいる天幕だ。後宮は妃嬪たちの領域であり、母である賢妃もいない帝姫は必然的に皇帝から遠い下座に配されていたからだ。
皇后や貴妃によるいやがらせの一環なのだろうが、どうせ人前に顔を出すことを避けている銀月にとっては逆に都合がよいだろう。今夜もすぐに帰ってしまうのではないか。それであれば宮まで行ってしまうのも手だ。
久しぶりに会える、と白狼の足取りは軽くなる。きっと宴に合わせて黒花と小葉が盛大に銀月を飾り立てているのだろう。どんな可憐な姫君を装っているか不謹慎ながらわくわくする。想像上の銀月は面白くなさそうにふてくされているが、きっと現実のそれも大差あるまい。どんなに着飾っていても、中身はもう年頃の少年なのだから。
皇帝にはああ言われたが、どうせ「守る」とか言っても余計なお世話だと言われるか、あるいは給金分は働けと言われるかだろう。ならばいつもみたいに報告してから一緒に策を練ったほうがいい。
父親が心配していると知ったら、あの冷静な皇子がどんな顔をするか。反応をあれこれ考えながら才人や宝林といった下位の妃嬪の天幕を通り過ぎ、もう少しで銀月のところだと歩みが早まった時に事件は起こった。
「盗人です」
いきなり腕を後ろ手に捻 《ひね》りあげられたかと思ったら、背後で男にしては甲高い声が上がった。取り落とした盆から落ちた食器が割れ、近くを歩いていた女官たちが突然のことに悲鳴を上げて後ずさる。強く腕を捻られた白狼が痛みに顔をしかめて振り返れば、そこにいたのは周に負けず劣らず体格のよい宦官だった。
武官あがりなのか宦官にしては体つきがごつい。顔つきも精悍だが、その割に去勢したもの特有のつるりとした肌と甲高い声が不釣り合いに目立った。
「痛えな!」
振り払おうと身をよじるが、相手の宦官の力は強く余計に腕をねじられる。来い、と引っ張られるままに白狼は皇帝と皇后のいる前に引きずりだされてしまった。
何事かと皆が静まって注目する中、姸のある声で皇后付きの女官が問うと白狼を捕まえた宦官は白狼の着物の懐に手を突っ込んだ。中衣越しではあるが無遠慮にまさぐられ、羞恥ではなく口も開けないほどの怒りが湧き上がり白狼の顔は真っ赤に染まる。
殺してやると白狼が見上げた宦官の顔は、真面目腐った表情の中でわずかに口元を歪ませていた。
やがて宦官は白狼の懐から腕を抜くと、それを高々と掲げた。その手には、一本の簪が握られている。かがり火に照らされたそれは、いかにも豪華な輝きを放った。
「この者、承乾宮の宦官でございますが貴妃様の簪を盗んだ重罪人でございます」
場を取り巻いていた女官たちが一斉にざわついた。数段高いところに座っている皇帝の顔は白狼からは見えないが、その近くにいるはずの主席宦官が慌てたように何事か叫んでいるのが聞こえる。
「こちらの簪は貴妃様が大切に保管されていた秘蔵の逸品。先日盗難にあい、長春宮の者で方々探しておりました。」
「……っんだと!」
「おとなしくしたまえ。暴れればなお罪が重くなる」
「やってねえよ! だれがそんな簪盗むってんだ!」
組み伏せられてなお白狼が暴れようと抵抗すると、押さえつけている宦官がふっと鼻を慣らす。
「どうやら相当に育ちが悪いらしい。こんな者を後宮に入れるなど、帝姫様はじめ承乾宮の方々は一体何を考えているのやら。出自が卑しい者のところは、集まる者も卑しいと見える」
「てめえ! ふざけんな!」
自分だけでなく銀月を貶められ白狼の怒りは頂点に達した。腰を捻って脚を振り上げ、自分の上に乗った宦官のわき腹を狙って膝をめり込ませる。思わぬ方向からの反撃だったのだろう、宦官が呻いて力が緩んだ。その隙に白狼は宦官の肘を払い、拘束を振りほどく。
「無礼者が! 取り押さえよ!」
皇帝と皇后より一段低い貴妃の席から鋭い声が飛ぶと、あっという間に白狼は護衛の宦官や警備兵などに取り囲まれてしまった。あまりに手回しが良い。白狼の頭に、あの夜の密談が蘇った。
取り囲む兵の向こうでは皇帝が青い顔をしている。その隣にいる皇后は扇で顔を隠してはいるものの、周りの侍女たちが驚きのためか口を開けたままになっていた。
白狼はその一段下に座している貴妃に目を向けた。上座の二人とは異なり椅子に座ったまま悠然と扇子を傾けている。遠目にも分かる、華やかな美女だ。しかし盗難の被害にあった妃の態度ではない。――ハナっから嵌める気だったのか、と白狼は唇を噛んだ。




