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月華麗君とりかへばや物語~偽りの宦官が記す後宮事件帳~  作者: 葵一樹
後宮の失踪者

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夜、宦官は帝姫に伴われる①

 住人のほとんどが女ばかりの後宮内において、噂話とはそこで働く女たちの唯一といってもいい娯楽である。上役の目がないところでは、若い娘もそれなりに年かさの女もあちこちで手を動かしながらそれ以上の速さで口を動かしている。


 しかし性別を偽り宦官として働く白狼は、休憩中の女官や下女たちの語らう声を聞いてもうるせえなと思う程度でさしたる興味もなかった。

 大体がどこぞの宮の妃や上官の愚痴と悪口で、毎度毎度よく話すことが尽きないものである。同じ話でも一晩経つと噂話の尾ひれや胸びれが増えているのがますます下らない。


 これが街中であれば、どこかの店は最近羽振りがいいだのどこそこの港では今度大きな取引があるだのといった、白狼の商売にも関係する話が聞けるものだが後宮にはそれがない。


 ただし主である銀月は白狼に後宮内の噂話(特に上役がいないところで話されているもの)をちょくちょく聞いてこいと言う。小間使いが仕事をさぼるのを奨励する主など、変なものだった。どんなに故意に太らせても噂話では腹も膨れないというのにいったい何の得があるのだと聞けば、情報はどれだけあっても損にならないからと意味深な笑みで答えられた。


 どうせなら金になる話も拾えないものかと後宮内で目を光らせる白狼にとっては、きゃあきゃあと噂話に興じる彼女たちの持ち物から懐具合を想像するのだけが最近の楽しみである。


「ねえちょっと聞いた? ついこの間、後宮内の下女が一人いなくなったんですって」


 白狼がいつも通り自分の主である帝姫の住まう宮――承乾宮の塵箱を焼却炉に持って行く途中で耳にしたのはそんなあまたある噂話の一つだった。


黄宝林おうほうりん(下位の妃嬪ひひん)様のところの下女でしょ? 朝起きたら掃除がしてなくておかしいと思った宝林様が方々に聞いて回ってらしたみたいよ」

「私が聞いたのは才人さいじん(中位の妃嬪)様のおひとりの、めい様の宮にいた女官だって話だったけど」

「あらやだ、その人もいなくなってるの? 怖いわ」


 きゃあ、と女官たちの声が華やいだ。怖いと言いながらも随分と楽しそうではないか、と白狼は鼻白む。単なる怪談であれば良い。「いなくなった」と言うのは軽いが、その先のことに本当に気が付いていないのだろうか。


 後宮から人知れず姿を消すのは、単純に年季が明けた以外の理由のはずである。解雇されたかそれとも口を封じられたか、または病気か何かだろう。


 後宮に勤める下女などは親から売られてきたものや人さらいに売られたもの、あるいは宮女狩りなどで集められたものと経緯は様々だ。しかしいずれも実家や故郷からは遠く離れていることが多く、解雇であれば命はあれども外で仕事がなければ良くて身売り、悪ければ餓死が待っている。口封じであればいわずもがなである。


 借金を返すまで働かされるのは女郎屋と同じだが、立身出世は自身の営業努力だけではどうにもならない。下手をすれば妃嬪同士の権力争いのとばっちりで殺される可能性がある分、後宮の方が悪いところかもしれない。というのが白狼の感想であった。


 まあ、別の件で命を握られてここに連れてこられた自分の関係する話ではない。主たる帝姫が本懐を遂げるまでは自分の解雇や口封じはないと踏んでいる白狼は、塵箱ごみばこを片手におしゃべりで前が見えていない女官たちをやり過ごす。


 すれ違いざまに彼女たちのかんざしや帯飾りを見ると、それなりに裕福そうなものを持っているではないか。

 指が疼く。

 ムラっとしたついでに腕が鈍っているかどうかも確かめたくなる。そう、これは確認作業なのだ。

 白狼は小石に躓いたふりをして女官に肩をぶつけた。


「きゃあ」

ほん、大丈夫?」


 よろめいた女官は踏ん張りが利かなかったのだろう。ぺたりと地べたに尻もちをついた。しまった、

 派手にぶつかりすぎたかもしれないと焦る気持ちを押し隠し、白狼はさっと顔の前で拱手をした。

 しかし当の女官は大した怪我もないようで、がばっと立ち上がると尻についた砂を払う間もなく白狼に詰め寄った。


「ちょっと、あんたどこ見て歩いてんのよ!」

「へ、へえ……ご無礼申し訳ございません」

「気を付けて頂戴!」

「申し訳ございません、前が見えませんで……。皆さまのお話のお邪魔をしてしまったこともどうぞご容赦を……」


 肩を怒らせる女官に、深々と白狼は拱手して頭を下げる。ぱっと顔を赤くした女官たちは、自分たちがおしゃべりに夢中になっていたことも自覚があるらしい。

 はっとした顔をした後、それ以上追及することなくそそくさと立ち去ってくれた。去り際に何か捨て台詞を吐いていったが、聞き取るまでもないので放置する。


 女官たちの後姿を見送り、白狼はぺろりと舌なめずりをした。袖の下から今さっき拝借したものを取り出して陽の光に透かして見れば、繊細な細工がしてある綬帯ちゅうたいの飾りだった。紅とかいう女官、なかなかの高給取りか。


「こりゃ珍しい珠飾りなこった。碧玉へきぎょくじゃなくて、なんだこれ。いい色だな」


 珠の内側に細かい彫刻が施されているのか、屈折した光がきらきらと反射して思いのほか美しい。売ったらいくらになるだろう。並みの店では引き取ってもらえないかもしれない。

 ――とはいえ、換金できるのははるか先のことになろうが。


 まあいいか、とほくそえんだ白狼は塵箱ごみばこを持って足取りも軽く焼却炉に向かったのだった。


 この宝珠が承乾宮じょうかんきゅうのものを窮地に追い込むとは今の白狼には知る由もなかったが、それは随分と先の話である。


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