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月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~  作者: 葵一樹
宦官の立ち位置

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名月の狂宴②

 そでで覆われた空間で、じりじりと皇帝の顔が近づいてくる。白狼の手からすみがことりと落ちた。すずりに当たった墨はぴちゃりと黒い水を跳ね上げ、白狼と皇帝の衣に点々としたシミとなって付着した。


「よ……」


 寄るな、という言葉は口から出なかった。さすがの白狼もここでは言葉を選ばねば一瞬で首と胴が永遠の別れを告げねばならないということは理解している。

 しかしかといって別の言い方が即座に思いつくわけもない。近づいてくる皇帝からのけぞるようにして距離を取るのがせいぜいだ。

 主席宦官しゅせきかんがんは出ていったが、部屋の外には警備の兵が配置されているはずである。数日に渡って乾清宮で生活をしていて、どこにどれだけの兵がいるかは把握していた。この部屋の扉の前にも、いつも通りであれば二名の兵が立っている。

 声を上げるか、と白狼は息を吸い込むが、それを察知したように大きな手で口をふさがれた。


「声を出すな。近う寄れ、白狼」


 皇帝が繰り返す。白狼は答えられないまま、ついに一歩後ずさった。


「逃げずともよい。お前のことは初めて見たときから良いと思っておったのだ」

「……っぐ」

「その目が良い。聡い目だ」


 じいっと男の目が見開いたかと思うと、あっという間に抱きすくめられる。背に回された腕の感触に、白狼の全身が粟立った。かあっと一瞬で頭に血が上った白狼は、相手がこの国で一番の偉い奴だということも忘れ拳を握る。体重を乗せるほどには距離は取れないが、思い切り相手の腹にぶちかましてやれば背に回された手は緩む。その隙に逃げてやると覚悟を決めた。

 その結果、首を切られたとしても意に添わぬ犯され方をするよりずっといい。


「静かに」


 耳元で皇帝が囁いた。ほとんど声にならない吐息のようなそれが耳朶をくすぐり、気持ち悪さに拍車がかかる。我慢できずに白狼は拳を突き出した。しかしそれは分厚い着物に阻まれ相手の腹まで到達せずに跳ね返される。二度、三度と力を込めて繰り出すが、それでも皇帝は身体を退かなかった。


「……ふっざけん……な!」

「外の者に悟られる。声を出すな。このまま、好色な皇帝に言い寄られている振りを」

「うるせえ、振りじゃねえだろっ。離せっ」

「頼むから静かに。銀月のことだ」


 その一言で白狼の動きが止まった。


「は?」

「銀月についてお前を見込んで頼みがある」

「……ほんとか?」

「外の兵も主席宦官の昌も、皇后や貴妃の息がかかった他の貴族の子飼いじゃ。銀月のことを悟られるわけにはいかぬ。黙って聞いてくれ」


 ささやく声に切羽詰まった色がにじむ。白狼の拳が皇帝の腹から離れた。ほうっとお互いに深い息を吐くと、身体のこわばりが幾分緩む。白狼がおとなしくなり、皇帝も背に回した手からやや力を抜いた。


「貴妃が銀月の命を狙っておる。なんとか守ってやってくれぬか」


 密着していなければ聞き取れないほどの音で告げられた言葉に白狼は意識を集中させた。


 こつり、と部屋の外で音がした。主席宦官が戻ってきたのか、それとも警備の兵が中を確認したのかは白狼からは分からない。ただ今の二人は外から見ればただ抱き合っているようにしか見えないはずで、たとえ窓や扉から誰かに覗かれていたとしても好色な皇帝の一時の遊びと映るだろう。しかも小さい白狼は皇帝の衣の袖ですっぽり覆われている。

 白狼は皇帝の腕の中に納まるように、更に体を小さく屈めて近寄った。


「なんで俺に? 俺なんてただの下っ端だぜ?」


 無礼な物言いをする白狼に皇帝が小さく笑う。


「銀月が、そなたには心を許していたからだ」

「どうだかね。で、貴妃がどうした」

「最近、貴妃の実家の連中にきな臭い動きがある。儂に皇子がいないからといって、古来にすたれた女子の帝位相続を検討してはどうかと言い出したのだ」

「女が皇帝になんのか」

「うむ。いまでこそわが国は男子の相続が慣例化しておるが、大昔には女子も帝位につくことがあったのだ」


 話が見えない。しかも女が即位するなど、白狼の知っている限りでは聞いたことがない。ということはとんでもなく昔のことなのではないだろうか。現実味がない話に白狼は首をかしげる代わりにふんっと鼻を鳴らした。


「別にそれならそれでもいいんじゃねえ?」


 すると皇帝はやや慌てたように、良くないといって言葉を速めた。


「公的に我が娘は三人いることになっている。皇后の姫、貴妃の姫、そして銀月だ。年齢は銀月が一番上で、二番目が貴妃の姫。女帝を認めるとなればすでに成人の議を済ませてもおかしくない銀月が継承順で一位となる。しかも実は今徳妃が懐妊かいにんしているのだが、極秘事項だったそれが貴妃に漏れているらしい」

「なんで分かる?」

「ついこの間、お前たちに会ったすぐ後に長春宮ちょうしゅんきゅうに連れていかれてな。その時に貴妃が探りを入れてきたのだ」


 ははん、と白狼はようやく合点がいって頷いた。なるほど、それは貴妃の一派がだまってはいるまい。現状、貴妃の腹からは男子が生まれず、女子に継承させたとしても貴妃の子の順位は一位にはならないからだ。

 今はまだ皇位継承については皇后、貴妃、徳妃と横並び状態であっても、徳妃のところに男子が生まれれば逆転される。早く女子の相続を決めたいが、それを決めれば銀月が邪魔になる。焦った貴妃の一派が何か手を打ってくるという皇帝の危惧ももっともだ。情けない男と思っていたが、それだけではないらしい。

 しかしだ。白狼は皇帝を見上げた。


「いっそのこと、銀月が男だってバラしてやればいいんじゃねえの?」


 あっけらかんと言い放った白狼に、それはできないと皇帝は首を横に振った。


「それができれば苦労はしない。あの子の母の身分は低い。後見もなく皇太子とすれば周りが黙っていないだろう」


 心なしか、肩を落としている風にも見える。朝廷や後宮の政治的な力関係は把握できていなかったが理屈は分からなくもない。しかしもとはと言えばこの男が銀月に無理をさせているのだと思うとその素振りも何か腹立たしく感じて、白狼の目つきは知らず厳しいものとなっていった。


「ていうか、いつまであいつに姫君の真似事させとく気だよ」


 白狼の知る銀月は決して弱々しい皇子ではない。冷静で頭も切れる上に行動力もある。何度も命を狙われているが、敵を倒そうという気概もある。後ろ盾などなくても皇太子としてやっていけるのではないか、というのは雇い主に対する贔屓目ひいきめだろうか。


「……それは」


 まっすぐ白狼に睨まれた皇帝は言葉を濁す。弱気な表情が浮かんだその瞬間、扉の外から一つ大きな咳払いが聞こえた。主席の宦官が紙を持って戻ってきたのだろう。――もうそろそろこのままでいるには言い訳が厳しくなる頃合いである。

 白狼はまあいいさ、と呟いた。


「あいつが危ないっていうなら話に乗ってやる。おっさん、俺をどう使うつもりだ? 俺は何をすればいい?」



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