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朝、宦官は帝姫に迫られる②

 頭が、重い。


 侍医じいの診察――とはいえ高貴な身分たる帝姫の身体においそれと触れられないためほぼ問診ではあるが、繰り返される同じような問いに辟易しながら、白狼はひたすら頭痛に耐えていた。


 とにかく、重いし痛い。


 有能な侍女である黒花と小葉の二人に問答無用で裸にひん剥かれ、身体全体に白粉を叩き、女物の上等な下着と豪華な絹の着物を重ねられたのはつい一刻ほどまえのこと。その後は長い黒髪のかつらを頭に乗せられたと思えば、紐やかんざしであちこち縛られ突き刺され固定され、土台に使われた地毛が尋常ではない力で引っ張られている。


 おかげでさっきから頭から肩にかけてずきずき、ぎりぎりとした痛みが止まらない。自然、眉も下がり伏し目がちになっていたのは好都合といえば好都合なのかもしれないが。


「……はぁ」


 いつ終わるともしれない問診に、白狼が顔のほとんどを隠した扇の裏で声にならないため息をつくと書物をしていた侍医の筆が止まった。


「いかがされましたか、姫様。お疲れですか? 薬湯やくとうせんじて出直してまいりましょうか」


 心配げな申し出に白狼は扇の影から戸口に控える銀月を見た。白狼が着ていた宦官服を着て首を垂れているが、話は聞こえていたのだろう。白狼に目配せをして首を小さく横に振っていた。


 まあそうだよなと白狼が断ろうと口を開くと、それを遮るように翠明が「不要です」と侍医に告げた。まるで白狼が直答じきとうしそうになっていたことを察していたかのような素早さだ。後ろに立つ小葉につんと背中をつつかれ、白狼はあぶなかったと肩を竦めた。


 いかに侍医相手であろうとも、高貴な姫君は男を直に口を聞くことなどあり得ないのである。


 それからまたしばらくの後、ようやく問診が終わると侍医は頭を下げて退室していった。薬は後程処方するので取りに来るようにということなので、おそらく白狼がお使いに行くことになるのだろう。

 代わりに入ってきたのは皇后の宮からやってきた使いの女官である。


 中年の大層な美人ではあったが、長い診察で疲れている「病弱な」姫君を気遣うほど親切ではないらしい。着ているものから化粧まで、女官としてのつつましさなど微塵もない女だ。皇后の宮のものは皆、そんじょそこらの宮の妃より豪奢な装いで有名である。


 女官は既に朦朧もうろうとしている姫君役の白狼に対して長々と口上を述べ、手に持った包みをこれ見よがしに恭しく掲げた。


 絹らしいつやのある布に包まれたそれは、ところどころ聞き取れた口上によると様々な産地のお茶らしい。お使い女官は皇后様よりのお見舞いでございますと告げて包みを黒花に手渡した。


近頃帝姫ていき様におかれましては皇后様のお招きに応じられないほどに病がちと伺っておりますが、本日の御顔色は悪くないご様子で安心致しました。ですが帝姫様のお加減について憐れに思われた皇后様は帝姫様の御身とお心を慰めるために、こちらを下賜するとの仰せです」


 ちくちくと言葉の棘が刺さる、なんとも高慢な口調である。自分に向けて言われているのではないとは知りつつも、白狼は苛立ちを感じ始めていた。

 身分的なことにはうとかったが、皇帝の娘に対して女官風情がこんな口を利くものかと扇の影で唇が歪む。


 我慢が利かない白狼を押しとどめるよう、隣の翠明が深々と頭を下げた。


「これはこれは皇后様のご慈悲、ありがたく頂戴致します。また後日改めてお礼をお送りさせていただきます」

「一女官とはいえ皇后様付の私にも、まさかお声をお聞かせいただけないとは思いませんでしたわ」

「大変失礼を。ですが姫様はあいにく長時間の診察にお疲れでお声を張ることが難しいのです」

「ご病弱な帝姫様のお身体については今上陛下のみならず嫡母ちゃくぼたる皇后様もお知りになりたいとのことですので、診察の結果が出ましたら皇后様の宮にもお知らせをするように侍医には申し付けておきました。お輿入れの話も出ているようですし、早くお元気になられるよう私もお祈りしておりますわ」

「それは大層なご配慮。ありがとうございます」


 不遜ふそんともいえる女官の物言いには顔色一つ変えず、可もなく、不可もなくの無難な返答だけすると、後宮の諍いについて百戦錬磨の翠明はすぐに小葉へ女官をお見送りするよう申し付けた。


 もちろん小葉がそれに不服を表すわけもなく、戸口に控えた銀月はすぐさま扉を開けて追い出しにかかる。早く帰れ、というのは宮の総意であった。言葉にしない圧を女官も感じたのだろう。ふんっと鼻を鳴らすと礼もそこそこに踵を返す。


 無礼な態度にすっかり頭に血が上りかけている白狼は襟首を後ろから翠明に捕まれ椅子に押し付けられていた。古参女官のさすがの危機察知能力である。追いかけて悪態をつきそこねた白狼は、扇に隠れることも忘れて女官の背中に思い切り舌を出すしかできない。


「なんだよあの女。腹立つ顔と声してやがる」


 既に見えなくなった背中に悪態をつくと、翠明はやれやれと白狼の襟首から手を離した。


「黙りなさい、白狼。あなたが暴れださないかとひやひやしました」

「いくらなんでもそこは分別ついてるよ」

「嘘おっしゃい」


 これみよがしに手を握ったり閉じたりして翠明が睨めば、白狼は首を竦めるしかない。実際椅子に座らせられていなければ、立ち上がって文句の一つも言っていただろう。自分に対して言われていた嫌味ではないのにこれほど腹が立つのであれば、当の本人である銀月の苛立ちはいかほどか。


 しかし、見送りは小葉と護衛宦官である周に任せ女官が出て行くまでじっと戸口に控えていた銀月は、なぜかにやにやと意味深な笑みを浮かべている。


「お前悔しくないのかよ、あんなに分かりやすい嫌味言われてさあ!」

「別に」

「別にって、お前ほんとにそれで良いのかよ! こっちが腹が立って仕方ないってのによお」

「言わせておけ。それよりお前、改めて見ると化けるものだな。化粧で随分と雰囲気が変わる。黙って座ってればまあ、見れなくもないか。いや悪くない? ちょっと顔よく見せてみろ」

「ちょっと待て、そんなことはどうでもいいんだよ。それに脱がされるようなことなかったじゃないか。これ、俺がやる必要ないだろ?」

「そろそろ私も背が伸びてきたことだし用心に越したことはないからな、次も頼むぞ。いや、いっそこのままずっと入れ替わっておくのもいいか。思いの外、出来が良い」

「……待てよ、まさかこれ毎回やんのか?」


 当たり前だ、と銀月は言い捨てると黒花が受け取っていた包みを卓に広げた。



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