邂逅の背面①
宮から出て行った周は思いのほか早く戻ってきた。しかしその顔色と表情をみた銀月は悔しそうに唇を噛んだ。
「駆けつけたときには一人首を吊った状態でした。念のため白狼に確認を取らせたいと思いますが、おそらく口を封じられたものと……」
部屋で血を流して倒れている女官を医務官に引き取らせ、応急処置が終わった白狼は痛む傷を抱えながら周とともに厨房へ急いだ。道すがら何も語らない周の表情は硬かった。血は止まったとはいえかなりの量の血を失っている白狼は、土気色の顔をしながらも黙って早足の周についていくしかできなかった。
死体の面通しなど気が進まないが仕方なかった。吊られたままだらりとぶらさがった男の顔を見た白狼は吐いた。朝から何も食っていないので胃液しか出てこない。古い油のにおいと撒き散らかされた排泄物の臭気がまとわりつき、こみ上げてくるものを堪えられない。
黄色い液体を床に吐き出した白狼は焼けるようなのどの痛みに涙を浮かべながら、こいつだと周に告げた後意識を失った。
★ ★ ★ ★ ★
「女は陳の妻だ。亭主を助けたければいう事を聞けと脅されていたという事だ」
夜半、苦々し気に銀月がつぶやいたのは、顛末を聞かせてやるといってこっそり白狼の寝室へやってきたときだった。
白狼は寝台にあおむけになりながら舌打ちをした。
あれから二日経ってはいたが、女に斬られた傷からくる熱がまだ下がり切っていない。吊られた江を見た衝撃と、自分にまとわりつく血の匂い、そして厨房の油のにおいに吐くだけ吐いたおかげで体力が落ちていたのだろう。
女は白狼よりやや早く回復し、涙ながらに語ったという。
近頃妙に羽振りが良くなった夫へ不信感を持っていたところに、その夫が帝姫の毒殺を企んでいたという話を吹き込まれた。すでに夫は捕まっており、話を聞くこともできない。そうすれば真偽を確かめるまでもなく江のいうことを信じてしまうのは、当然といえば当然かもしれない。
捕縛された夫を助けたければ協力しろ、帝姫の側近の企みということにすれば夫は解放されよう、そういわれてしまえば否はあるまい。
いざとなったら翠明を殺せという指示までされていたというから、いつの間にか仕込んでいた懐剣にも納得だった。本当に殺していれば夫の無実をどうこうする前に自分が死罪になる、ということまで頭が回らない程に追い詰められていたのだと思うと少し女が不憫になる。
自分が斬られたことは別に仕返ししてやろうとは思う程度だが。
「陳てやつは? どうなった?」
「御史台には疑いの証拠をきちんと示してから罰するようにと伝えているが、妻ともども果たしてどうなるか。一連の企みに関する真犯人として江が死んだ以上、深入りせずにすぐ解放されるだろうとは思うが景を動かした者次第といったところか」
おそらく無罪放免とは行かんだろうな、とあっさりと告げる銀月の口調に迷いはない。
いけ好かないやつだったが人が死ぬのは後味が悪い。なんとか生きて娑婆に出られると良いが、白狼には助ける手立てはないのでとりあえず祈っといてやることにして思考の片隅から陳を追いやる。
そう。生き残った白狼にはまだ確認しなければいけないことがあるのだ。肝心なことを語らない銀月に、布団から手を伸ばしてその胸倉を掴んだ。
「で、銀月。どこからがお前の企みのうちだったんだ?」
ぐいっと引き寄せれば困り眉の銀月の顔が目の前に近づく。えーと、と視線を泳がせるその顔は、困っているようでも白く美しい。二、三度掴んだ着物をゆすると、銀月はため息を吐いた。
「割と、最初から」
「あぁ? 最初って?」
「この離宮に療養にくる計画を立てるところから?」
「あぁん?」
要領を得ない返答に焦れた白狼は寝台に身体を起こした。目線の高さを同じくして睨みつけると、銀月がほほほと薄笑いを浮かべる。普段は扇で顔を隠してしまうところだが、手ぶらなせいか手で口元を覆っている様が町場の上品ぶった奥さんのようで余計にむかついた。
「俺は騙されたって分かった上ここまで体張ったんだぞ? 真相を聞く権利があると思うが?」
「……普通の臣下は主の思惑など直接聞いたりできなくても仕事をするものだが」
「利用されるだけ利用されてやってんだ。ほかの連中も知ってんだろ? ちゃんと話せ」
「まあ、それはそうだ」
観念したように銀月は頷いた。
「私は割と生まれた直後から命を狙われているんだがな、最近とみに身の危険を感じることが多くなってきたのだ。食事の材料に毒が混入していたり、宮で使っている道具に明らかに細工されていたり」
「物騒なところに住んでんだな」
「帝都の宮城の奥深くにある後宮だぞ? ひょっとしたらこの世の中で最も物騒なところかもしれんな」
それでな、と銀月は続ける。
「あんまりそういったことが続くので、どうせなら逆に尻尾を捕まえてやろうとこの離宮の環境を使う計画を立てたのだ」
まがりなりにも皇帝の居城の一部である後宮は管理や警備が厳しい。銀月はある程度自由が利く離宮に移動することで敵方をあぶりだそうとしたらしい。
「手っ取り早く敵方が動くのは何かと考え、毒を盛られたと騒ぎを起こすことにした」
「なんでそうなるんだよ、あぶねえじゃねえか」
「自分たち以外が帝姫を殺そうとしている、もしくは指揮系統が乱れていると思わせれば、向こうが焦るかもしれないだろう。褒美が狙いならなおさら」
なるほど、と白狼は頷いた。
「夕食の後で毒を盛られたと騒ぎを起こし、向こうが動き出すのを待ち構える予定だったのだ」
「待て、毒見の女官って死んだって言ってたけど?」
「こちらが流した嘘だ。死んだことにしているのでここにはいないが、ぴんぴんしてるぞ」
「……っだよ、それくらい言っといてくれよ」
「お前を拾ったのは、女官を宿に預けに行った帰りに街を見回っていたときの事だ。私の話に周が動揺していたのは見えていなかったか」
え、と白狼は息を飲む。記憶をたどれば、確かに周は銀月が話していた時慌てた様子があったような。もうその時には銀月の策のうちに巻き込まれていたのか。




