企みの荊棘①
「な、んだと……」
やっとのことで声を絞り出すも、情けない小僧を装うこともできない。白狼は目を見開いて男を見上げた。
「そんなわけ……」
「君がまさかと思う気持ちもよくわかる。しかし本当なのだ。このままでは膳部のものが全て連座で処罰を受けてしまう。御史台の中丞様がおいでになる前になんとかあの側近たちの仕業と暴かねばならないのだよ」
頼む、と男は頭を下げた。男が動くたび、いまだ麻袋に詰められたままの白狼の鼻に否応なく古い揚げ油の臭いがまとわりついた。
もったりとした臭いは鼻から入り、じわじわと白狼の嗅覚を侵食していく。
「どうか、奴らが企んでいることを暴き、姫を助けてくれないか」
「ちょっと待てよ、おっさん」
不快な臭いに顔をしかめながら、もはや白狼は従順な素振りを捨てて男を睨みつけた。
あの銀月に付き従う翠明や周がそんなことを考えるはずがない。たった一晩、いやほんの数刻だけ一緒に過ごしたあの側近たちがまさか、という気持ちがどうしてもぬぐえなかった。
「捕まってた陳と、あんたが朝市で買ったシキミを持ち込んだってのはもう掴んでるぜ?」
一か八か、白狼は男を揺さぶるつもりでカマをかけた。本当はあの場で買ったかどうかなんて知らない。知っているのは「陳がシキミ入りの財布をもっていたこと」だけである。
「シキミ、だと……?」
男の目がわずかに揺らいだ。かかったか、と白狼は期待したが男はすぐに首を横に振った。
「そうか、側近たちは毒見の女官が死んだのはそのせいだと言っているのか」
「……違うのかよ」
「私と陳殿が買ったのは間違いなく八角だよ。シキミなんて禁制品、どうやって一介の役人が手に入れられると言うんだ。どんな毒だったかなど、そんなことを知りえるのは犯人だけだろう。シキミだと断定したのであれば、それは側近たちが持ち込んだからに他ならない。やはりあ奴らは姫を殺すつもりなのだ。なんと恐ろしいことを」
おお、と男は両手で顔を覆ってしまった。厚みのある背が震え、その嘆き悲しむ様は演技には見えない。焦れた白狼は身を捩って男に詰め寄った。麻の袋越しに巻かれた縄がぎちっと鳴る。
「しらばっくれるのかよ。陳って奴がシキミを持っていたのは確認してるんだぞ。それに、周のおっさんや侍女の婆あに、姫さんを殺す理由はなんなんだよ。ありえねえ」
「どんなものをもっていたと確認した?」
「八方に棘があって、小さい草の実みたいな!」
「八角も同じだよ、それが八角ではないとどうして言える?」
「それは……!」
あんな重大な秘密を持つ帝姫の周りにいる彼らが、今更翻意するなど考えられなかった。しかしそれと同時に、僅かに生じた疑念が白狼の胸をじわりじわりと蝕んでいるのも確かだった。
信じたい、しかし、とカマをかけたほうが揺さぶられるなどお笑いである。ただ当の白狼自身にそれを自嘲する余裕もなかった。
引っかかれ、狼狽えろという白狼の願いとは反対に、顔から両手を離した男の面持ちは静かな覚悟に満ちていた。
「謀反の理由など、金でも、出世でも、なんでも考えられるだろうさ。奴らも人の子。欲に目がくらむことだってあるだろう」
「あいつらがそんなこと企むはずがない! それに、俺に毒を持ち込んだ奴を探れって命令したのはあいつらだ!」
「なるほど、素性の分からない君をこうやって離宮に連れ込んだのは、そういって君を動かすことで本来の目的から離宮の者の目を逸らすつもりがあったんだろう。君に、罪を擦り付けるつもりで」
白狼は息を飲んだ。
今朝、銀月は何と言っていたか。自分が罪に問われないために人を使うと、そうは言っていなかったか。
袋に詰められて座っていたのは幸いだった。白狼は両の脚から力が抜けていくのを感じた。頭のなかでぐるぐると周や翠明の顔が浮かんでは消え、昨日からのやり取りが目まぐるしく駆け巡る。
事あるごとに拳骨を喰らわせてくる周は、銀月の身を案じて動いていたのではなかったのだろうか。口うるさく言いながらもかいがいしく世話をしていた翠明は、その裏で銀月を疎んじていたのだろうか。
しかしそれを判断できるほど白狼は彼らに詳しくはなかったし、男は思考をまとめるのを待ってはくれなかった。
がっしりと男は白狼の肩を掴んだ。
「信じたくない気持ちも分かる。しかしことは一刻を争う。そうこうしているうちに姫の食事に毒が盛られるかもしれない」
「そんな!」
「しかしこれは好機だ。姫の食事の際、その危険な二人を逆に罠にはめる。姫は膳部で作った食事は食べない。側近が作った食事を召し上がる。しかしその食事は翠明が毒味をするらしい。膳部の食事が危険と思わせて、その裏で本当に食べる食事に毒を入れる周到な企みなのだ。それを利用してやろうではないか」
「でも!」
「分からんのか、翠明が毒味をして見せるということがあ奴らの罠であり、企みの証拠だ」
かちり、と白狼の頭の中で疑念の欠片がはめ合わさった音がした。男はすっかり大人しくなった白狼を縛る縄を解き、小さな小袋を見せた。
「……これは?」
「これは八角だが囮だ」
男は袋を開けて中から小さな木の実を出した。八方に棘が伸びた実は見覚えがある。
「これをシキミとして、炊事場にこれがあったと姫に告げるのだ。証人としてこの女官も連れて行くといい」
そう言って男が振り返った先を見れば、いつからそこにいたのだろう、女官が一人佇んでいた。しかし顔から表情や色が抜け落ちたような様子は、既に心ここにあらずといった風情である。
これ、と呼ばれた直後も反応せず、再度男が声をかけるとハッとしたように目を上げた。
「姫とて、証拠があれば側近たちの仕業とお分かりになるはず。そうすれば、あとは御史台の中丞様に引き渡せる」
「だ、騙されるかよ」
白狼はかさかさに貼りついた唇を無理やりこじ開けた。
「それじゃ俺がその場でたたっ斬られる」
我ながら苦しい言い訳だった。動揺を見せまいと思っても声が震えているのが自分ですら分かる。もちろん男も気が付いているのだろう。ゆっくりと首を振り、白狼の手を握った。
「そんなことはさせない。君が声を上げたら待機させている兵もすぐさま部屋に入り周と翠明を捕らえるよう手筈を整える。君は姫の命を救う英雄となる。陛下より褒美があるだろう」
「嘘つけ。どうせてめえらも俺を使い捨てる気だろ」
「嘘ではない。我々は皇帝陛下の忠実なしもべでありひいては姫君の御身を守るために働いている。そして私は君の味方だ」
頼む。
そう言って男は白狼の手に八角の小袋を握らせたのだった。